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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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七夕など

今年の湘南ひらつか七夕祭りも無事終幕した。

例によって今年も浴衣ウォッチングをしたし、また強烈な人も見かけた。どう見ても50歳を超えているように見えるオバチャンがミニ浴衣着てた!年齢考えろよ!!
でも正面から写真を撮る勇気などないし、仮に撮影できたとしても顔出ししなければ意味のない写真というのはこのブログ内で使用するつもりはない。
ということで今年は浴衣ウォッチングの写真はなし。


次に七夕飾りであるが、例年以上に宣伝色が強くなったように感じたのは気のせいだろうか。
もちろん例年の飾りにもその飾りを掲出している店の名前が表示されているものは多数あった。もともと店の宣伝のために飾りを出しているのだから当然である。しかしそれでも飾りそのものがメインで店名はサブという位置づけの飾りが多かったように感じていた。
ところが今年は飾りそのものより店名を前面に押し出しているものがとくに目に付いたように感じる。
中には、凝った仕掛けどころ絵すらなく店名を大書きしているだけなんてものもあった。七夕飾りの質もだいぶ落ちたものである。平塚の七夕に訪れる観光客の目当ては七夕飾りであろうに、この体たらくでいいのだろうか。

まぁ七夕の日数はどんどん短くなるし、昔と違って七夕をやってもそれほど平塚の経済に好影響はもたらさない、というか下手すると七夕飾りによって得られる集客効果では七夕飾りの製作費用分すら回収できないし、そんな割に合わないことをやる気にならないのもよくわかる。七夕飾りコンクールで特選を何年もずっと取り続けていた店々も相次いで掲出を取りやめているくらいだし。そろそろ七夕祭り自体をやめる潮時かもしれない。

さらに言えば様々な理由をつけて縮小してきた露店エリア。これも悪い方向に向かっているように感じる。災害が起きた場合などの避難経路確保のため露店エリアから外された場所もあるが、露店エリアが縮小された分、混雑度が増した部分もある。以前なら露店の出ている車道側は混雑していても裏手になる歩道部分は比較的すいていて、混雑を避けて通り抜けることができた。七夕会場付近に住んでいる人にとって、七夕のためではなく生活のために通る人などはこの歩道が比較的すいているのを重宝していたと思うのだが、今年は歩道部分で座り込んで飲み食いする人、混雑を避けようとした見物客で歩道のほうも通り抜けが困難になっていた。近隣住民の生活に不都合が起きるのを放置するのはどうかと思うし、そもそもこんな混雑では、いざ災害が起きた時まともの避難などできないだろう。避難路を確保するための方策が別の場所の避難路をつぶす形になったのでは何のための改革かわからない。




さて、今年の七夕で、私にも多少かかわりのあるニュース。
私は「ひらつか災害ボランティアネットワーク」という団体に所属しているのだが、この団体も七夕飾りを掲出している。で、七夕飾りコンクールの『市民飾りの部』で一等をとった。まぁ、市民飾りの部の一等なんて、七夕飾りコンクールのメインである特選どころか入選よりも格の低い、大したことのない賞だと思うのだけれど、それでも一等は一等。一応喜んでおくか。

ちなみにこんな飾りだった。

ひらつか災害ボランティアネットワーク七夕飾り

要するに耐震補強も家具固定もしていないと家は傾ぎ、タンスは倒れて飛び出し、人は放り出される。耐震補強と家具固定をしとけば安心。そういうことを表した、防災意識を高めるための啓蒙飾りってことらしい。
でも何の予備知識もなくこれを見たら、リフォーム業者の宣伝飾りに見えないか?いや、別にいいけど。

ちなみに私はこの飾りを竹につるしたりおろしたりするときは手伝ったけど、デザイン・制作の段階では時間の都合がつかなくて一切かかわっていない。まぁデザインは数年前(私がこの会に入会するより前)からほとんど変わってないけど。

話が前後するが、ひらつか災害ボランティアネットワークという団体は、災害時には市の社会福祉協議会がボランティアセンターを立ち上げることになっているが、社協職員だけでは人手が足りないので、市民有志がそのボランティアセンター立ち上げの手伝いに馳せ参じようという目的で、学習・訓練している団体である。もちろん実際に被災地にボランティアに行く人もいる。

