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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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今年は富士山に登れなかったので周辺散策に行ってきた

先週13日から15日にかけて富士山に行ってきた。

今年は富士山登頂を目指した富士登山には行けなかったのだが、その代わりと言っては何だが、5合目までのルートを中心に歩き回ってきた。
今回は訳あってGPSは携帯していなかったのだが、後半部分はGPSでログをとっておきたかったなぁ。

で、半ば恒例になっているけど、今回の記録についても相当危ないことをやっている。
真似しちゃだめだよ。どっちの人も。中途半端に失敗してもなんだから。




さて、山に入る前にまずは神様にごあいさつ。今回訪れたのは河口湖畔にある富士御室浅間神社である。
富士御室浅間神社

もともとこの場所は里宮なのだが、
富士御室浅間神社里宮

吉田口2合目にあった山宮もここに移築されている。
富士御室浅間神社山宮


山宮は吉田口にあったわけだが、吉田口登山道の起点がこの場だったというわけではない。いくらなんでもそんな遠回りはしないだろう。さらに言えば、船津口登山道というものも比較的近くにあるが、これの起点もここではないと思う。ということで、私もここから直接富士山に登るというコースは取らない。
まずは、道の駅なるさわの近くにある溶岩樹型を見物しに行くことにする。
まぁ、本来ならば県道714号線に出たところでバスに乗るところなのだが、このバスの本数が少なく、待っている時間に歩けてしまうのではないかということで、この区間も歩くことにする。

しかし夏が終わったとはいえ、まだまだ暑い。河口湖駅から御室浅間神社まで約30分、神社から溶岩樹型まで約1時間40分。時間・距離的には大したことないのだが、それなりに体力を消耗した。


そんなこんなで到着した溶岩樹型。
鳴沢溶岩樹型群入口

溶岩樹形というのは、流れてきた溶岩が木を呑みこんで冷え固まり、その呑み込まれた木が燃え尽きることによってできた穴のことである。特別天然記念物に指定されるだけのことがあり、珍しい地形といえよう。ここ、鳴沢溶岩樹型群はそんな穴がいくつも見られるのだ。

溶岩樹型
鳴沢の溶岩樹型はこのように縦穴が多いのだが、呑み込まれた木が倒れていれば横穴型の溶岩樹型もできるわけだ。


溶岩樹型見物の後、すぐ近くにある道の駅なるさわで一休み。言い忘れていたが、この時は前日の夕食以降何も食べていなかった。水分補給はこまめにしていたものの、水と無糖茶のみ。この道の駅でスポーツ飲料を飲んだがこれに含まれるカロリーくらいしかエネルギーの補給はしていない。しかしそれほど空腹は感じなかったなぁ。それに、それほど高低差のない平たんな道のりだったせいもあるが、歩いていてエネルギー切れを感じることもなかった。


ゆっくり休憩した後、県道71号線を通って、目指すは富士風穴。風穴というと富岳風穴や鳴沢氷穴などが有名だが、そのような観光地化された風穴ばかりではない。富士山周辺にはいろいろな穴があるのだ。
そういえば県道71号線との合流点近くに鳴沢蝙蝠穴というのもあったようだけれど、ここには行き損ねた。蝙蝠穴も有名なのは西湖蝙蝠穴なのだけれども。

とにかく1時間以上歩いたころに、県道71号線と精進湖口登山道が交差する場所に到着する。
精進湖口登山道入口
バスの時刻がうまい具合に合えば道の駅なるさわから赤池までバスで移動し、精進湖口登山道を最初から楽しむということもできたかもしれないのだが、バスがないから…。まぁ、途中からといえど精進湖口登山道の一合目より下から歩いているのだからまぁよいか。

精進湖口登山道を歩き始めて10分ほどすると、富士風穴の入り口が見えてくる。
富士風穴入口

穴そのものの入り口は窪地の底にあるのだが、穴に入らずともこの窪地には冷気がたまっており、かなりひんやりとしている。
富士風穴

せっかくだから中に入ってみる。しかし結論から言うと失敗。
まず第一に光量不足。ここは観光地化されていないから当然洞内に照明などない。もちろん私はヘッドライトは装備してはいるのだが、洞内の広さに対し、一個のヘッドライトでは全く光量が足りておらず、洞内を見渡せるような状況にはなかった。ここはヘッドライトをそれぞれが装備した複数人で行くか、一人で複数個のライトを装備するなどして光量を補わなければ楽しめないのではなかろうか。
第二に時期が悪かった。水面に薄氷は張っているものの、凍りついてはいないため(光量不足で足元が不安ということもあり)奥までは進めなかった。一応、軽アイゼンなども準備してはいたのだが、今の時期なら軽アイゼンよりも長靴の方が役に立ったかもしれない。それに凍りついていれば氷によって光が反射して、多少は洞内を見渡しやすくなったかもしれない。とにかく見るならやはりもっと寒い時期のほうがよかったようだ。
富士風穴内部



