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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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連絡したいことであるとか要望であるとか、直接関係する記事はないけれども書き込みをしたいって場合はここのコメント欄をご利用ください。
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今年は富士山に登れなかったので周辺散策に行ってきた

先週13日から15日にかけて富士山に行ってきた。

今年は富士山登頂を目指した富士登山には行けなかったのだが、その代わりと言っては何だが、5合目までのルートを中心に歩き回ってきた。
今回は訳あってGPSは携帯していなかったのだが、後半部分はGPSでログをとっておきたかったなぁ。

で、半ば恒例になっているけど、今回の記録についても相当危ないことをやっている。
真似しちゃだめだよ。どっちの人も。中途半端に失敗してもなんだから。




さて、山に入る前にまずは神様にごあいさつ。今回訪れたのは河口湖畔にある富士御室浅間神社である。
富士御室浅間神社

もともとこの場所は里宮なのだが、
富士御室浅間神社里宮

吉田口2合目にあった山宮もここに移築されている。
富士御室浅間神社山宮


山宮は吉田口にあったわけだが、吉田口登山道の起点がこの場だったというわけではない。いくらなんでもそんな遠回りはしないだろう。さらに言えば、船津口登山道というものも比較的近くにあるが、これの起点もここではないと思う。ということで、私もここから直接富士山に登るというコースは取らない。
まずは、道の駅なるさわの近くにある溶岩樹型を見物しに行くことにする。
まぁ、本来ならば県道714号線に出たところでバスに乗るところなのだが、このバスの本数が少なく、待っている時間に歩けてしまうのではないかということで、この区間も歩くことにする。

しかし夏が終わったとはいえ、まだまだ暑い。河口湖駅から御室浅間神社まで約30分、神社から溶岩樹型まで約1時間40分。時間・距離的には大したことないのだが、それなりに体力を消耗した。


そんなこんなで到着した溶岩樹型。
鳴沢溶岩樹型群入口

溶岩樹形というのは、流れてきた溶岩が木を呑みこんで冷え固まり、その呑み込まれた木が燃え尽きることによってできた穴のことである。特別天然記念物に指定されるだけのことがあり、珍しい地形といえよう。ここ、鳴沢溶岩樹型群はそんな穴がいくつも見られるのだ。

溶岩樹型
鳴沢の溶岩樹型はこのように縦穴が多いのだが、呑み込まれた木が倒れていれば横穴型の溶岩樹型もできるわけだ。


溶岩樹型見物の後、すぐ近くにある道の駅なるさわで一休み。言い忘れていたが、この時は前日の夕食以降何も食べていなかった。水分補給はこまめにしていたものの、水と無糖茶のみ。この道の駅でスポーツ飲料を飲んだがこれに含まれるカロリーくらいしかエネルギーの補給はしていない。しかしそれほど空腹は感じなかったなぁ。それに、それほど高低差のない平たんな道のりだったせいもあるが、歩いていてエネルギー切れを感じることもなかった。


ゆっくり休憩した後、県道71号線を通って、目指すは富士風穴。風穴というと富岳風穴や鳴沢氷穴などが有名だが、そのような観光地化された風穴ばかりではない。富士山周辺にはいろいろな穴があるのだ。
そういえば県道71号線との合流点近くに鳴沢蝙蝠穴というのもあったようだけれど、ここには行き損ねた。蝙蝠穴も有名なのは西湖蝙蝠穴なのだけれども。

とにかく1時間以上歩いたころに、県道71号線と精進湖口登山道が交差する場所に到着する。
精進湖口登山道入口
バスの時刻がうまい具合に合えば道の駅なるさわから赤池までバスで移動し、精進湖口登山道を最初から楽しむということもできたかもしれないのだが、バスがないから…。まぁ、途中からといえど精進湖口登山道の一合目より下から歩いているのだからまぁよいか。

精進湖口登山道を歩き始めて10分ほどすると、富士風穴の入り口が見えてくる。
富士風穴入口

穴そのものの入り口は窪地の底にあるのだが、穴に入らずともこの窪地には冷気がたまっており、かなりひんやりとしている。
富士風穴

せっかくだから中に入ってみる。しかし結論から言うと失敗。
まず第一に光量不足。ここは観光地化されていないから当然洞内に照明などない。もちろん私はヘッドライトは装備してはいるのだが、洞内の広さに対し、一個のヘッドライトでは全く光量が足りておらず、洞内を見渡せるような状況にはなかった。ここはヘッドライトをそれぞれが装備した複数人で行くか、一人で複数個のライトを装備するなどして光量を補わなければ楽しめないのではなかろうか。
第二に時期が悪かった。水面に薄氷は張っているものの、凍りついてはいないため(光量不足で足元が不安ということもあり)奥までは進めなかった。一応、軽アイゼンなども準備してはいたのだが、今の時期なら軽アイゼンよりも長靴の方が役に立ったかもしれない。それに凍りついていれば氷によって光が反射して、多少は洞内を見渡しやすくなったかもしれない。とにかく見るならやはりもっと寒い時期のほうがよかったようだ。
富士風穴内部



そんなこんなで富士風穴を後にして、さらに精進湖口登山道を進むことに。

精進湖口登山道というのは樹海の真っただ中を通る道であり、字面で見ると物々しいが、実際にはごく普通のハイキングコースと大差ない。道筋がはっきりしているからわざわざコンパスを取り出してみることはなかったのだが、コンパスが狂うということもないはずである。まぁ地面に直置きすれば多少狂うかもしれないけれども、普通に使用する分には問題ないはずである。