目的は立派なんだけど、広報体制が整ってないのがねぇ…。ホームページすらないんだ、これが。普段どんな活動をしているかとか、今回のように賞をもらったとかいうことをどんどん情報発信して、関心を持つ人を増やしていかなきゃだめだと思うんだけどなぁ。まぁ今回せっかく賞をもらったのに表彰式を見に行った会員はほとんどいなかったから賞状だか記念品だかを授与されている写真や映像がなく、ホームページ等で情報発信するための素材が足りないけど。(ちなみに私は行こうとはしたんだ。でも表彰式をやっている場所が例年と違う場所だったこと、正しい場所に行こうとしても道が混雑しすぎてなかなか進めなかったことにより、到着したのはちょうど市民飾りの部の表彰が終わったところだったんだ。でも表彰式の様子の撮影を頼まれていたわけではないし、というか広報担当役員ってのは別にキチンといるし、私は悪くないよね?)

会員数は27名ということになっているらしいけど定例会に出席しているのは半分以下、それに実際に災害が起こったら本人や家族が怪我したり死亡したりでボラセンの手伝いどころではないなんて人も出てくることが考えられる。いざという時に必要な人数を確保するためには、できるだけ多くの人に関心を持ってもらい入会してもらって予備人員を多数用意しておくしかないではないか。

だから情報発信力の強化を進言したいところではあるのだが…。下手に提案して「じゃぁ、あんたが担当ね!」なんて押し付けられてもなぁ。私もいつまで平塚にいられるかわからない状況なもので、かんたんに引き受けるわけにはいかんのよ。

参拝の作法

今年も無事一年を始めることができた。例年通りいくつかの神社を訪れたのだが、普段参拝などしたことのない人たちが大挙してくるせいか参拝の仕方でまごついている人を多数見かけた。それ自体はほほえましい部分もあるものの、見過ごし難い気になる点もみうけられた。まぁ私も専門家ではないので偉そうなことは言えないのだが、参拝の仕方について思うところを書いておこうと思う。あくまでも私の個人的な考え方なので、根拠を示して誤りを指摘されればあらためることも吝かではない。


まず第一に初詣の順番である。一か所にしかお参りしないのであればどこにお参りに行くかと言い換えてもよいだろう。
有名寺社仏閣に初詣に出掛ける人が多い。保守派を自称する者の中には靖国神社で年越しカウントダウンをしてそのまま靖国神社で初詣というものがいたようだ。しかしどうにもこういうのには違和感を感じるのである。
確かにどこに参拝に行かなければならないとか、どういう順番で参拝しろといった明確な指針というものは示されていない。しかしもともと初詣は氏神様に詣でるものである。そののち恵方にある寺社に詣でることも含まれるようになり、さらには氏神様でもなく恵方とも関係ない有名寺社に詣でることまでも含まれるようにまでなってしまっているわけであるが、基本は氏神様に詣でた後に崇敬する神社に詣でるのが筋である。
つまり順番としては、まず最初に日本全体の氏神様たる天照大神に、次に地元の氏神様、さらにそのあとに崇敬する神社に詣でるのが好ましいだろう。ちょうど神棚に祀る神札の順番と同じである。
とはいっても、近所に天照大神を祀る神社がない場合もあるだろう。しかし天照大神は太陽の神様でもある。初日を拝することにより、太陽を通して天照大神にご挨拶することで代替できるのではなかろうか。したがって天照大神を祀る神社に詣でるのでない限りは、初詣は日の出時刻より後になるはずである。だから有名寺社で年越しカウントダウンしてそのまま参拝というのには違和感を感じるのだ。靖国神社に初詣といえば確かに愛国心の誇示にはなるだろうが、一体何を保守したいのであろうか。