そんなこんなで富士風穴を後にして、さらに精進湖口登山道を進むことに。

精進湖口登山道というのは樹海の真っただ中を通る道であり、字面で見ると物々しいが、実際にはごく普通のハイキングコースと大差ない。道筋がはっきりしているからわざわざコンパスを取り出してみることはなかったのだが、コンパスが狂うということもないはずである。まぁ地面に直置きすれば多少狂うかもしれないけれども、普通に使用する分には問題ないはずである。


そうこうしているうちに日没。暗くなってきた。
予定では完全に暗くなる前に5合目付近まで行くつもりだったのだけれども、出発時間がやや遅めになってしまったことによりバスの時間が合わなくなり、相当時間をロスしていたので、予定よりだいぶ下で暗くなってしまったのだ。道筋がはっきりしており、暗くなっても迷う心配はなかったのでしばらくは進んだのだが、いい加減足も疲れてきたので、3合目付近で一夜を明かすことに。






まぁここまではごく普通のハイキング記録である(もちろんここまでの中にも真似してはいけない部分があるにはあるが)。しかしここから先は本当に真似しちゃいけない。(真似されたくなければ書かなければよいという突込みはとりあえず却下)


この日の鳴沢村の予想最低気温は16度であった。この3合目というのは村の中心部と比べて700メートルくらいは標高が高いから、計算上は4度くらい低い12度前後まで下がる可能性があるわけだ。まぁ実際にはそう単純なものでもないだろうけれども少なくとも15度以下にはなるんじゃないかな。
そういう環境でである。24時間以上の絶食をし、平地を暑い中数時間、山道を数時間歩いて体力もそこそこ使った者が、汗でビショビショの服のまま、アルコール度数25度の焼酎220mlカップ2杯飲んで屋外で寝たわけである。
9時間ぐっすり眠ったなぁ。いや、翌朝目を覚ました時、二日酔い状態だったことを考えると睡眠というより昏睡に近かったのかな?
でも二日酔い以外何の症状も出なかった。夏の間には花火大会やら屋外ライブやらでゲリラ豪雨に合った程度で低体温症で救急搬送されたものがいるくらいなのに、それより過酷な状況だったと思うんだけどなぁ。

まぁ、仕方がないから、日が昇って暖かくなってきたし、二日酔いの症状が改善するまでもう3時間ほど睡眠をとって、さらに上を目指す。





精進湖口登山道の3合目以降は船津口登山道旧バス通りと合流しているので、なお一層道筋がはっきりしている。
体を冷やしたことにより股関節痛やひざ痛が出るかと思ったのだが、特にそのような兆候はない。十分な休息をとったこともあり、むしろ快調といえるくらい。

途中で雨が降り始めるものの、生い茂った木のおかげで、レインスーツを着るまでもなくそれほど濡れない。

そんなこんなで4合目に到着。ここには山小屋跡の廃墟があるのだが、その向かい側には小御岳第一氷穴がある。
小御岳第一氷穴

入口の所に木枠があるところをみると中に入ることができるのかな?でも入り口までの斜面の落ち葉の積もり具合からみると、長いこと誰も入っていなそうに見える。後で調べてみたところ、この第一氷穴は15メートルくらいの長さしか確認されていないらしい。実際はもっと長いことをうかがわせる表記の仕方だけれど。

今回は気分が乗らなかったので入ってみることはせず、上から眺めただけ。第二氷穴や第三氷穴も付近にあるはずだけれど、その探索も今回はパス。さらに上へ向かう。

そしてスバルライン5合目駐車場に到着。今回は精進湖口登山道は途中からの踏破となってしまったが、赤池から県道71号線までの区間も今回歩いた区間と同程度に整備されているのだとしたら、距離こそ長いものの非常に歩きやすいルートのように感じた。ふもとから富士登山する際の選択肢としては十分なコースだろう。むしろ距離が長いだけで物足りなさすら感じてしまうかもしれない。そう考えると、精進湖口登山道を直登するのではなく、寄生火山がたくさんあるルートなので、寄り道しながら登った方が断然楽しいだろう。あと風穴類も富士風穴や小御岳氷穴だけでなく、寄り道すれば他にも多数あるし。