そうこうしているうちに日没。暗くなってきた。
予定では完全に暗くなる前に5合目付近まで行くつもりだったのだけれども、出発時間がやや遅めになってしまったことによりバスの時間が合わなくなり、相当時間をロスしていたので、予定よりだいぶ下で暗くなってしまったのだ。道筋がはっきりしており、暗くなっても迷う心配はなかったのでしばらくは進んだのだが、いい加減足も疲れてきたので、3合目付近で一夜を明かすことに。






まぁここまではごく普通のハイキング記録である(もちろんここまでの中にも真似してはいけない部分があるにはあるが)。しかしここから先は本当に真似しちゃいけない。(真似されたくなければ書かなければよいという突込みはとりあえず却下)


この日の鳴沢村の予想最低気温は16度であった。この3合目というのは村の中心部と比べて700メートルくらいは標高が高いから、計算上は4度くらい低い12度前後まで下がる可能性があるわけだ。まぁ実際にはそう単純なものでもないだろうけれども少なくとも15度以下にはなるんじゃないかな。
そういう環境でである。24時間以上の絶食をし、平地を暑い中数時間、山道を数時間歩いて体力もそこそこ使った者が、汗でビショビショの服のまま、アルコール度数25度の焼酎220mlカップ2杯飲んで屋外で寝たわけである。
9時間ぐっすり眠ったなぁ。いや、翌朝目を覚ました時、二日酔い状態だったことを考えると睡眠というより昏睡に近かったのかな?
でも二日酔い以外何の症状も出なかった。夏の間には花火大会やら屋外ライブやらでゲリラ豪雨に合った程度で低体温症で救急搬送されたものがいるくらいなのに、それより過酷な状況だったと思うんだけどなぁ。

まぁ、仕方がないから、日が昇って暖かくなってきたし、二日酔いの症状が改善するまでもう3時間ほど睡眠をとって、さらに上を目指す。





精進湖口登山道の3合目以降は船津口登山道旧バス通りと合流しているので、なお一層道筋がはっきりしている。
体を冷やしたことにより股関節痛やひざ痛が出るかと思ったのだが、特にそのような兆候はない。十分な休息をとったこともあり、むしろ快調といえるくらい。

途中で雨が降り始めるものの、生い茂った木のおかげで、レインスーツを着るまでもなくそれほど濡れない。

そんなこんなで4合目に到着。ここには山小屋跡の廃墟があるのだが、その向かい側には小御岳第一氷穴がある。
小御岳第一氷穴

入口の所に木枠があるところをみると中に入ることができるのかな?でも入り口までの斜面の落ち葉の積もり具合からみると、長いこと誰も入っていなそうに見える。後で調べてみたところ、この第一氷穴は15メートルくらいの長さしか確認されていないらしい。実際はもっと長いことをうかがわせる表記の仕方だけれど。

今回は気分が乗らなかったので入ってみることはせず、上から眺めただけ。第二氷穴や第三氷穴も付近にあるはずだけれど、その探索も今回はパス。さらに上へ向かう。

そしてスバルライン5合目駐車場に到着。今回は精進湖口登山道は途中からの踏破となってしまったが、赤池から県道71号線までの区間も今回歩いた区間と同程度に整備されているのだとしたら、距離こそ長いものの非常に歩きやすいルートのように感じた。ふもとから富士登山する際の選択肢としては十分なコースだろう。むしろ距離が長いだけで物足りなさすら感じてしまうかもしれない。そう考えると、精進湖口登山道を直登するのではなく、寄生火山がたくさんあるルートなので、寄り道しながら登った方が断然楽しいだろう。あと風穴類も富士風穴や小御岳氷穴だけでなく、寄り道すれば他にも多数あるし。


五合目は相変わらずの人の多さである。もう九月中旬だというのにまだ山頂を目指す(?)ツアーなどもあるようである。霧雨程度とはいえ雨が降ったりやんだりしているようななか次々と団体が出発していく。というか台風が近づいてきている中、本当に頂上を目指すの?馬鹿じゃないの?シーズン中だって台風が近づいているときには登るのはやめておいた方がよいのに、今はオフシーズンなんだよ?いや、人のことを批判できる立場じゃないんだけどさ。

そんな団体を見送りながら、神社に参拝に行ったりトイレに行ったり休憩室でダラダラしたりと時間をつぶす。でも食事はしない(笑)。でもまたここでスポーツ飲料を買って飲んじゃったんだよな。カロリー有りのやつを。


しばらくして雨がやんだころを見計らって私も出発。適当なところで道から外れた林の中に。もっと高度を上げれば気温は下がるかもしれないけれど、樹林帯を抜けちゃうと目立っちゃうからね。
暗くなるまでは本を読んだりしながら時間をつぶす。暗くなると頂上までの各山小屋の明かりが煌々と灯っている。ということはやはり登頂を目指す人たちが少なからずいるということか。







