丹沢大山に登ってきた(2)
前回の続き

さて、この阿夫利神社下社のところで、「もみじ汁100円」という札の付いたテントがあった。「もみじ汁?シカ肉でも入っているのか?いや、100円では肉なんて入ってるわけないよな?」などと考えつつも気になって仕方がない。まだ作っている最中のようだが、阿夫利神社参拝などをしているうちに出来上がるだろうと思い、待つことに。
しかしなかなかできない。結局13時20分近くになってようやく食べることができた。
予想通り肉らしきものは見当たらず。肉抜き豚汁のようなものであったが、「もみじ汁」の名前の由来はなんだったんだろう?
しかしここで予定外の時間を使ったことで後の予定に影響が。
13時25分下社を後にし、いざ頂上へ。
登り口の急な階段の後は、石で作った階段状の坂道が続く。しかし段の高さや幅は一定ではない。普通の階段はおろか、坂道よりもかえって体力を消耗する。
標高差でいえばこの大山はふもとから登っても1200メートル程度、富士山五合目から頂上までの標高差を下回るのだが、この歩きにくい急な階段のため、富士山に登った時よりも疲れたような気がする。まぁ、富士山でもコースによってだいぶ雰囲気が異なるようだから、一概にどちらが登りやすいなどとは言えないかもしれないが。
14時50分には阿夫利神社上社に到着。

ここからしばらくあたりの景色を眺めたのだが、天気はそれほど悪くはなかったもののうっすらモヤがかかり、見通しは良くない。下を見下ろすと伊勢原の市街地は見えるけれど平塚や相模湾までは見えないといった感じ。当然富士山も見えない。残念。
さらに少し登り山頂奥の院へ。

ここが標高1251.7メートル。頂上に到着というわけである。
15時00分下山開始。
当初の予定どおりまずは見晴らし台方面へ向かう。こちらも階段が続く。こちらの階段は丸太を使った階段であるが、脇から土が流れてしまって、単なる坂道に横たわる丸太になっているところも…。こうなってしまうと、もはや階段というより障害物である。ただでさえ下りは足の負担が大きいのに、この元階段に足が引っ掛かって転倒しそうになること数度。15時55分見晴らし台到着。やはり遠くはモヤで見えないが、ここで振り返って大山を眺める。
予定ではここから一度、二重の滝まで行き、そののち見晴らし台まで戻ってきて日向薬師方面に降りる予定だった。しかし、時間的にいって、このまま下山しても日向薬師に着くころには暗くなってしまう。二重の滝までの往復などしたら真っ暗な山道を歩くことになる。もちろんヘッドライトの準備はしてあるから、暗くなっても平気といえば平気なのだが、無理して暗闇の山道を歩くこともない。どうするか。もみじ汁の待ち時間がなかったなら当初の予定通りに進めたのだが…。まぁそれ以前に伊勢原駅から歩くなんてことをしたことも影響はしているのだが。
迷った末、二重の滝経由で下社に戻りそっちのコースで下山することに。見晴らし台での休憩ののち16時05分、二重の滝に向けて出発。
比較的歩きやすい道を進み16時20分に二重の滝に到着。

さらに進んで下社到着。すでに暗くなりかけている。ここから先、女坂を下ることにすれば街灯もあるし、ゆっくりいけば紅葉のライトアップも見ることができる。しかし私は別にライトアップをありがたがる人間ではないし、何よりライトアップ目当ての人で混雑する中に行くのも気が進まない。行きとは異なる道を通りたいという気持ちもある。ということで、街灯はないが男坂を下ることに。
やめとけばよかった…。
ただでさえ相当足に疲労を蓄積した後にあの急階段を下るのはかなりきつかった…。とくに最後の方などヘッドライトを装着しようかと思うほど暗くなる時間になっており、かなり危なかった。
男坂を下るとき何組かのグループを追い越したのだが、あのグループは暗闇の中、無事に下りれたのだろうか。かなり軽装の者も見かけたのだが。
そんなこんなで、何とか無事下山。
午前中にはなかった駐車場待ちのマイカーの列ができている。やはりこの時期は昼間の登山ではなく夜のもみじライトアップ目当ての客が多いのだろう。
暗くなっているし、車で混雑する中を歩いて伊勢原駅まで行くのもどうかと思うのでバスで伊勢原駅まで戻ることに。
そんなこんなで今回は大山に登ってきたのだが、来年の富士登山のための足慣らしとして、また、大山を別ルートで登るなり、丹沢の別の山に登るなりをしてみたいものである。