五合目は相変わらずの人の多さである。もう九月中旬だというのにまだ山頂を目指す(?)ツアーなどもあるようである。霧雨程度とはいえ雨が降ったりやんだりしているようななか次々と団体が出発していく。というか台風が近づいてきている中、本当に頂上を目指すの?馬鹿じゃないの?シーズン中だって台風が近づいているときには登るのはやめておいた方がよいのに、今はオフシーズンなんだよ?いや、人のことを批判できる立場じゃないんだけどさ。

そんな団体を見送りながら、神社に参拝に行ったりトイレに行ったり休憩室でダラダラしたりと時間をつぶす。でも食事はしない(笑)。でもまたここでスポーツ飲料を買って飲んじゃったんだよな。カロリー有りのやつを。


しばらくして雨がやんだころを見計らって私も出発。適当なところで道から外れた林の中に。もっと高度を上げれば気温は下がるかもしれないけれど、樹林帯を抜けちゃうと目立っちゃうからね。
暗くなるまでは本を読んだりしながら時間をつぶす。暗くなると頂上までの各山小屋の明かりが煌々と灯っている。ということはやはり登頂を目指す人たちが少なからずいるということか。







何度も繰り返しになるが、ここからまた真似してはいけないところである。

夜になってもしばらくは月が見えたりするような天気だったのだが、台風の影響もあって雨が降り始める。そしてだんだん強い降り方になってくる。風も強くなってくる。計算上最低気温が10度以下になる場所である。絶食時間は48時間を超えている。前日と比べて運動量は少ないものの、それでも山道を数時間は歩いてそれなりに体力を消耗したはずである。レインスーツを着ることもなくびしょぬれになったところでアルコール度数25度の焼酎220mlカップ1杯を飲んで寝る。本当は2杯飲みたいところではあったのだが、持ってきていたのが前日分と合わせて3杯分だけなので仕方がない。というかこの1杯というのもあくまでも予備として持ってきただけで本来は使用しない予定だったんだが…。
さすがに焼酎1杯だけでは朝まで眠ることができなかった。日の出前に目が覚めてしまった。いまだに強い雨が降り、風が吹き付けてくる。震えが止まらなかったから、それなりに体温も下がっていたことだろう。しかしそれも日の出までの間のわずかな時間に過ぎなかった。日の出時間を過ぎるころになると震えも徐々におさまってくる。体温が下がり過ぎて感覚がマヒしたわけではなく、単純に気温が上がり始めたから。そうこうしているうちに雨もやんできてしまう。というか日まで差してくる。虹なんかも出ちゃったりして。
仕方がないからあきらめて帰宅することにする。とはいってもあからさまにびしょぬれの状態で人前に出ると通報されたりして面倒だから適度に水気が切れるまで待ってからの出発である。
よく見れば濡れていることが分かるもののパッと見た目では分からない程度まで水気が切れたところでスバルライン五合目に戻って水を購入。でもやっぱり食事はしない(笑)。

しかし一昨年だったか、7月中旬にもっと標高の低い御殿場口五合目で一夜を過ごした時は、濡れていたわけでもないのに「これはけっこう危なかったなぁ」と感じたものだけれどねぇ。

ここから須走口に向かうことにする。六合目まで登りコノスジ中途道を使っていく。もう何回も通ったルートだ。
ただ今回はちょっと趣向を変える。例の、コノスジ中途道の途中から砂払い五合目へ向かう、あのルートに挑戦してみようというのだ。
相変わらず体を冷やした割には股関節痛もひざ痛も出ていない。というか、絶食時間が60時間を超え、その間それなりの距離を山歩きし、夜は体温維持のために相当エネルギーを消費したであろうに、須走口五合目までの行程に体力的不安を全く感じないって…。さらに言えば低体温症どころか肺炎の兆候もないって…。
まぁとにかく進むのみ。

思ったとおり、例の分岐の所から謎のルートに突入すると、踏み跡がはっきりしているのは最初だけ。おまけにマーキングの間隔が長すぎて次のマーキングが見つけられない状態。踏み跡が不明瞭なところもあれば、逆にキノコ採りの踏み跡であろうか、複数の踏み跡が混在しているところもある。まぁ人が通ったことがあるのはペットボトルやら空き缶やらが所々に落ちていることからもわかるのだがルートははっきりしない。
いつもならGPSで位置を確認しながら進むところだが、今回はGPSを持ってきていない。とりあえずコンパスを見て南に向かうように進路を決めて進む。南に向かっていれば本来のルートから外れていたとしてもどこかで須走口登山道にぶつかるはずだから。