何度も繰り返しになるが、ここからまた真似してはいけないところである。

夜になってもしばらくは月が見えたりするような天気だったのだが、台風の影響もあって雨が降り始める。そしてだんだん強い降り方になってくる。風も強くなってくる。計算上最低気温が10度以下になる場所である。絶食時間は48時間を超えている。前日と比べて運動量は少ないものの、それでも山道を数時間は歩いてそれなりに体力を消耗したはずである。レインスーツを着ることもなくびしょぬれになったところでアルコール度数25度の焼酎220mlカップ1杯を飲んで寝る。本当は2杯飲みたいところではあったのだが、持ってきていたのが前日分と合わせて3杯分だけなので仕方がない。というかこの1杯というのもあくまでも予備として持ってきただけで本来は使用しない予定だったんだが…。
さすがに焼酎1杯だけでは朝まで眠ることができなかった。日の出前に目が覚めてしまった。いまだに強い雨が降り、風が吹き付けてくる。震えが止まらなかったから、それなりに体温も下がっていたことだろう。しかしそれも日の出までの間のわずかな時間に過ぎなかった。日の出時間を過ぎるころになると震えも徐々におさまってくる。体温が下がり過ぎて感覚がマヒしたわけではなく、単純に気温が上がり始めたから。そうこうしているうちに雨もやんできてしまう。というか日まで差してくる。虹なんかも出ちゃったりして。
仕方がないからあきらめて帰宅することにする。とはいってもあからさまにびしょぬれの状態で人前に出ると通報されたりして面倒だから適度に水気が切れるまで待ってからの出発である。
よく見れば濡れていることが分かるもののパッと見た目では分からない程度まで水気が切れたところでスバルライン五合目に戻って水を購入。でもやっぱり食事はしない(笑)。

しかし一昨年だったか、7月中旬にもっと標高の低い御殿場口五合目で一夜を過ごした時は、濡れていたわけでもないのに「これはけっこう危なかったなぁ」と感じたものだけれどねぇ。

ここから須走口に向かうことにする。六合目まで登りコノスジ中途道を使っていく。もう何回も通ったルートだ。
ただ今回はちょっと趣向を変える。例の、コノスジ中途道の途中から砂払い五合目へ向かう、あのルートに挑戦してみようというのだ。
相変わらず体を冷やした割には股関節痛もひざ痛も出ていない。というか、絶食時間が60時間を超え、その間それなりの距離を山歩きし、夜は体温維持のために相当エネルギーを消費したであろうに、須走口五合目までの行程に体力的不安を全く感じないって…。さらに言えば低体温症どころか肺炎の兆候もないって…。
まぁとにかく進むのみ。

思ったとおり、例の分岐の所から謎のルートに突入すると、踏み跡がはっきりしているのは最初だけ。おまけにマーキングの間隔が長すぎて次のマーキングが見つけられない状態。踏み跡が不明瞭なところもあれば、逆にキノコ採りの踏み跡であろうか、複数の踏み跡が混在しているところもある。まぁ人が通ったことがあるのはペットボトルやら空き缶やらが所々に落ちていることからもわかるのだがルートははっきりしない。
いつもならGPSで位置を確認しながら進むところだが、今回はGPSを持ってきていない。とりあえずコンパスを見て南に向かうように進路を決めて進む。南に向かっていれば本来のルートから外れていたとしてもどこかで須走口登山道にぶつかるはずだから。

で、そうこうしているうちに何とか須走口登山道にぶつかった。思っていたより下に接続したなぁ。
須走口5合目付近図
本来のルートはもっと上で、本当に砂払い五合目まで行けるのかもしれないけれど、とりあえず今回接続した部分にも踏み跡が残っていることから考えると、正規のルートかは別として、主にキノコ採りの人であろうがここを通っている人が少なからずいるということだろう。GPSのログがあればもう少し詳しく分析して正規のルートを推測することもできたかもしれないけれども、惜しいことをした。でも、もともとはここを通ることは予定になかったのだから仕方がない。


そんなこんなで須走口五合目に無事到着。さすがに人は少ない。まぁ台風が近づいてきているのだから当然か。それでもごく少数ながら駐車場から山小屋方向に向かってくる人もいる。まさかこれから登頂を目指すわけではあるまい。小富士までのハイキングか?キノコ採りにいくにしては少々遅い時間だし。






帰宅後体重を量ってみたら、絶食72時間で、あれだけ苦労したのに出発前より2kgしか減ってなかった。どんだけ省エネ体質なんだよ私は!!

テーマ : 登山・ハイキング
ジャンル : 旅行

脱平和教育のススメ

最近、松江市やら鳥取市やらで、漫画『はだしのゲン』の閉架措置にするだのしないだの言うことが話題になっていた。

これを閲覧制限だなどとマスコミが報じたものだから大騒ぎになったのだが、実はこれが全くのウソ。
確かに市民運動家からの撤去要求に端を発するものであるが、閉架措置というのは閲覧制限などではない。

閉架というのは、一般の図書館などでは開架図書より閉架図書のほうが多い場合もあるくらい一般的なものである。
高校時代ずっと図書委員をした経験から言うと、学校の図書室となると、確かに開架図書が大部分を占めている。しかし、新刊本を購入した際、その分の棚を開けるために、利用実績の少ない図書を引っ込めるということは日常茶飯事だし、いたんだ図書の補修などで引っ込めているものもある。そうした表の本棚から外して奥に引っ込めているものが、事実上閉架図書と同様のものといえる。
で、そうした閉架図書であるが、別に利用できないとか、利用には資格審査が必要だとかいうわけではない。利用したいという人がいれば奥から出してくるだけである。もちろん大学などの希少本などの場合なら閲覧資格などが必要な場合もあろうが、今回問題になっているのは小中学校の図書室での漫画の話なので、そんな堅苦しいことなどあるはずがない。
読みたいと言えば出してきてくれ、自由に読めるるものを『閲覧制限』だというのは明らかに言いがかりである。