次に手水についてである。神道に限らずたいていの宗教では聖域に入るときには身を清めることが求められる。神社も聖域なのでしかるべき方法で身を清めなければならない。それが手水である。手水舎の水盤に『浄心』と書かれている場合があることからもわかる通り、手水は手と口をすすぐだけではなく、その行為を通して心を落ち着け心の穢れも洗い流すつもりで行うものである。
初詣のように人が多いと、人の波に流されて手水舎に近づけないまま神前まで行ってしまう人も少なくはないようである。しかし俗世の穢れを祓わぬまま神前に進むのは神様に対して失礼である。手水はきちんとするようにしたいものである。
ただ、東京大神宮のように手水をしなければ境内には入れないように列を誘導している、きちんとした神社がある一方、神奈川県内のとある有名神社では『右側は手水の列です。○○へ直接おいでの方は左側をお進みください』といったような看板を出していた。清浄を旨とする聖域に俗世の穢れを持ち込むことを神社自身が公式に認めてどうする!!
たとえどんなに有名でも、その御利益が広く喧伝されていても、こういうまがい物には気をつけたいものである。


さて賽銭箱の前まで来ると「ここは神社だから二回お辞儀をして二回手を打ってもう一回お辞儀すればいいんだよね?」とか「お賽銭っていつ入れるの?鈴の前?鈴の後?」といった話声が聞こえてくる。
まず、例外がないとは言えないが、基本的には神社では賽銭の後に鈴を鳴らす。寺の場合は鰐口という鈴のような銅鑼のようなものが吊るしてある場合があるが、こちらは先に鳴らしてから賽銭らしい。
賽銭・鈴の後は、神社では二拝二拍手一拝、寺は宗派によって作法が異なるが、わからなければとりあえず合掌しておけばよいと思う。まぁ浄土・浄土真宗なら南無阿弥陀仏、日蓮衆なら南無妙法蓮華経、真言宗なら南無大師遍照金剛といった具合に唱えたりできればなお良いかも。
あと細かいことであるが一点。「おててのシワとシワを合わせてシアワセ」というCMがあるが、シワとシワを合わせてもシワアワセであって幸せではなく、むしろフシとフシが合わさってしまうからフシアワセ。という冗談はさておき、柏手を打つ時や寺で合掌するとき手はずらして行うものである。
神道の場合は左手は霊を、右手は肉体を表すものとされているので、右を下というか手前にずらして柏手を打ち、そののち霊(神)に近づき一体となるという意味でずれを直して手を合わせる。
逆に仏教では右手が仏、左手が人間を表すとされているので左手を下にずらして合掌する。
ただこれらのことにこだわりすぎるあまり、形だけで心がこもらない参拝をするのは神様も喜ばないだろう。基本形は覚えておくべきではあるが、まずは心をこめたお参りを心掛けたいものである。


お参りの済んだあとおみくじを引く人も多いと思う。しかし吉凶しか見ない人も多く、何度も引きなおす人までいる。これはよろしくない。そもそもおみくじというのは、漠然と吉凶を示すものではない。祈願したことに対する神様からの助言が書かれたものである。吉凶しか見ずに助言を見ないのでは何のためにおみくじを引いているのやら…。ましてや引きなおすなど、神様の言葉を信じずその助言を無視する無礼な振る舞いにほかならない。たとえ引きなおすことで大吉を引いたところで、そのような無礼者に神様のご加護があろうはずがない。
さらにせっかく助言いただいたのにそれを置いていってどうするのだ。「神様と縁を『結ぶ』」とひっかけておみくじを結ぶ習慣が生まれたとされているが、語呂合わせで神社に結んで帰ってしまうのと、助言を持ち帰り日々の生活の指針とするためにたびたび読み返すのと、どちらが神様との縁が深まるだろうか。みくじ掛けが置かれている寺社が多いが、これは結ぶのが正式な作法だからではなく、いくら注意しても木に結ぶ輩が後を絶たないことから、木に結ばれるよりはマシという気持ちから苦肉の策として置いているだけである。そのみくじ掛けがあるのにわざわざ木に結ぶ悪質な輩もいるのは嘆かわしい。木の枝に結びつければ木の生育に悪影響を及ぼす。いわば神様の所有物を傷つける行為である。自分の家の庭樹を荒らしているものに「今年もよろしくお願いします」などといわれてうれしいだろうか。同様におみくじを木に結びつけることに何のためらいも感じないような輩に神様のご加護があろうはずがない。
おみくじは吉凶にかかわらず持ち帰るべきである。