で、そうこうしているうちに何とか須走口登山道にぶつかった。思っていたより下に接続したなぁ。
須走口5合目付近図
本来のルートはもっと上で、本当に砂払い五合目まで行けるのかもしれないけれど、とりあえず今回接続した部分にも踏み跡が残っていることから考えると、正規のルートかは別として、主にキノコ採りの人であろうがここを通っている人が少なからずいるということだろう。GPSのログがあればもう少し詳しく分析して正規のルートを推測することもできたかもしれないけれども、惜しいことをした。でも、もともとはここを通ることは予定になかったのだから仕方がない。


そんなこんなで須走口五合目に無事到着。さすがに人は少ない。まぁ台風が近づいてきているのだから当然か。それでもごく少数ながら駐車場から山小屋方向に向かってくる人もいる。まさかこれから登頂を目指すわけではあるまい。小富士までのハイキングか?キノコ採りにいくにしては少々遅い時間だし。






帰宅後体重を量ってみたら、絶食72時間で、あれだけ苦労したのに出発前より2kgしか減ってなかった。どんだけ省エネ体質なんだよ私は!!
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テーマ : 登山・ハイキング
ジャンル : 旅行

富士山が世界遺産に登録

富士山が正式に世界遺産に登録された。事前勧告を覆して三保松原も構成要件として認められた。まずはめでたいことである。

この世界遺産登録によって富士山を訪れる人が増えるだろう。その分環境に負荷がかかるので環境保全のために入山料を徴収しようというのはわかる。そうした環境保全のための入山料なら喜んで協力したいところではある。

しかしながら入山者制限をするために入山料を高額に設定しようという動きには同意できない。入場者数を昨年までのレベルに抑えるためには入山料を7000円にしなければならないなんて試算があるらしいが、とんでもないことである。

まず今回の世界遺産登録は自然遺産登録ではなく文化遺産登録であり、信仰・美術に与えた影響が評価されたものである。富士山に登ること自体が一種の信仰に基づくものといえる。
なにも信仰に基づく登山は富士講などに限ったものではない。たとえば多くの人はご来光を求めて登っているが、これだって、日本で最も高い場所から見える日の出を尊んでいるわけである。
そうした信仰心に、貧富による格差を生じさせてよいものであろうか。
信仰心などなくても金さえあれば登れ、どんなに信仰心が篤くとも金を払えなければ登ることが許されないというのでは、今以上に富士登山がレジャー化することになる。

信仰の対象であったから世界遺産に登録されたのに、どんどん信仰からかけ離れたほうにすすめるのでは、何のための世界遺産かわからない。というか下手すると将来、世界遺産から登録抹消なんて不名誉な事態になりかねないのではないか。


今年は開山中の一部の期間のみで、1000円程度を任意で徴収することを試験的に行うらしい。その試験的徴収によって得られたデータに基づき来年以降の方針を決めるのであろうが、くれぐれも環境保全のためという基本を逸脱しないよう願いたいものである。

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富士山 世界遺産登録へ一歩前進

世界文化遺産への登録を目指している富士山について、ユネスコの諮問機関が、「登録がふさわしい」とする勧告をまとめた。条件付きとはいえ、「登録がふさわしい」という勧告なのだから、登録はほぼ決まりだろう。富士山の価値が世界的に認められたということは喜ぶべきことであろう。

勧告では三保松原を構成要素から外すことが求められている。この辺りは難しいところである。三保松原から見る富士山というのは浮世絵から銭湯の壁画まで、さまざまなところで用いられる、いわば日本人の心象風景といってもよいもの。文化遺産として登録するのであれば構成要素に含めたいところではある。
一方、勧告で言われているように距離が離れすぎているというのもわからなくはない。距離にかかわりなく構成要件に含めるとすると、例えば、富士山信仰という文化的側面から考えて、日本各地に作られた富士塚をどう評価するかなど、際限なく範囲が広がりかねない。ある一定の距離内のもののみを構成要素とするのは仕方のないことともいえる。
日本人の心象風景たる三保松原殻の風景において人工物が視界に入る点もマイナス要因として挙げられていたが、これには反論の余地もない。