誰が何を読んでいるかがわかってしまうのはプライバシーの侵害だとでも言いたいのかもしれないが、そもそも貸し出しの際にはだれが何を借りているかデータが残っているわけだから、そんな理屈は通らないだろう。
そもそも人に知られずに読みたいなんて代物であるならば、それこそ学校の図書室にふさわしくないものであることの証拠ではないか

撤去要請に対して閉架措置にとどめたというのであれば、褒められこそすれ責められるべき要素など何もない。要するに言論弾圧だと騒ぎたいだけの連中がいるわけだ。全く迷惑な話である。



さて、閉架かどうかはともかく、撤去すべきだという意見についてはどう考えるべきか。
その前に『はだしのゲン』についておさらいしておくことにしよう。

多くの学校において、学校内で漫画を読むことは禁止されているはずである。にもかかわらず、漫画である『はだしのゲン』だけが特別扱いされるのは(後半の一部が日教組系の雑誌で連載されていたからという大人の事情はさておき)、作者の実体験に基づく原爆の記録だからであろう。しかしこの時点ですでに誤解が含まれているのである。

確かに作者は原爆で被害を受けている。しかしその当時の年齢は6歳である。その年齢だと、原爆という大惨禍の記憶は確かに強烈に残っているだろう。しかしその当時の大人たちが何を考え、言っていたかを本当に理解したうえで記憶できたであろうか。
皆さんが6歳だった時のことを思い出してほしい。どのくらいのことを思い出せただろうか?かなりあいまいな記憶しか残っていないだろう。それが普通だと思う。
つまり作者が標準的な6歳を大幅に超える理解力と記憶力を持っていたというのでない限りは、原爆による被害の描写以外の部分は、伝聞と創作によるもので、作者自身の体験を描いたものではないということになる。

さらに、記憶というのは他の要因によって容易に改ざんされてしまうものである。後年の思い込みによって記憶がねじ曲がってしまうのだ。元の記憶がはっきりしていてそれとは違うことを言うのは嘘だが、記憶がねじ曲がってしまうと、その人にとってはそれが真実になってしまう。嘘(事実と異なること)だと自覚できないところが厄介である。
まぁこれはかなり善意に解釈しているわけで、実際は嘘と自覚して書き始めた部分もあるかもしれない。
少年ジャンプでの連載が打ち切られた後、第二部として共産党系の雑誌や日教組系の雑誌などを転々と移動しながら連載が続けられているが、そういう左翼雑誌の読者に受けのいいストーリーにしなければ商売にならない面もあっただろう。
撤去要請派が問題視しているのもほとんどがこの第二部であろう。この第二部は戦後編ということで、原爆の記録という主旨から距離ができている。一般人が誤解しているようだが、過激な描写と言っているのは原爆の被害の描写のことではないのだ。原爆とは無関係の部分に過激な描写が含まれているのだ。多くのマスコミはその辺をあえてあいまいにすることにより世論を誤導しようとしているようだ。おかげで原爆の惨禍を伝えるためには過激な表現になるのは当たり前ではないかなどという見当はずれな意見が出てきてしまうのだ。

つまりこの作品は純然たる体験記とはいえないのである。つまり他の漫画が禁止されるなかこの作品だけを特別扱いする前提が崩れているのである。であるならば他の漫画同様、学校内で読むことを禁じるというのは極めて筋が通っている。



たとえ創作部分が大半を占めていても、原爆の悲惨さを伝える部分は事実に基づいているのだから十分価値があるという意見もあろう。しかし今どきの子供が、指導もなしにこれを読んで原爆の悲惨さを学びとれるだろうか?
おそらく「うわぁ、何これ!キモチワリー」で終わってしまうのではなかろうか。言ってみれば変種のホラー漫画としか受け取れないのではなかろうか。
その気持ち悪さ、嫌悪感を反戦につなげるのが、左翼の求める教育ではなかったのか?
自由にホラー漫画として読ませるくらいなら、閉架措置などという生ぬるいことをせず、本当の意味での閲覧制限をし、しっかりと反戦教育のできる教員の指導のもとでしか読ませないほうが教育効果が上がるのではなかろうか。
その指導を怠って単なるホラー漫画として読ませることに意味があるのだろうか。ホラー漫画=娯楽として読むのであれば、やはり他の漫画同様、学校から排除するのが筋ではないか。