とりあえずはこんなところであろうか。とにかく大事なのは神仏に失礼な行為はしないことである。例えば人間の上司に対してしないようなことは神様に対してもすべきでないのは自明のことであろう。神様に失礼のない、そして周囲の人から見て見苦しくない参拝を心掛けたいものである。

今年の桜

静岡市では3月20日に開花したものの、その後気温の低めの日が続いたせいか東京・神奈川のあたりでは少し遅めに感じた桜の開花。ようやく満開になった。

今年の花見として計画していたことはあったのだが、9日は雨天のため、また10日は別の用事があったため計画を実行できなかった。
まぁ、たとえ天候や都合がよかったとしても今年はその計画は自粛せざるを得なかったかもしれない。
いや、世間の自粛ムードなど関係ない。そういう意味での自粛には反対の立場なのだから。
ただ、私の場合は、一部の人から『時節柄悪ノリしすぎだっ!!』と言われそうだったから…。計画では『サクラ名所めぐり』と銘打って、芝、築地、浅草、深川、九段下、日比谷、日本橋を回る予定だった。いくら呪術器具を埋め込みに行くわけではないとは言ってもねぇ。

まぁそういうネタ的な発想はともかくとして、土日に桜見物に行けなかったので、平塚市内の桜で我慢することにする。

まず一ヵ所目。
市役所のすぐ近くにある八幡山公園。

八幡山公園の桜

ここは桜の名所というほどには桜の本数は多くはないのだが「かながわ美林50選」とか「平塚八景」とかに選ばれているらしい。まぁ、そんな大した公園だとは思っていなかったのだが、数年前に移築されてきた明治時代の洋風建物がよいアクセントになって昔より良くなったようには思う。



次に花水川(金目川)川岸。

金目川の桜

川の西岸が桜並木になっている(東岸にも桜はあるけれど、河川改修工事の後に植えられた若木のためあまり見栄えは良くない)。その桜並木で桜のトンネル状になった道を歩くのも良いのだが、あえて対岸から眺めると後ろに富士山が見える。

1月2日あれこれ

新年である。

例年通り2日には皇居参賀に行ってきた。



ちなみに2日は箱根駅伝往路の日でもある。少し早めに出かけ、スタート直後の駅伝を見送った後、そのまま皇居に向かうとちょうどよい。ただ、駅伝見物がメインの人にとっては、スタート直後の場所ってのはあまり良くないと思う。まだ集団はバラけてないし、疲れによるスピードダウンのない時である。あっという間に通り過ぎてしまって面白みがない。まぁ皇居参賀がメインの私にとってはだらだら続くよりかはよいのだが。

しかし駅伝について以前から思っているのだが、沿道の観客に配られる応援旗。確かに読売新聞社が主催してるのだから仕方がないことではあるのだが、『箱根駅伝』の文字より『読売』の文字のほうが大きいというのはどうなんだろう。観客は駅伝の応援をしているのであって読売新聞の応援をしているわけではない。宣伝として応援旗を配っているのはわかるが、ここまであからさまに宣伝するのはあまりにも品がないのではなかろうか。デザインを改め、箱根駅伝の文字を大きくした方がよいと思う。


さて駅伝が通り過ぎた後、皇居に向かう。
一回目のお出ましは10時10分。約2時間待つことになる。しかし私より前に並んでいる人は多数いる。前日からナrんでいる人もいるようである。私が待っている間は比較的暖かく、寒くはなかったのだが、前日や早朝から並んでいる人はどうだったのだろう。御苦労な事である。