世界遺産に登録されたとして、富士山を世界遺産の名に恥じない姿に保全することも重要なことであるが、地元ではその辺のことをきちんと理解しているのだろうか。世界遺産に登録されて観光客が増えることを喜んでばかりでは困るのである。むしろ信仰の山としての登録である以上、これ以上観光地化・商業地化するのは好ましくない。また、富士山本体だけでなく周辺地域の開発・土地利用にも制限がかかるようにしなければならない。はたしてその負担について計算しているのだろうか。
一方、外国人が富士山周辺の土地を買いあさるのを抑制する効果もあるかもしれない。これはメリットといえよう。
とにかく世界遺産たる富士山をどう生かしていくかということをしっかり検討していってもらいたいものである。

2012年二回目富士登山記(3)

須走-スバルライン間の回り道や、須走-御殿場間での心理的負担により疲労感が出始めている。それにひざ痛はまだ出ていないものの股関節に違和感が出始めている。予定より遅れているがゆっくり進むしかない。

そして何とか暗くなりながらも砂走館まで到着。「今夜宿泊できます?」
当然宿泊可能。御殿場口の山小屋は予約なしでもほぼ確実に空きがあるという点で重宝する。
翌日の予定を聞かれ、しばし悩む。暑さに特に弱い私としては深夜出発のほうがよいような気もするが、足の違和感を考えれば朝までゆっくり休ませたほうがよいかもしれない。
結局朝までゆっくり休んで、朝出発することにする。


翌朝、砂走館前で日の出を見る。

20120809御来光


その後出発の準備をする。股関節の違和感はいまだに残っている。でも状況が急変しない限りは何とか登頂できるかな?

実はこの砂走館には過去何度か宿泊はしているのだが、補給で使ったことはなかった。
五合目から長距離補給場所のない御殿場口を登ってくるときには余分に水を持ってきており、深夜出発で登頂を目指す分には新たにここで購入せずとも頂上まで、持ってきた水だけで足りてしまっていたから。
しかし明るくなってからの出発ということは気温も高く汗の量も増えるだろうから、所持しているものだけでは心もとない。
ということで出発前に水を購入。自分のボトルに移しかえて空き容器を返そうとしたら「空き容器は持って降りていただくようご協力をお願いしています」だと。
まぁほかの登山道の山小屋が、その店で買った商品の空き容器は引き取ってくれるからといって、ここでも同じ対応してもらえるとは限らないというのはわかる。しかし何となく釈然としない。
御殿場口の山小屋での水の値段はほかと比べて高いように感じる。もちろん五合目の位置が他より低い高度で、ブルで運ぶ距離が長くなるため値段を上げざるを得ないのはわかる。だから御殿場口七合五勺の水の値段が吉田口頂上での値段と同じであっても仕方がない。しかし吉田口頂上の山小屋は空き容器を引き取ってくれるのだ。御殿場口では空き容器を引き取ると赤字になるほど、吉田口山頂山小屋以上に輸送費がかかるとでもいうのであろうか?
もしそうだとしても、私個人の考えを言えば、宿泊時の名物のお代わり自由カレーをやめてでも空き容器引き取りをするための資金をねん出すべきだと思う(過去の宿泊時にお代わりをしておいてこういうことを言うのもなんだが…)。名物というのは基本的サービスが充実したうえでさらに客を呼び寄せるために行うもの。サービスの改善の余地を放置しておいて名物も何もあったものではないだろう。
山小屋を利用する人の多くは登頂を目指している。そして登頂するには荷物が少なく軽いほうがよい。山小屋で補給するたびに荷物が増えるというのは登山者に余計な負担を強いることになる。そのちょっとした負担増によって、登山の楽しさより大変さが印象に残って登山をやめてしまうような人が多数出れば、結局損するのは山小屋ではないか。
百歩譲って空き容器引き取りを行わないままでいくとして、商品のラインナップをもう少しどうにかできないものであろうか?普通のペットボトルは厚い容器で、その分重いし潰してもあまり小さくならない。薄い材質のペットボトルであれば、その分軽いし小さく潰せる。登山客が持って歩かねばならないのであれば軽くて小さくつぶせるもののほうが負担が小さくて済む。




さて、明るくなってからの登山というのは確かに水の消費量が増える=その分余計に水を持たなくてはならないが、足元に注意しすぎることなく進める分、気分的には楽かもしれない。
時々強い風が吹いてくるが、まだ前回ほど強くないし、吹き続けているわけでもない。頂上に近づくにつれてもう少し強くなっても何とか登頂できるかな?

