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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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大日本帝國陸海軍軍楽隊演奏会・軍装会にいってきた

昨日は大日本帝國陸海軍軍楽隊演奏会・軍装会を見に行ってきた。九段の軍歌祭といったほうがわかりやすいだろうか。

今まで行こう行こうと思いつつなかなか機会がなかったのだが、今回都合がついたので急遽オークションでチケットを落札して、はじめて見物に行ってきた。まぁ当日券などもあったようなのでオークションに頼る必要はなかったのかもしれないが、当日券を必ず入手できるかわからなかったし、それなりに良い席が定価で入手できたし、結果オーライといったところであろうか。

その前に10月17日は神嘗祭の日。伊勢神宮まで行って来ることはできないので東京大神宮へ。東京大神宮を通して伊勢神宮遥拝。靖國神社の例大祭の日でもあるので、こちらにも参拝。そののち会場の九段会館へ。

九段会館は旧軍人会館。こうした軍歌イベントを行うのにふさわしい場所である。入口付近には軍服姿がちらほら。軍装会正規の出演者以外でもコスプレしている人もいるようである。

中に入ると舞台上ではリハーサル中。会場と同時に入場してもっと早くからリハーサルを見物しても楽しかったかもしれない。

少し遅れての開演。やはり生演奏は良い。歌手の皆さんの歌声も心地よい。CDなどとは音の響きが違う。サクラ大戦も生オーケストラ付きの頃はよかったなぁ。しかしこの軍楽隊、平均年齢84歳とのこと。そのパワーには圧倒される。今後もお元気で演奏を続けていただきたいものである。

軍歌演奏中には軍装隊が会場内で寸劇っぽく練り歩いている。はっきり言ってこれはいらないなぁ。いや、練り歩いてる者が水兵・海軍陸戦隊姿が多いからこのように思ったわけではない。いや、確かに陸軍の軍装が多かったらもしかしたら違和感が少なかったのかもしれないのだが。
ずっとうろうろされているのは気が散るし、だいいち、必ずしも曲にあったものが出ているわけでもない。
たとえば、第三部で歌われた「索敵行」であるとか「加藤隼戦闘隊」のときには、確かに航空兵姿の者が出てきてはいる。しかしその袖にはしっかり錨マークが。そう、海軍航空隊の格好をして出てきているのだ。しかし「索敵行」も「加藤隼戦闘隊」も陸軍航空隊の歌なんだよね…。
軍装隊にとっては自分の軍服姿を見せることが目的であって、曲とのかかわりは、「なんとなくそれっぽく見えればいい」程度に考えているのだろう。そんな風に見えてしまうから非常に鬱陶しく見えてしまうのだ。こんなことなら無理に曲の最中に客席で寸劇っぽく練り歩くのではなく、曲とは切り離して、軍装披露の時間を設けたほうが良いのではなかろうか。

第二部として田母神前空幕長の講演もあった。田母神氏の講演は何度聴いても面白い。けどそれだけ。あまりためになるとは思えない。言ってみれば、小・中学生相手に話す程度の、相当いろいろ端折った議論で、そのまま信じてしまうと大きな間違いというようなものだと思う。そのような低レベルな議論ですら許されていなかった頃のことを思えば、田母神氏の登場には意味はあったのであるが、いつまでもそのレベルにとどまっているのはかえって危険であろう。そういった意味で田母神人気には危うさも感じている。
あと、この田母神氏のサイン会が第一部の最中に行われたことも、あまり良い印象を持てなかった。確かにお忙しい方であるから、その時間帯しかサイン会を開けなかったという事情はわかるものの、演奏の最中にサインをもらいに席を立つようなことをさせるのはどうかと思う。

第三部終盤「愛国行進曲」「日の丸行進曲」「海ゆかば」と会場内全員で歌う。これぞ軍歌祭といったところである。

まぁ、思うところはないわけではないが、今後もうまく都合を合わせて軍歌祭見物に行ければと思っている。
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サクラ大戦にプチ復帰

私のハンドルネームで検索をするとサクラ大戦関連のサイトが多くヒットする。この名前自体はサクラ大戦以前より使っていたのだが、また、サクラ大戦以外(他のゲーム関連、和服関連、軍歌関連、富士山関連etc)でもこの名を使っているのだが、ネットを始めた時期の関係上、日野光治といえばサクラ大戦という状況がネット上では出来上がってしまっているようである。

そんな私であるが、ここ数年サクラ大戦から離れていた。セガ公式掲示板が廃止され、サークルシステムなるものに移行したあたりから、急速にサクラ大戦への思いが冷めたものである。
思えば『4』あたりから違和感を感じはじめ、PS2への移行でゲームの方向性に失望しつつもサクラ大戦と付き合い続けたのはセガ公式掲示板で得た交友関係ゆえであった。
歌謡ショウなどは、観劇をオフラインで集まることの口実にしていたようなものである。
しかし公式掲示板廃止に伴いこの交友関係を続ける上での連絡手段が制限されるようになり、また歌謡ショウ等も終わってしまったのだから、サクラ大戦から離れていったのも必然といえよう。

そんな私であるが、しばしの間サクラ大戦ファンに復帰することになった。
12月に行われる巴里ライブのチケットに当選してしまったのだ。いや、最初から、人気のあるであろうSS席など狙わずA席狙いで申し込んだのだから、当然といえば当然なのかもしれない。。
巴里のショウで失望したことはなかったし、青山劇場の構造を考えれば、S席やSS席でも不満は起きなかったであろうが、私にとっては、広井王子氏は信頼できる人物とは認識していないので、ショウの内容がはずれであったとしてもあきらめの着く席ということに落ち着いた。
まぁ、ショウの出来がどうあれ、古くからの友人に再会することが目的みたいなものでもある。
このショウに合わせたオフ会なんてものもあるのだろうか?あると良いなぁ。というか時期的に忘年会か?