つまり、首切りの場面や性暴力の場面等の過激な描写が生徒・児童に不適切云々の以前に、そもそも学校の図書室に置く資格に疑問符がつくような作品なのである。



さて、撤去要請をしている者たちの主張に『偏向した思想に基づいているから』という理由づけもあったようだ。実際、天皇陛下を侮辱する描写等、良識ある日本人には受け入れがたい部分も多々見受けられる。しかしそれをもって閲覧禁止というのはどうだろう。
私個人としては、偏向した思想に基づいていることが問題なのではなく(いや、十分大きな問題ではあるのだけれど…)、体験記という体裁をとっているがために偏向した思想に基づく創作が事実と誤認されることが問題なのだと思う。
昔から嘘の中にほんの少し真実を混ぜることにより全体を真実に見せかけたり、逆に真実にほんの少し嘘を混ぜることで全体を嘘に見せかけたりといった偽装は数多くなされてきた。はだしのゲンもそうした偽装書のひとつであるから問題なのだ。
もしかりに正直に創作であることを明示しているのであれば、危険度は今ほど高くはなかっただろう。まぁ嘘を信じ込ませたい連中にとっては、この作品が創作であることを明示するなんて気は全くないだろうけど。要するにはだしのゲンが問題なのではなく(いや十分大きな問題なのだが…)それを利用しようとしている勢力が問題なのである。
はだしのゲンを本当に閲覧制限をしようが、それ以上の焚書にしようが、この連中がいる限りは害悪が巻き散られるし、逆にはだしのゲンが創作であることを認識させながらの指導が行える教師のもとでは立派な教材になりうるだろう(ただし教材になりうるのは第一部のみ)。



さて、はだしのゲン問題に関連して、平和教育の在り方についても考えてみたい。

現在行われている平和教育というのは、戦争の悲惨さを強調することに終始している。

これを風邪予防をたとえに使って表現してみると、

『風邪をひくと熱が出たり悪寒がしたり鼻が詰まったり咳が出たりくしゃみが出たり、とにかく苦しいんだよ。風邪なんかひきたくないよね』

と言っているようなものである。

しかし風邪予防において必要なのは風邪の苦しさを伝えることではなく、風邪のメカニズムを解明し、そのメカニズムに基づいた対処法を教えることではないか。風邪の苦しさを知っているだけで風邪が予防できるなんて本気で信じられる人っているだろうか?教えられた対処法を実行する動機づけとしては風邪の苦しさを知ること『も』必要であるというだけのことである。どちらが主でどちらが従であるかは明白である。

平和についても同様である。戦争を避けたいのであれば、戦争の悲惨さを教えるだけにとどまっていたのでは全く意味がない。戦争が起こるメカニズムを解明し、それに基づいた対処法を教えて初めて戦争を防ぐことができるようになるのだ。つまり学問の分野で言うならば平和学ではなく戦争学こそが必要なのだ。
ところがいまの日本では、その戦争を防ぐのに最も必要な戦争学を、戦争を引き起こす危険なものという、事実とは全く逆のレッテルをはりつけて排除しようとする勢力が跋扈しているのである。こうした奸賊を排除しない限りは日本に本当の意味での平和が訪れる事はないだろう。

しかし戦争学がいくら重要でも、今の日本に体系だった戦争学を学べる場というのはほとんどないのではないか。当然小中学校の教師で戦争学に基づいた教育を行える者などいないだろう。いかにして戦争学を普及させていくかが今後の課題となるだろう。

テーマ : 平和授業 戦争
ジャンル : 政治・経済

終戦記念日

昨日は終戦記念日であった。
安倍首相の靖国参拝は成らなかったが三人の閣僚が参拝した。まぁこんなものであろうか。
首相が参拝を強行することによって他の政策すべてが足を引っ張られ、結果として国が倒れてしまっては本末転倒であろう。

しかしそうではあっても、参拝してほしかったという気持ちを抑えることはできない。
そもそも8月15日を外したところで、参拝すれば中韓は言いがかりをつけてくる。いつ行っても言いがかりをつけられるのであれば、意味のある日に参拝したほうがまだましではなかろうか。

以前にも書いたことがあったかと思うが、8月15日というのは、単なる戦没者追悼日ではない。
自称保守は「靖国神社にとって8月15日は特別な日ではないのだから例大祭に参拝するほうがよいのだ」などといって正当化しようとしているが、とんでもない思い違いである。靖国神社において特別な日でなくとも、終戦の詔書の主旨を思い起こし、誇りある日本を維持する決意を新たにする日という意味において、日本国民にとって特別な日である。そしてそれは戦没者の御霊に誓うという形で決意表明すべきものであろう。
そしてそうした決意表明をするのに最もふさわしいのはその決意のもとである終戦の詔書が流された8月15日以外あるまい。8月15日は特別な日ではないなどという輩は先帝陛下の大御心を何と心得るか。

なるほど、武道館で開かれている戦没者追悼式典にも「戦没者の霊」と書かれた標柱が設置されてはいる。しかし何をもってその標柱に戦没者の御霊がいらっしゃるといえるのだろうか。
靖国神社から分祀(特定の御霊を抜き出すという意味で使われる最近の所謂分祀ではなく本来の意味での分祀)しているというのであれば、確かに御霊に誓う場は靖国神社でなくてもかまわないということになろうが、そうした正規の手続きが行われているとは聞いたことがない。であるならば、御霊がいらっしゃるのはあくまでも靖国神社であり、武道館は御霊とは関係ないただの式典の場に過ぎないことになる。

今年の追悼式典における首相式辞は近年まれにみる立派なものであった。左がかった連中は「反省も不戦の誓いもなかった」などと酷評しているが、反省というのは戦没者の御霊に対するものではない。
反省とは「自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること」である。自らを正しいと信じて行動されてきた戦没者の御霊に対し、当事者でもない者が「反省」を口にするのは全くの筋違いであり、御霊に対する侮辱であり、慰霊・追悼の対極に位置する行動である。