そんなこんなで御殿場口頂上到着。頂上では強い風が吹き続けている。
とりあえず、まずは浅間大社奥宮に参拝。参拝客は少ない。強風のため吉田口頂上からこっちまで回ってくる人が少ないためだろうか。

参拝後、郵便局の前に『皇紀二千六百年 敵國降伏祈願』の石が置かれているのを見つけた。

戦勝祈願

私が初めて富士山に登頂したときに見かけたがその後見かけなくなってしまった石である。もしかしたらここ数年もこの石は出してあったのに、郵便局利用者が置いたリュックに隠れて見えなかっただけなのだろうか?初見時においてあった神社前にリュックを置きっぱなしにする人はいないが、郵便局前だと、かなりの数のリュックが置いてあったような気がするから、あり得ないことではないだろう。今回は人が少なく、置いてあるリュックの数も少ないおかげで見えたのかもしれない。個人的にはこの石は郵便局前ではなく神社の前の一番目立つ場所に飾ってもらいたい。置かれたリュックなどで隠されることのないように。


さて、参拝後どうするか。強い風が吹き続ける中お鉢めぐりをするのは危険を伴う。かといってこのまま下山するというのも…。

コノシロ池と剣ヶ峰

とりあえず剣が峰まで行って様子を見て判断することにする。

強風の中、やっとの思いで剣が峰に到着。この強風の中ここまで来る人は非常に少ないようで、行列待ちをすることなく山頂まで行ける。
剣が峰を後にして先に進むのは…。無理だね。特に風が強いように感じるし、無理して進んでも時間がやたらかかることになろう。
やはりお鉢めぐりはあきらめて富士宮口頂上まで戻る。トイレの受付のおっちゃん曰く「これからもっと風が強くなるかも」。お鉢めぐりを諦めて正解だったかな?もっと風が強くなったら人が飛ぶんじゃなかろうか。


下山は御殿場口を選択。

どんどん下り、宝永山への分岐まで到着。ここより下は通ったことがない。だからこのまま御殿場口下山道を下りるつもりでここまで下りてきた。
しかしここで思いついちゃった。ここから登山道に向かい、少し下れば須走への連絡路の入口である。あの踏み跡をたどった場合須走側ではどこにつながっているのか確認したい。
実行可能か考えてみる。
ここからコース変更した場合、須走の六合目山小屋までにかかる時間は、おそらく御殿場口をこのまま五合目まで下りるのと大差ないはず。その時間補給なしで進めるだろうか?
御殿場口へは下るだけだし、もう少し下れば霧の中に突入するからそんなに暑くはならず、発汗量はそれほどでもなかろう。しかし須走に向かう場合、沢を渡るのに登り下りを繰り返さなければならないし、たまに下から吹き上げられてきた霧に包まれることがあるとはいえ基本的には炎天下を歩くことになりそう。どう考えても発汗量は抑えられず、その分多くの水が必要そうである。
この時点で持っている水は500ミリリットルとちょっと。御殿場口を下り続けるなら足りるはずだが、進路変更した場合心もとない。踏み跡が最後までしっかりしていて、迷うことなくスムーズに通過できればぎりぎりなんとかなるかもしれないが、わかっているのは行程の半分ほどの区間にすぎない。もしもの時のことを考えると、もう500ミリリットルは用意しておきたいところである。わらじ館前を通過するまでの間に思いついていれば予備の水を購入しておいたのだが、ここまで来てしまっては後の祭りである。

考えた末、「無茶はするけど無理はしない」という信条に従い、須走への連絡路の確認は別の機会に回し、当初の予定通りこのまま下ることにする。



大砂走りは快適といえるだろう。須走の砂走りは大きな石がかなり含まれており注意しながら下りた記憶があるが、御殿場の大砂走りは大きな石の含有量は須走より少ないように感じる。

新五号五勺までは比較的快適に下りてこられた。高度的には須走五合目と同じくらい。しかし御殿場口ではさらに500メートルくらいの高度差を下りなければならない。長いなぁ。しかも、ここから下は下山道とブル道の共用。ブルに踏み固められた部分は避け、砂のやわらかそうなところを歩くが、砂走り区間と比べて砂が薄いため足の負担は急増、スピードが大幅にダウンしてしまう。
頂上に登山客が少なかったことや、途中から霧に包まれたことなどから、砂走りが始まってからここまでの間では他の人は見かけなかったのだが、このスピードダウンによって、五号五勺から五合目までの間で何組もの登山客に抜かされていく。だが人は人、自分は自分。バスの時刻までにも余裕があるからそのままゆっくり下り続ける。


大石茶屋まであとわずかというところで、道端に、花をつけたアザミのあることに気付いた。

フジアザミ

あれ?フジアザミの開花時期って秋じゃなかったっけ?もう咲き始めてるのか?