あと、発売からだいぶたった、DS版サクラ大戦もようやく入手した。12月までの間には一回くらいはやっておこうと思う。

寝ぼけてんのか?

今年のノーベル平和賞はオバマ大統領だそうな。

「核兵器なき世界」への行動を促したというのが受賞理由らしい。しかし彼は、いったい何を成し遂げたというのか。

たとえば、核軍縮を実際に行ってきたレーガン元大統領は受賞していない。(ちなみにレーガン氏と歩調を合わせて核兵器削減を行ったゴルバチョフ氏は「冷戦を終結させた」という理由で受賞している。冷戦終結はレーガン氏あってのものでもあり、功労者の一方のみに受賞させるのはきわめて不合理)
それと比べてオバマ氏が何をしたというのか?単に理念を語ったに過ぎないではないか。

しかし核廃絶の理念を語った政治家というのも少なくはなく、オバマ氏を特別扱いするべき理由は見当たらない。

こんな実績のない夢想に賞を与えようなどとは、正気の沙汰とは思えない。ノーベル賞という名の権威を自覚しての選考なのだろうか。

ノーベル賞選考委員が左翼がかっているという話は聞いたことがあるが、実績がありながら受賞させなかったり、夢想を語っただけで受賞させたりという、こうした政治的偏向こそが平和の敵ではなかろうか。

テーマ : オバマ大統領・政権
ジャンル : 政治・経済

弱り目に祟り目

中川昭一氏死亡。

保守派の政治家としてまだまだこれから頑張ってもらわなければならない人であったのに、まことにおしい人を亡くした。

私は自民党には保守政党としての原点に戻ってほしいと願っている。売国的な総裁を担ぐような事態に失望しつつも、自民党に期待を寄せているのは、保守議員たちの存在があるからであり、中川氏にも、次の衆議院選挙で再起を果たしてもらい自民党の立て直しに力を発揮してほしいと願っていたのに。

中川氏一人を欠いたところで保守の命脈が立たれるわけではないものの、人数が力というのもまた事実。
民主党との対立軸を鮮明にするためにも保守の看板役は多いに越したことはない。保守の看板役が減ったうえに、体制選択という論点を放棄して政策論争に走ったりしたら、自民党に再起の目はないだろう。

しかし自民党は前途多難である。
今回の選挙では民主党にはめられたも同然の状況ではなかろうか。
選挙の後「他党の悪口を言うような卑怯な党は信頼できない」というような意見を投書欄で何度か見かけた。冗談ではない。誹謗中傷をしているわけではなく、現実に起こりうる危機を指摘しただけでのことであろう。

これらを見かけて初心者向け登山関連の掲示板でのやり取りを思い出した。
登山に雨具は必須。その雨具について「100円均一ショップのビニール合羽で十分」などとアドバイスする輩が出てくるのだが、破れやすく、蒸れやすい百均合羽が不適であることは言うまでもないことである。不適切どころか悪意があるのではないかとさえ疑ってしまうようなものである。したがって、別のアドバイスとどちらが正しいかを読者の判断に任せればいいではないかという意見が必ず出てくる。しかしことは、下手をすれば命にかかわる問題である。しかも初心者にとっては少ない予算でそろえられるものならその方が良いという思いがあるし、人間、自分の望むことを信じやすい傾向がある。そうである以上、不適切なアドバイスを信じて本当に百均合羽で山に登り、何らかの事故に巻き込まれる人が出ないとも限らない。読者の判断に任せて事故にあう人を座視するよりは掲示板が荒れることを承知の上で不適切なアドバイスを徹底的に論破すべきだと考える人も出てくるわけである。さて、悪いのは悪意ある不適切なアドバイスをしたものと、それを指摘したもののどちらであろうか。客観的に答えは明白であろうが、だいたい非難されるのは悪意あるアドバイスを糾弾したほうであることが多い。

今回の選挙にもこの構図が見えるような気がするのは私だけであろうか。
民主党の公約には、黙って有権者の判断にゆだねるには危険なものが含まれている。そうである以上、それをキチンと指摘した自民党は間違ったことをしていたわけではない。
しかし時間的にも労力的にも限られた中でその指摘をするのに多くを割けば、必然的に自らの政権構想を発信する余裕が削られていく。その結果「他党の悪口しか言っていない」などという印象がついてしまったのだ。
つまり民主党は、耳触りは良いものの毒が仕込まれている公約を並べたてるだけで自民党を自滅させることができたわけである。
おそらく今後もその戦術を利用されるであろう。自民党が保守政党であろうとすれば必ずこの罠にかからずにはすまない。
その罠にかかってなお自民党が勝利するには保守層の有権者の結集が必要であるが、その看板の一人が失われたのは、本当に残念である。

テーマ : 自民党
ジャンル : 政治・経済

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