そして、日本がどんなに平和と非戦を望んでいても、わが国の領土を不法占拠し続け、貴重な文化財を盗み出す国、我が国の領土をかすめ取ろうと虎視眈々と狙っている国、わが国の国民を拉致していく国など、侵略国家に囲まれている状況では不戦の誓いなどむしろ我が国の国民の生命・財産や国土を守るのに手足を縛るものにしかならない。国民の生命・財産をきちんと守れてこそ誇りある日本を維持できるというものだろう。不戦の誓いなどで国民の生命・財産を危険にさらしますなどと御霊にどうして申し上げることなどできようか。

つまり今年の首相式辞は、特定の外国が主役だった今までの間違った慰霊・追悼から、御霊が主役の正しい慰霊・追悼に戻した、画期的なものだったのである。そしてそうであるがゆえに、なお一層、それが御霊の前で捧げられたものでないことが悔やまれるのである。


さらに言えば、今年の8月15日に首相が参拝しなかったことは、もともとの予定であったとのことだそうだが、中韓に対して、『保守に支持の厚い安倍首相ですらゴリ押しすれば折れる』という間違った印象を与えることにはなりはしないだろうか。結果として8月15日の参拝のみならず、在任中のあらゆる参拝がつぶされるような結果にならないか心配である。そして参拝ができない状況により保守層に安倍離れが進んでくれれば中韓にとっては格好の安倍つぶしにもなる。安倍首相が失脚し、アベノミクスが失敗ということにして元のデフレ化政策に戻ることが中韓に与える経済的メリットは計り知れないだろう。首相の不参拝が中韓にとって政治的と経済的の一石二鳥ということにつながらないよう願うばかりである。

テーマ : 靖国参拝
ジャンル : 政治・経済

毎日ボートマッチ(えらぼーと)で遊んでみた ~2013年参議院選挙

さて、参議院選挙がいよいよ明日に迫っている。

ということで恒例の、毎日新聞ボートマッチ(えらぼーと)で遊んでみた。例によって突込みどころはあっても参考にはならんな。まぁ、だからこそ毎回のように『遊び』でやっているわけだが。

まず政党での一致度
幸福実現党の75%一致が目立つばかりで、2位の維新の会が39.4%、3位の新党大地が36.1%、4位自民党が35.5%といった具合に、ほとんど私の考えと一致する政党がないという結果に。いくらなんでも極端すぎないか?この結果。
おおざっぱにみると幸福は憲法観、外交・歴史観、震災・原発観で一致度が高く、維新は外交・歴史観がやや高めの一致度のほかはまんべんなくといった感じ、自民は憲法観と行政観が一致度が高いといったところか。大地については眼中にない。

気を取り直して候補者で見ると、一致度の高い人はそれなりにいる。
まず神奈川選挙区でいえば、維新政党新風の溝口敏盛氏が80%の一致度。2位の幸福実現等は飛ばして3位みんなの党の松沢成文前神奈川県知事が73%の一致度である。

ちなみによその選挙区で言うと京都の自民党現職西田昌司氏が95%一致で最も一致度が高く二位が東京新風代表鈴木信行氏が92%一致。神奈川選挙区の溝口氏が3位である。新風との一致度は予想どおり高いなぁ。千葉選挙区の新風の人との一致度はそれほどでもない印象だけど。比例選にも候補出していたら間違いなく政党一致度一位になっていただろう。
まぁ一致度が高くても「維新政党」を名乗っているところを保守だとは認めないし、以前と比べればだいぶ改善されたとはいえ、勝つための努力がまだまだ全然足りてないような新風候補者に投票はできないけどね。党名から維新の文字を外したうえでもっと頑張ろうよ。新風。。「『維新政党・新風』は、君民一体の国家理念を議会制によつて顕現することを党是とし、日本を真の日本たらしめる政治に与らんとする政党です。」なんていいこと言ってるんだからさぁ。本当に期待『は』しているんだよ。

さて比例区のほうで見ると、維新の石井義哲氏の93%、自民の大江康弘氏の89%、維新の中山恭子氏の82%がトップ3である。

こうしてみてくると自民や維新は政党別一致度でもっと高得点をとってもよさそうなのだが、こういう高得点の人達がいる一方、著しく一致度の低い人もいるということなのだろう。
ただ一致度の低い人たちの中には、無回答や非該当もかなりあるようである。無回答が多い候補者というのはそもそも政治家に向いていないから無視してよいとして、非該当が多いというのは考えものである。かくいう私も選択肢とは異なる回答をしたかったものもあるし、質問の意味がどうとでも取れるため、暫定的な回答をしたところも多い。つまり一言でいえば「質問が悪い」。質問の文章を文意がはっきりするように直すべきだし、選択肢ももう少し考えた選択肢を設定すべきだろう。

まぁ、新聞記者なんて文意のはっきりしない文章によって事実をあいまいにし、自分たちに都合のよいように世論を誘導する文章を書くのが仕事なのだから、こういうわけのわからない文章になってしまうのも仕方のないことかもしれない。そもそもこのえらぼーと自体がアンケートという形をとった世論誘導が目的なのだろうし。