さて、この阿夫利神社下社のところで、「もみじ汁100円」という札の付いたテントがあった。「もみじ汁?シカ肉でも入っているのか?いや、100円では肉なんて入ってるわけないよな?」などと考えつつも気になって仕方がない。まだ作っている最中のようだが、阿夫利神社参拝などをしているうちに出来上がるだろうと思い、待つことに。
しかしなかなかできない。結局13時20分近くになってようやく食べることができた。
予想通り肉らしきものは見当たらず。肉抜き豚汁のようなものであったが、「もみじ汁」の名前の由来はなんだったんだろう?
しかしここで予定外の時間を使ったことで後の予定に影響が。
13時25分下社を後にし、いざ頂上へ。
登り口の急な階段の後は、石で作った階段状の坂道が続く。しかし段の高さや幅は一定ではない。普通の階段はおろか、坂道よりもかえって体力を消耗する。
標高差でいえばこの大山はふもとから登っても1200メートル程度、富士山五合目から頂上までの標高差を下回るのだが、この歩きにくい急な階段のため、富士山に登った時よりも疲れたような気がする。まぁ、富士山でもコースによってだいぶ雰囲気が異なるようだから、一概にどちらが登りやすいなどとは言えないかもしれないが。
14時50分には阿夫利神社上社に到着。

ここからしばらくあたりの景色を眺めたのだが、天気はそれほど悪くはなかったもののうっすらモヤがかかり、見通しは良くない。下を見下ろすと伊勢原の市街地は見えるけれど平塚や相模湾までは見えないといった感じ。当然富士山も見えない。残念。
さらに少し登り山頂奥の院へ。

ここが標高1251.7メートル。頂上に到着というわけである。
15時00分下山開始。
当初の予定どおりまずは見晴らし台方面へ向かう。こちらも階段が続く。こちらの階段は丸太を使った階段であるが、脇から土が流れてしまって、単なる坂道に横たわる丸太になっているところも…。こうなってしまうと、もはや階段というより障害物である。ただでさえ下りは足の負担が大きいのに、この元階段に足が引っ掛かって転倒しそうになること数度。15時55分見晴らし台到着。やはり遠くはモヤで見えないが、ここで振り返って大山を眺める。
予定ではここから一度、二重の滝まで行き、そののち見晴らし台まで戻ってきて日向薬師方面に降りる予定だった。しかし、時間的にいって、このまま下山しても日向薬師に着くころには暗くなってしまう。二重の滝までの往復などしたら真っ暗な山道を歩くことになる。もちろんヘッドライトの準備はしてあるから、暗くなっても平気といえば平気なのだが、無理して暗闇の山道を歩くこともない。どうするか。もみじ汁の待ち時間がなかったなら当初の予定通りに進めたのだが…。まぁそれ以前に伊勢原駅から歩くなんてことをしたことも影響はしているのだが。
迷った末、二重の滝経由で下社に戻りそっちのコースで下山することに。見晴らし台での休憩ののち16時05分、二重の滝に向けて出発。
比較的歩きやすい道を進み16時20分に二重の滝に到着。