さて今回のお出ましもつつがなく進んだわけであるが、今回に限らず気になっていることがある。皇族方がお出ましになるとき、帽子をかぶったままの参賀者が多数いることだ。
国旗掲揚の際は脱帽して国旗に敬意を表すのが国際的な慣例。天皇陛下も日本国の象徴という意味において国旗と同等以上に敬意を払わねばならない存在である。それを帽子をかぶったまま出迎えるというのはいかなる神経をもっているのであろうか。
例えば初詣で、神様に対して脱帽もせずにお参りする人がいるのは仕方がない。いや、『脱帽してお参りしましょう』ときちんと表示されている神社もあるのだから仕方なくなどないのだけれど、百歩譲って仕方ないとしよう。左翼がかった教育によって常識が身についていないのだから。
しかし皇居参賀に来るような人がそれではだめだろう。
この点、外人は、お出ましのときに私が帽子を脱ぐとその意味を理解できるようで、何も言わなくても帽子を脱いでくれる。私の『帽子を脱ぐ』という行為を目にしても意味を理解しない日本人が多いというのは恥ずかしいことである。
数年前、冬季オリンピックの表彰式で国歌が演奏されているときに帽子を取らずに突っ立っていた選手に対する批判が高まったことがあったが、それと同様の行為をしていることを理解していないのだろうねぇ。少なくとも皇居参賀の一回目のお出ましに参集するような比較的愛国心の強いであろう層ですらこの体たらくとは…。あの時あの選手を批判する資格のある人間ってどのくらいいたのだろう。



天皇陛下のお言葉をたまわった後、私は東京駅方面には戻らず、北の丸公園方面へ向かって通り抜けていく。目指す先は東京大神宮。
狭義の初詣は自宅近所の神社で済んでいるのであるが、神様に対する年始のご挨拶という意味において東京大神宮にもお参りしている。本当は伊勢までお参りに行きたいものの、そこまでの余裕はないので、東京大神宮を通してお伊勢参りをするわけである。もともと東京大神宮はそういう目的で作られた神社だし。
皇居から東京大神宮までの間には靖國神社もあるので、こちらにもご挨拶のお参りをしていく。
屋台なども多数出ていてにぎわってはいるものの、例年に比べて人が多いという印象はない。


靖國神社を後にして東京大神宮へ。何か例年よりも参拝者の列が長くなっていてびっくり。
名前とは裏腹に東京大神宮はそんなに大きな神社ではないが、確かに例年ある程度の行列ができている。しかし今回ほどの混雑に遭遇したことは今までなかった。良くは知らないが、最近のパワースポットブームで、何らかの紹介がされたのであろうか。

しかし東京大神宮の紹介の仕方にはいささか違和感を覚える。曰く、『縁結びの神様』だそうな。
…違うよ。
東京大神宮は伊勢を遥拝するために建てられた神社であり、当然お祀りしているのは天照皇大神と豊受大神である。豊受大神は農業、諸産業の神様であり、天照皇大神は皇祖神だから国家安寧の神様であり、また、農業、諸産業の神様でもある。どちらも縁結びが専門というわけではない。
また同社には天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神も祀られているが、これ等の神様は造化の三神と呼ばれる、世界を作った神様である。無理して関連付ければ、縁結びのその先の子宝と結び付けることもできるかもしれないが、やはり縁結びとは微妙にずれている。

ではなぜ縁結びの神様とされているかといえば、明治時代、時の皇太子殿下ご成婚の際に宮中三殿で行われた結婚の儀を模した、『神前結婚式』を創設・普及活動を行ったのが東京大神宮だったからである。つまり神様の都合ではなく人間の都合で縁結びの神様に『されてしまった』のである。これって神様に対して失礼ではなかろうか。

とにかく私は神様にご挨拶をし、日本の将来の安泰を祈願して退出。

ここは伊勢神宮とゆかりがある神社なので、正月の間は伊勢名物の赤福振る舞いをやっているのだが、参拝者数が急増したためか、赤福は品切れになってしまていた。例年こんな事態に遭遇したことはないから、今年はよほど急激に賛参拝者が増えたのだろう。皇居参賀ののちに東京大神宮に参拝し、振る舞い酒と赤福を口にすることが正月の私の恒例だったんだけれどもなぁ。赤福…。



さてこんな具合に始まった、今年はどんな年になるのであろうか。

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