さて、ではそろそろ内容について目立ったところにコメントを付けて行ってみよう。



問2.憲法9条の改正について

今までこの手の質問では改正に賛成か反対かの二者択一であった。それが、国防軍保持のための改正、自衛隊として行動を縛るための改正、反対の三択になっている。この選択肢はなかなかよいと思う。9条改正に賛成をして保守派の票をとり込んでいたが実は国防の邪魔をしていたという、実は改正反対はよりたちの悪い連中が浮き彫りになったといえよう。個々の候補者すべては確認していないものの、政党としては維新やみんながこの偽装組に該当しているようである。


問3.憲法96条の改正について

やはりこれについてはいわゆる保守系候補は認識が甘すぎ、革新候補は馬鹿すぎるだろう。目先のことしか見えてない。96条改正で要件緩和すれば一時保守系候補の望む形の憲法改正ができたとしても選挙の結果次第であっさり覆されることを意味する。つまり保守系候補は要件緩和など断じて認めてはならないし、革新候補はこれをチャンスとして積極的に緩和を求めるというのが当たり前の反応であろう。ところが実際には全く逆。まぁ、革新政党が護憲を唱えるような変な国日本特有の変な逆転現象なのだろう。


問4.集団的自衛権について

これは不適当な設問の例だろう。問2において国防軍保持を訴える候補者なら、解釈変更での自衛隊派遣ではなく国防軍の正当な任務としての派遣を求めるのが筋だろう。自衛隊という中途半端な立場ゆえに解釈が定まらないのであって、国防軍化すれば変な解釈の入り込む余地はなくなるのではないか。
言ってみれば解釈変更賛成というのは今の自衛隊のままでいることを求めるものであり、国防軍化とは相いれないはずである。なのに国防軍化を求めながら解釈変更も求める候補者の多いこと…。
ただ、国防軍化が成るまでの期間の暫定的措置としてなら解釈変更で対応することも仕方のないこととはいえる。
つまり前提条件の示されていない不完全な質問に対して選択肢も何の補完もしていないことによる混乱があったということであろう。もう少し質問の仕方を修行してほしいものである。


問9.靖国神社の扱い

これは選択肢に不満あり。「参拝しても問題ない」と「参拝すべきではない」の二択ではなく、参拝は義務であるを含めた三択にすべきだろう。消極的賛成と積極的賛成は区別したほうが有権者にとって判断の指標となるだろう。


問10.問11.村山談話、公の談話の見直しについて

これらの談話は、日本が譲歩すれば相手も譲歩してくれるだろうという根拠のない願望に基づき事実を捻じ曲げて作ったわけだが、相手をつけあがらせるだけの結果に終わった代物である。そもそも事実を捻じ曲げて相手に媚びようという発想自体が唾棄すべきものであるのだが、その上相手の譲歩を引き出すという当初の目的すら果たせていないのであれば何のために後生大事に取っておく必要があるのだろうか。
未来志向で言うならばまずは間違いを正しておく必要もあるだろう。


問15.アベノミクスについて

本来アベノミクスとは、安倍首相によるデフレ脱却のための経済政策のことを指している。デフレ脱却すれば雇用も増え所得も上昇傾向に転じるのは当然である。だからアベノミクスによって雇用・所得が増加すると思うと答えたい。
しかしながら、本来のアベノミクスには含まれていない部分の経済関係政策まで含めるとなると話は別である。
たとえば、問13とも関係するが消費税増税のタイミングが早ければ国民の消費意欲に冷や水を浴びせることになる。消費が伸び悩めばそれはすなわちデフレ状態が長引くことになる。
また問16と関係することだがTPPというのは日本のデフレを促進する施策になりかねない。
つまりアベノミクス自体は正しいのだが、総合的にみるとデフレ脱却という目的とは逆行する政策も数多く存在しているため、どうなるか見定めるのが非常に難しいのだ。
だからこの質問については私も答えを選ぶのに相当悩んだ。候補者もこの「アベノミクス」という言葉を狭義で解釈している人と広義で解釈している人、解釈そっちのけでとにかくケチをつけたい人にわかれたといったところか。
こういう定義の仕方によって回答が変わりうる質問の仕方というのはやめてほしいものである。


問17.年金について

これも選択肢が悪いなぁ。「国民の負担が増しても」というのがわからない。保険料を値上げしてもという意味であるならば、給付水準を下げるのもやむなしと思う。しかし質問に付属している背景解説をみると、『税の投入など国民の負担をさらに上げなければならない』というようなことが書かれている。税の投入を国民負担の上昇と表現するのはいささか違和感を覚えるが、税投入を指してのことであるならば給付水準を下げないようにするのは当然の責務だと思う。
それはともかくこの質問は年金制度を維持することが前提となっているのだろうが、私は前回までのえらぼーとにおいて、年金は全額税負担方式への転換を求めていた。言ってみれば年金制度を解体して再構築する必要のあることだ。それを何の前提説明もなく年金制度維持を前提とした選択肢のみを並べるのは公平なものとはいえないと思う。


問20.体罰について

教師も指導のつもりでやっており、第三者から見ても指導の一環にしか見えないものであっても、生徒が「体罰を受けた」と感じればそれは体罰ということになってしまう。そういう状況下で逆に教師を脅迫する、たちの悪い餓鬼も増えてきている。このような体罰と市道の厳密な定義わけすらできない状況で、どんな場合でも体罰を認めないというのでは教育が成り立たない。
そもそもが子供を人間と考えるのは間違いである。
子供は人間への発達可能態に過ぎず、教育によって人間に「なっていく」のである。人間でないものに何かを教えようとする場合、飴だけを与えて効果があるだろうか。必要なのは飴と鞭のバランスであろう。理不尽な体罰が認められないのは当然であるが、体罰寄りの指導は当然認められるべきである。