さらに進んで下社到着。すでに暗くなりかけている。ここから先、女坂を下ることにすれば街灯もあるし、ゆっくりいけば紅葉のライトアップも見ることができる。しかし私は別にライトアップをありがたがる人間ではないし、何よりライトアップ目当ての人で混雑する中に行くのも気が進まない。行きとは異なる道を通りたいという気持ちもある。ということで、街灯はないが男坂を下ることに。
やめとけばよかった…。
ただでさえ相当足に疲労を蓄積した後にあの急階段を下るのはかなりきつかった…。とくに最後の方などヘッドライトを装着しようかと思うほど暗くなる時間になっており、かなり危なかった。
男坂を下るとき何組かのグループを追い越したのだが、あのグループは暗闇の中、無事に下りれたのだろうか。かなり軽装の者も見かけたのだが。
そんなこんなで、何とか無事下山。
午前中にはなかった駐車場待ちのマイカーの列ができている。やはりこの時期は昼間の登山ではなく夜のもみじライトアップ目当ての客が多いのだろう。
暗くなっているし、車で混雑する中を歩いて伊勢原駅まで行くのもどうかと思うのでバスで伊勢原駅まで戻ることに。
そんなこんなで今回は大山に登ってきたのだが、来年の富士登山のための足慣らしとして、また、大山を別ルートで登るなり、丹沢の別の山に登るなりをしてみたいものである。
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丹沢大山に登ってきた(1)
昨日21日に、紅葉狩りも兼ねて丹沢大山に登ってきた。
9時25分
伊勢原駅出発。当初はバスに乗車するつもりだったのだが、なんとなく気分で歩いて大山まで行くことにしてしまった。大山は1200メートルちょっとの山。途中までといってもバスに乗ってしまうのもどうか、という気分もなかったとは言わない。まぁ、産業能率大学の近くまでなら、傾斜も極めて緩やかなのだからバスに乗って行っても、ふもとから登ったことになるのかもしれないのだが。
歩くこと約1時間40分。バスに乗ってきた場合の終点、大山ケーブルバス停に到着。
紅葉祭り初日だし、天気も良いから結構混んでいるのかと思ったのだが…。いや、確かにここまでのバスの車内はそれなりに混雑しているように見えたのだが、駐車場待ちのマイカーの列というものが見当たらないのだ。まぁ、人が多すぎるよりかはよいだろう。
ということで11時05分、早速登り始める。当然ケーブルカーなどには乗らない。男坂と女坂のどちらを登るか。当初の予定では下りはこちらではなく日向薬師のほうに行くつもりであった。とすると、登りの経路で紅葉の名所を通らねばならない。ということで女坂を登ることに。
まずは大山寺へ。途中何本かもみじ(イロハモミジ?)を見かけたが、まだ青葉。しかし大山寺前のもみじ(オオサカズキ)はきれいに色づいていた。

大山寺では普段はご本尊の御開帳は毎月8日、18日、28日らしいのだが、紅葉祭りの期間中も御開帳されているらしい。眼光鋭い不動明王の坐像。関東三大不動の一つともいわれるが異説もあるらしい。ここは三大不動にこだわらず関東五大不動にしてしまえばよいのに。
ここ大山寺では厄除けとして土器投げ(かわらけなげ)というのがある。厄除けと書かれた小皿を崖下に投げるというもの。さらに崖下の福輪をくぐらせることができれば願いがかなうとのこと。早速やってみる。的は結構遠く見える。フリスビーの要領で飛ばすが、的の福輪はくぐらせることはできなかった。残念。しかし厄除けはできたのか?
大山寺を後にして、阿夫利神社下社へ向けて女坂をさらに登る。阿夫利神社下社少し手前、男坂との合流地点の近くに、万国忠霊塔なるものがあるらしいので行ってみた。
この万国忠霊塔というのは古今東西すべての国の、その国のために忠節を尽くして倒れた勇士の霊を慰霊するためのものらしい。すべての国というのはいささか引っかかるものの、英霊に対する慰霊・顕彰は大切であろう。大山という場所とどのようなかかわりがあるかはわかりにくいものの、大山寺や阿夫利神社と同様、大山に来たら訪れておきたい場所であると思う。

そんなこんなで、12時25分に阿夫利神社下社に到着。こちらの参道のもみじは、大山寺の参道のもみじとは種類が違うようで、大山寺の真っ赤な紅葉に対し、こちらはオレンジ色(こっちにも真っ赤なもみじはあったけど。)。私としてはこっちの色のほうが好きかなぁ。