そんなこんなで何とか無事五合目まで到着。バスで御殿場駅まで戻った後、新橋浅間神社に下山のあいさつをしに行って今回の全行程を終了。



今回は麓から登るというのはいったん休みにしたが、それ以上の無茶もやった。決して他人に勧められるようなことではないが、面白い経験になったとは思う。今回の経験が今後の計画にどのような影響を与えるのか、乞うご期待。



今回の行程図

20120808GPSログ

テーマ : 登山・ハイキング
ジャンル : 旅行

2012年二回目富士登山記(2) warning

            ===  warning  ===

 今回の記事には、真似すると大変危険な部分があります。絶対真似しないようお願いします。




さて、御中道とコノスジ中途道を通って須走-スバルライン間を行き来したわけであるが、今回の最大のイベントは須走-御殿場間の踏破である。六合目と七合目の間に入口があるらしい。また御中道一周した人のGPSログを見ると2750~2800メートル付近から御殿場口に向かっている。
ということで、瀬戸館を出発後、その高度まで登っていく。
そのあたりの高度には小屋跡がある。

須走本六合小屋跡

高度があっているうえ、かつて御中道の通っていたあたりに山小屋を作ったのではないかという推測も成り立つだろう。そんなわけで小屋跡周辺でそれらしきものが見当たらないか探してみる。
いや、探すまでもなくガイドロープの向こうに、黄色いペンキでマーキングされた石がみえている。一つだけでなくちょっと先まで続いているように見える。やはりここなのか?

ということで登山者が途切れる瞬間を見計らってガイドロープを超えて踏み出した。

・・・登山道から見える数メートルの範囲ではマーキングがあるのに、畝で登山道から見えなかった沢の部分まで来たらマーキングがなくなった…。踏み跡と呼べるような明瞭な跡も当然ない。今なら数メートル戻るだけで済む。にもかかわらずまるで何かに導かれるように先へ先へと足が進んでしまったのだ。
♪若さ若さってなんだ 振り向かないことさ! <この歌を知っている時点で、そんなに若くないかも(笑)
まぁ下山道は見えているのだから最悪でもそこまではいける。とはいえ正規の登山ルートではないのだから、道が分からなくなったのに進み続けるなんてことは絶対真似しちゃいけない。

踏み跡もマーキングもないとはいえ、入り口と思しき場所がある以上、かつてだれかがここを通ったのであろう。そのかつて通った人も、わざわざ歩きにくいところを選んで進んだりはしないだろう。歩きやすいところを選んで進んだとしたら…。そんな具合に踏み跡を目視できない分、心の目で見て進む。


とりあえず下山道には無事到着。ここまでの行程でマーキングも踏み跡も見失ったまま進んできたわけだから、この先のコースを見つけられないことは覚悟していた。その場合一度下って正しいルートを探しながらまた登りなおすことになるのか…。
しかしなんということか!下山道にたどり着いてそのまま下山道を横切ったところに黄色ペンキのマーキングされた石が落ちていた。石だけならばもっと上から流されてきたとも考えられるのであるが、黄色ペンキの塗られた悔いも打ちつけられている。その先にマーキングは見当たらないものの、砂の斜面に、人の歩幅程度の間隔でくぼみが続いているのは確認できる。これって図らずも正しいルートを歩いてたってこと?
そこでまた下山者が途切れる瞬間をねらって踏み出す。

・・・やっぱり数メートル進んだところで砂のくぼみも消えてしまう。でもやっぱり引き返さない <引き返せよ!!
心の目で見て進み続ける。でも最悪でも、まだブル道というエスケープルートは残っている。