問21.被災者支援について

これも意味のつかみにくい質問である。補償を増やすというのは、一世帯当たりの支援額を増やすということなのか対象世帯を増やすということなのか。どっちとも取れる文章というのは判断に困るのである。候補者もこの解釈には迷ったことだろう。こういうどうとでも取れる文章を使ったアンケートで一致してる、してないと言っても全く意味がないだろう。問題作成者にしてもチェックをしているであろう部署にしても、こういう不完全な文章が気にならないのであろうか。だとしたら言論人失格の言語感覚しかないことになるのだが…。


問23.原発輸出について

考えてほしい。日本が輸出をやめたとしても原発を必要とする国がなくなるわけではない。そんな国が粗悪な原発を導入したらどうなる?
たとえば韓国原発では性能確認試験の結果を偽造した部品が使用されていたことが明らかになった。もちろん日本でもデータ偽装はあったが、性能水増しと、不良品を良品と偽るのでは全く質が違うだろう。そんな品質管理の行き届いてない韓国原発を導入した国があって、それが事故を起こしたらどうなるだろう。
日本の原発は千年に一度という規模の大地震と大津波に襲われ、人為ミスや変な横槍まで重なったにもかかわらずあの程度の被害で済んでいる。自民の高市政調会長が「原発事故で死んだ人はいない」と発言したことでたたかれているが、間違ったことは言っていない。避難する必要がないのに無理やり避難させられたことによる震災関連死があるだけである。これは原発による死ではなく原発危険デマによる死である。
とにかく日本の原発は大災害においても被害を最小限に抑えることに成功し、死者を出していない。それに対し粗悪原発が事故を起こせば間違いなく死者が出る。
安全な日本製原発を輸出するのは人道にかなったことである。
また国内の原発が不当に止められ続けている今、原発輸出により技術の蓄積・技術者の育成をしていかなければ、それこそ日本に将来はない。
よって原発は大いに輸出すべし。


問24.ネット選挙

有権者によるメールでの投票呼び掛けは本当にやめてくれ。迷惑メール以外の何物でもないから。候補者からのメール奈良突込みどころを探してネタにするくらいの余裕はあると思うけれど、有権者が勝手連的に無制限にメールを送りつけるようになったら量的にシャレにならないだろう。
というか、選挙のネット利用自体が無用ではなかろうか。選挙に限らずネット幻想が実態以上に肥大化しているように感じる。
そもそもの発想が間違っていると思う。たとえで言うと、昔、学習漫画というのがあった。子供は漫画が好きだから学習内容を漫画にすれば子供も喜ぶだろうって発想。でもこれが全くの誤解。子供は面白いから漫画を読んでいるのであって漫画だったら何でもよいというものではないのだ。漫画にしてもつまらないものはつまらないし、つまらなければ漫画であっても読みはしないのだ。
ネットについても全く同じ。ネットに面白い情報があるからハマルのであってネットにあるというだけで関心を向けるわけではない。選挙に関心のない人たちはネットで広報したところでそもそもそんな広報を見に行くことなどしない。個々の候補者についても、関心のない人のページをわざわざ見に行く人なんてあまりいない。

実際、例えば滋賀県知事の嘉田由紀子氏は選挙前から自身のサイトを持ち政策など情報発信をしていたというが、そのサイトのアクセス数が増え始めたのは知事就任後だったという。
また近いところでいえば先日の東京都議会議員選挙においても、無名のくせにネット利用に熱心だった候補者は落選しているケースが多かったようである。
結局選挙でのネット利用がプラスに働くのはネット以外の場ですでに注目されている人なのだ。
こういうことを考え合わせると、ネット利用で選挙に関心を持つ人が増えるということは効果が薄いし、無名でも支持者を集めやすいなんてことも起こり得ない。
普通にネットで情報発信したところで注目されることはまずないから、注目を集めるためにわざと炎上させる候補者も出てくるだろう。まぁ注目は集めてもそんな浅はかな輩が当選するかはわからないが。
また先ほども書いたがメールでの選挙運動は受け取る側にとっては迷惑メールに感じる人もいるわけだ。選挙期間中街宣車で名前を連呼しながら走り回る行為について、それを騒音と感じる人が少なからずいるのと同様である。これも数が少なければ我慢する人も多いだろうが、量が増えれば、堪忍袋の緒が切れて選挙嫌いになる人だって出かねない。
そんな危険を冒してまでネットを選挙に積極的に利用する理由があるだろうか。選挙にネットを利用するのは構わない。しかし規制緩和して選挙嫌いを増やす可能性を高めるようなことはすべきではない。





とりあえずはこんなところかな。
質問内容についてはともかく、前回までのシンプルな画面のほうが私には好感が持てた。というか今回のほうがわかりやすいって人はどのくらいいるのだろうか。
画面のエフェクトに凝るよりも質問内容をしっかりさせてくれよって気がしないでもない。


次回はどんなものになるのだろうか。

テーマ : 2013参議院選挙
ジャンル : 政治・経済

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