この下社で景色を眺めながら昼食をとることに。
9時25分
伊勢原駅出発。当初はバスに乗車するつもりだったのだが、なんとなく気分で歩いて大山まで行くことにしてしまった。大山は1200メートルちょっとの山。途中までといってもバスに乗ってしまうのもどうか、という気分もなかったとは言わない。まぁ、産業能率大学の近くまでなら、傾斜も極めて緩やかなのだからバスに乗って行っても、ふもとから登ったことになるのかもしれないのだが。
歩くこと約1時間40分。バスに乗ってきた場合の終点、大山ケーブルバス停に到着。
紅葉祭り初日だし、天気も良いから結構混んでいるのかと思ったのだが…。いや、確かにここまでのバスの車内はそれなりに混雑しているように見えたのだが、駐車場待ちのマイカーの列というものが見当たらないのだ。まぁ、人が多すぎるよりかはよいだろう。
ということで11時05分、早速登り始める。当然ケーブルカーなどには乗らない。男坂と女坂のどちらを登るか。当初の予定では下りはこちらではなく日向薬師のほうに行くつもりであった。とすると、登りの経路で紅葉の名所を通らねばならない。ということで女坂を登ることに。
まずは大山寺へ。途中何本かもみじ(イロハモミジ?)を見かけたが、まだ青葉。しかし大山寺前のもみじ(オオサカズキ)はきれいに色づいていた。

大山寺では普段はご本尊の御開帳は毎月8日、18日、28日らしいのだが、紅葉祭りの期間中も御開帳されているらしい。眼光鋭い不動明王の坐像。関東三大不動の一つともいわれるが異説もあるらしい。ここは三大不動にこだわらず関東五大不動にしてしまえばよいのに。
ここ大山寺では厄除けとして土器投げ(かわらけなげ)というのがある。厄除けと書かれた小皿を崖下に投げるというもの。さらに崖下の福輪をくぐらせることができれば願いがかなうとのこと。早速やってみる。的は結構遠く見える。フリスビーの要領で飛ばすが、的の福輪はくぐらせることはできなかった。残念。しかし厄除けはできたのか?
大山寺を後にして、阿夫利神社下社へ向けて女坂をさらに登る。阿夫利神社下社少し手前、男坂との合流地点の近くに、万国忠霊塔なるものがあるらしいので行ってみた。
この万国忠霊塔というのは古今東西すべての国の、その国のために忠節を尽くして倒れた勇士の霊を慰霊するためのものらしい。すべての国というのはいささか引っかかるものの、英霊に対する慰霊・顕彰は大切であろう。大山という場所とどのようなかかわりがあるかはわかりにくいものの、大山寺や阿夫利神社と同様、大山に来たら訪れておきたい場所であると思う。

そんなこんなで、12時25分に阿夫利神社下社に到着。こちらの参道のもみじは、大山寺の参道のもみじとは種類が違うようで、大山寺の真っ赤な紅葉に対し、こちらはオレンジ色(こっちにも真っ赤なもみじはあったけど。)。私としてはこっちの色のほうが好きかなぁ。