そのやめる最後のチャンスであるブル道も通り過ぎてさらに進む。このころになると辺りは霧に包まれるようになる。道のない山中で霧に包まれるって、はたから見れば完全に遭難者だろうなぁ。
まぁ随時GPSで位置だけは確認しながら歩いているので、あまり心配はしていない。もっとも、何か事故に巻き込まれて動きが取れなくなったとして、現在位置が分かったところで携帯電話を所持してない私には救援要請などできないんだけどね!
アマチュア無線の免許も従事者免許は期限がないからよいとして、局免許のほうはもう長いこと更新してないから取りなおさないと使えない、というか無線機も新たに購入しなけりゃならないか…。
まぁ、なんにしてもこういう無茶なことをしようというのならば何らかの通信手段は持って行ったほうがよいかもしれない。道なき道を突き進むことも真似しちゃいけないが、通信手段を全く持たずに行くのも真似しないほうがよいと思う。


ブル道を通り過ぎて少し行ったところで、黄色ペンキのマーキングの石が落ちている。

須走-御殿場マーキング1

もとからここにあったものなのか上方から流れてきたものなのかは判別できない。ただここを通っている人は間違いなくいると思う。このペイント石に至るまでの間でも、通り過ぎた後の区間でも、所々で砂地に人の歩幅程度の間隔でくぼみが続いている場所があったし、その中には靴底のブロックパターン跡と思しき模様の残っているくぼみもあった。つまり、件のくぼみは間違いなく足跡であり、しかもその人が通ってからそれほど時間がたっていないことがわかる。その断続的に残っている足跡を結ぶ線上にこのペイント石があるのだ。昔の正規のルートはどうかはわからんが、現在はこのペイント石が一つの目印になっているのかもしれない。
しかし、足跡がずっと続いてるわけでもない場所を、行程の大部分を心の目を頼りに進んでいた割には何度も足跡に遭遇したわけだから、以前にここを通った人と私は似たような心の目(感覚)の持ち主だったのだろう。


いくつもの沢を超え進む。幻の滝の上流にあたる不浄流しも何とか超え、さらに進む。目の前にあるのは成就が沢。かなり大きな沢であるが霧はますます濃くなっているように感じる。いくら心の目で見て進み続けるとはいえ、対岸の様子も分からないまま進むというのはいささか無謀。さてどうするか。
しばし立ち止まって考えているうちに短時間だが霧が薄くなって対岸が見渡せる。その短時間であたりを見渡すと、下流のほうの岩に大きく白ペンキでマーキングしてあるのが見えた。

須走-御殿場マーキング2

さらによく見るとその岩周辺には踏み跡らしきものは見当たらないが、さらに下流にかなりはっきりした踏み跡も見える。
40メートルばかり下ってその踏み跡まで行くと、踏み跡のみならず数メートル間隔でペイントもしてある。どうやら、本来の御中道はともかく、現在の須走-御殿場間の連絡ルートは、だいぶ下のほうを通っていたらしい。
このルート、須走り側ではどこにつながっているんだろう?
すべての区間でこれほどはっきりした道なのかは分からないが、ここまではっきりしているのなら(少なくとも須走-スバルライン間の御中道のスバルライン側区間よりはるかにはっきりした道筋)登山地図に記載してくれていればよいのに。私だってここまでしっかりした道があると分かっていればわざわざ今回のような無茶はしなかった。
安全が確認できていないから登山地図に記載していないという理屈は分からないわけではないが、登山地図に記載されてなくても須走-御殿場間を通ろうとする者は(私も含めて)後を絶たないだろう。そういった者たちが好き勝手なところを歩くのと、一つのルートに収束するのとどっちが危険であろうか。仮に事故が起きた時、ルート上を捜索するのとどこにいるかもわからない遭難者を広範囲にわたって捜索するのとどっちがよいだろうか。
このルートを登山地図に載せたほうがメリットが多いような気がするんだけれどもなぁ。


とにかくはっきりした道にたどり着いたのだからそこを歩く。霧は相変わらず濃いもののここまではっきりした踏み跡+マーキングがあれば迷うこともあるまい。心の目を頼りに歩いていた時よりはるかに楽になる。しばらく進むと石を積み上げた構造物が見える。

中継施設

何かの中継施設の跡らしい。ここまで来れば御殿場口登山道までもう少しである。さらに進むと「→スバシリ」と書かれた岩もあった。

須走-御殿場マーキング3




そうこうしているうちにブル道・登山道に到着。高度的には宝永山からの連絡ルート(プリンスルート)の合流点よりも100メートルばかり下。
時間的には予定より30分ほど遅れている。まぁ、よく30分遅れ程度でここまでこられたものである。でも明るいうちに山小屋に到着できるであろうか?

                          (つづく)

テーマ : 登山・ハイキング
ジャンル : 旅行

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