この下社で景色を眺めながら昼食をとることに。
天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典に思う
天皇陛下御在位20年。めでたい限りである。
11月12日には皇居前広場において、天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典が行われた。
この11月12日を臨時の祝日にするという案もあったらしいが実現せず、皇居前広場に行くことどころか、(まぁ招待状を入手できない可能性も高かったわけだが)、テレビの生中継すら見ることができなかった。
さて、この国民祭典、事前より第二部で披露される奉祝曲が注目されていたようであるが、私はこの曲に違和感を感じた。
曲調が好みでないとか、ダンスパフォーマンスが「天皇陛下御即位二十年奉祝」のイメージからかけ離れているとか、そういうことはまだ許容範囲ではあるし、天皇陛下御自身が「楽しんだ」とおっしゃっている以上、とやかく言っても仕方があるまい。
しかし歌詞に関しては許容しかねる。
この歌で歌われているのは、どこまでも「私」なのである。「○○な私でありたい」といった調子。
奉祝とは読んで字のごとく祝い奉ることであり、奉る相手のことが主題でなければ奉祝曲とは言えまい。
なるほど、曲中で歌われている太陽が、天皇陛下を表しているという解釈はできるが、何の予備知識もない者がこの歌を聴いて、太陽と天皇陛下とを結びつけられるとは到底思えない。
例えば奉祝歌ではないが、「一月一日」という歌と比較してみればよく分かる。「年の始めの 例とて」で始まるお正月の定番曲である。この一番の歌詞は正月風景を歌っているが、二番の歌詞は以下のとおりである。
初日のひかり さしいでて
四方に輝く 今朝のそら
君がみかげに比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊とけれ
(ちなみに明治時代には「初日のひかり明らけく 治まる御代の今朝の空」と歌っていた)
ここでははっきりと初日の光を君の御影=天皇陛下のお姿になぞらえて、尊いものであると歌っている。
奉祝歌というのであれば、深読みしなければ理解できないような形でごまかすのではなく、この一月一日の歌のように、堂々と素直に表現すべきではなかろうか。
また深読みして太陽=天皇陛下と解釈しても、先述の通り、この歌の主題は太陽=天皇陛下の見守る中を生きる「私」である。もちろん太陽なくして人間は生きていけないことを考えれば、天皇陛下をなくてはならない存在と位置づけていると解釈することはできるものの、「私」が主題の歌においては感謝の念が薄まっているように感じてしまう。極論すれば、太陽が照らしてくれなくなっても、そんな中でも頑張って生き抜く「私」を歌うことができてしまいそうな印象を受けるのだ。
さらに言えば、八紘一宇が実現し、全世界の人類が天皇陛下の下に集うという状況下でもない限りは、この歌の歌詞はどこの国でも通用する内容であり、日本という国を意識させる部分もない。
このような、日本という国についても、天皇陛下の存在についても歌詞の中では限りなく希釈したものが「天皇陛下御即位二十年」の奉祝歌であるなどと、どんな神経なら主張することができるのであろうか。この国民祭典の主催者は事前にチェックしなかったのであろうか?
国民祭典を実行しようというくらいなのだから保守的な考え方を持った方々が主催しているのであろうが、それでもこの体たらくとは…。
天皇陛下御在位20年を祝う気持ちに水を差されたような気分である。
11月12日には皇居前広場において、天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典が行われた。
この11月12日を臨時の祝日にするという案もあったらしいが実現せず、皇居前広場に行くことどころか、(まぁ招待状を入手できない可能性も高かったわけだが)、テレビの生中継すら見ることができなかった。
さて、この国民祭典、事前より第二部で披露される奉祝曲が注目されていたようであるが、私はこの曲に違和感を感じた。
曲調が好みでないとか、ダンスパフォーマンスが「天皇陛下御即位二十年奉祝」のイメージからかけ離れているとか、そういうことはまだ許容範囲ではあるし、天皇陛下御自身が「楽しんだ」とおっしゃっている以上、とやかく言っても仕方があるまい。
しかし歌詞に関しては許容しかねる。
この歌で歌われているのは、どこまでも「私」なのである。「○○な私でありたい」といった調子。
奉祝とは読んで字のごとく祝い奉ることであり、奉る相手のことが主題でなければ奉祝曲とは言えまい。
なるほど、曲中で歌われている太陽が、天皇陛下を表しているという解釈はできるが、何の予備知識もない者がこの歌を聴いて、太陽と天皇陛下とを結びつけられるとは到底思えない。
例えば奉祝歌ではないが、「一月一日」という歌と比較してみればよく分かる。「年の始めの 例とて」で始まるお正月の定番曲である。この一番の歌詞は正月風景を歌っているが、二番の歌詞は以下のとおりである。
初日のひかり さしいでて
四方に輝く 今朝のそら
君がみかげに比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊とけれ
(ちなみに明治時代には「初日のひかり明らけく 治まる御代の今朝の空」と歌っていた)
ここでははっきりと初日の光を君の御影=天皇陛下のお姿になぞらえて、尊いものであると歌っている。
奉祝歌というのであれば、深読みしなければ理解できないような形でごまかすのではなく、この一月一日の歌のように、堂々と素直に表現すべきではなかろうか。
また深読みして太陽=天皇陛下と解釈しても、先述の通り、この歌の主題は太陽=天皇陛下の見守る中を生きる「私」である。もちろん太陽なくして人間は生きていけないことを考えれば、天皇陛下をなくてはならない存在と位置づけていると解釈することはできるものの、「私」が主題の歌においては感謝の念が薄まっているように感じてしまう。極論すれば、太陽が照らしてくれなくなっても、そんな中でも頑張って生き抜く「私」を歌うことができてしまいそうな印象を受けるのだ。
さらに言えば、八紘一宇が実現し、全世界の人類が天皇陛下の下に集うという状況下でもない限りは、この歌の歌詞はどこの国でも通用する内容であり、日本という国を意識させる部分もない。
このような、日本という国についても、天皇陛下の存在についても歌詞の中では限りなく希釈したものが「天皇陛下御即位二十年」の奉祝歌であるなどと、どんな神経なら主張することができるのであろうか。この国民祭典の主催者は事前にチェックしなかったのであろうか?
国民祭典を実行しようというくらいなのだから保守的な考え方を持った方々が主催しているのであろうが、それでもこの体たらくとは…。
天皇陛下御在位20年を祝う気持ちに水を差されたような気分である。
軍歌カラオケオフなど
11月3日に軍歌カラオケのオフ会に行ってきた。
その前に、11月3日は明治節。まず朝に明治神宮参拝。
そののち明治神宮で行われる古武道の奉納演武の見物。
戸山流の演武もあった。この戸山流というのは陸軍戸山学校の軍刀術をもとに作られた居合術。古武道というにはいささか歴史が浅いが、まぁ、戸山学校の軍刀術自体が古武術を研究して作られたものだから、戸山流も古武道の範疇に入れてもよいのか?
この戸山流、やってみたい気もするが、道場が西日本に偏っているように見えるのは気のせいだろうか?近場に道場があればよかったのだが…。
古武道の演武は朝から夕方近くまでさまざまな流派がやっているのだが、今回は午前中だけで見物を終了して次の場所へ。
次は日本青年館で行われる明治節奉祝の集い。この集いは、明治維新から140年目の昨年に、「文化の日」を「明治の日」に改める運動としてはじまり、今年で2回目とのこと。
確かに「みどりの日」などというわけのわからない名称にされていた先帝陛下のお誕生日を「昭和の日」と改称したのであるから、「文化の日」も本来の姿に戻すべきだという趣旨には共感できる。
しかしまだ2回目だからなのか、明治節という名称がすでに死語となっているのか、同じ会場で何度も行われている紀元節奉祝の集いと比べて参加人数は少なかった。今後この運動が大きくなっていくことを期待したい。
そして18時。軍歌カラオケオフ開始。
今回は私の作ったカラオケ映像DVDとポータブルDVDプレーヤーをもっていっていたので、店のモニターとポータブルDVDプレーヤーの接続確認もかねて、持っていった曲の中の「明治節」の歌から開始。
カラオケの機種はDAM。ネット上でDAMの曲の軍歌を検索すると40曲くらいがヒットするのだが、店の端末で軍歌を検索すると18曲しか出てこないのはどういうことか?曲名検索で曲の有無を確認しながらというのはいささか利便性に欠ける。ネット上の検索方法と端末の検索方法を同じにすることはできないのだろうか?
DAMは比較的軍歌が多いほうではあるが、それでも3時間半という時間の中では曲数が足りない。自作DVDを持っていったのは正解であるが、基本的にこのDVDは自分で歌うためのもの(軍歌カラオケの曲数が多い「昔のうたの店」に行ったとき、それでも私の歌いたい曲が少なかったことから作成を決意した)であるため、必ずしもほかの参加者が歌いたい曲は含まれていない。もっと曲数を増やしていきたいものの、海軍がらみの曲のカラオケ映像を作る気は全くない。誰か軍歌カラオケ映像を作る人をもう一人くらい仲間に加えたいものである。軍歌を歌い継ぐ会のほうで多数の軍歌カラオケ映像を作っておられる方はいるものの、ある意味マニアックすぎてついていける人が少なそうだし、もう少しライトなファン向けのものを作ってくれる人が欲しいところである。
今回のカラオケオフは普通のカラオケ店を利用したが、次はどうなるのだろうか。「昔のうたの店」や「宜候」の名は上がっているし、また普通のカラオケ店での開催ということも考慮に入れているだろう。
しかしいずれにしても夜の開催が想定されていそうである。もちろん軍歌ファンには大人が多いとは思うのだが、私が開催した軍歌カラオケオフには未成年者も参加している。できれば未成年者でも参加しやすいように昼間の開催も検討してほしい。(昼間のほうが料金的にも安くあげられるし。私はカラオケオフの幹事をするときは、歌うこと以外の料金はできるだけ切り詰めて、参加者の負担を少なくするよう心がけているのだが、この不況の時代、未成年者に限らず、金銭的負担が少ないほうが良い大人もいると思う。私もその一人である)
まぁ、私が幹事で開催できれば気をもむ必要もないのではあるが、なかなか都合がつかなくて…。
かといってほかの方が幹事をやってくれようという時にあまり口を挟みすぎても…。すでに口を出しすぎている感が強い中これ以上は…。
なんにしても次回の開催を楽しみにしたい。
その前に、11月3日は明治節。まず朝に明治神宮参拝。
そののち明治神宮で行われる古武道の奉納演武の見物。
戸山流の演武もあった。この戸山流というのは陸軍戸山学校の軍刀術をもとに作られた居合術。古武道というにはいささか歴史が浅いが、まぁ、戸山学校の軍刀術自体が古武術を研究して作られたものだから、戸山流も古武道の範疇に入れてもよいのか?
この戸山流、やってみたい気もするが、道場が西日本に偏っているように見えるのは気のせいだろうか?近場に道場があればよかったのだが…。
古武道の演武は朝から夕方近くまでさまざまな流派がやっているのだが、今回は午前中だけで見物を終了して次の場所へ。
次は日本青年館で行われる明治節奉祝の集い。この集いは、明治維新から140年目の昨年に、「文化の日」を「明治の日」に改める運動としてはじまり、今年で2回目とのこと。
確かに「みどりの日」などというわけのわからない名称にされていた先帝陛下のお誕生日を「昭和の日」と改称したのであるから、「文化の日」も本来の姿に戻すべきだという趣旨には共感できる。
しかしまだ2回目だからなのか、明治節という名称がすでに死語となっているのか、同じ会場で何度も行われている紀元節奉祝の集いと比べて参加人数は少なかった。今後この運動が大きくなっていくことを期待したい。
そして18時。軍歌カラオケオフ開始。
今回は私の作ったカラオケ映像DVDとポータブルDVDプレーヤーをもっていっていたので、店のモニターとポータブルDVDプレーヤーの接続確認もかねて、持っていった曲の中の「明治節」の歌から開始。
カラオケの機種はDAM。ネット上でDAMの曲の軍歌を検索すると40曲くらいがヒットするのだが、店の端末で軍歌を検索すると18曲しか出てこないのはどういうことか?曲名検索で曲の有無を確認しながらというのはいささか利便性に欠ける。ネット上の検索方法と端末の検索方法を同じにすることはできないのだろうか?
DAMは比較的軍歌が多いほうではあるが、それでも3時間半という時間の中では曲数が足りない。自作DVDを持っていったのは正解であるが、基本的にこのDVDは自分で歌うためのもの(軍歌カラオケの曲数が多い「昔のうたの店」に行ったとき、それでも私の歌いたい曲が少なかったことから作成を決意した)であるため、必ずしもほかの参加者が歌いたい曲は含まれていない。もっと曲数を増やしていきたいものの、海軍がらみの曲のカラオケ映像を作る気は全くない。誰か軍歌カラオケ映像を作る人をもう一人くらい仲間に加えたいものである。軍歌を歌い継ぐ会のほうで多数の軍歌カラオケ映像を作っておられる方はいるものの、ある意味マニアックすぎてついていける人が少なそうだし、もう少しライトなファン向けのものを作ってくれる人が欲しいところである。
今回のカラオケオフは普通のカラオケ店を利用したが、次はどうなるのだろうか。「昔のうたの店」や「宜候」の名は上がっているし、また普通のカラオケ店での開催ということも考慮に入れているだろう。
しかしいずれにしても夜の開催が想定されていそうである。もちろん軍歌ファンには大人が多いとは思うのだが、私が開催した軍歌カラオケオフには未成年者も参加している。できれば未成年者でも参加しやすいように昼間の開催も検討してほしい。(昼間のほうが料金的にも安くあげられるし。私はカラオケオフの幹事をするときは、歌うこと以外の料金はできるだけ切り詰めて、参加者の負担を少なくするよう心がけているのだが、この不況の時代、未成年者に限らず、金銭的負担が少ないほうが良い大人もいると思う。私もその一人である)
まぁ、私が幹事で開催できれば気をもむ必要もないのではあるが、なかなか都合がつかなくて…。
かといってほかの方が幹事をやってくれようという時にあまり口を挟みすぎても…。すでに口を出しすぎている感が強い中これ以上は…。
なんにしても次回の開催を楽しみにしたい。