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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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書き込みの作法

サクラ大戦サークルは相変わらず毎日誰かが書き込みをしている。まぁ、何も書き込みがなくなってしまうよりかはマシであろうか。

しかし、その書き込みについていくつか気になる点がある。


まず一点目。

一人で次々とスレッドを立てている人がいる。
まぁ、本家BBSと違って、新しいスレッドを立てると古いページから順に消えてしまうというシステムではないのだから、目くじらを立てる必要はないのかもしれない。(本家BBSでは、検索機能が付いているので古い発言から有益な情報を探し出すということが普通に行われていたこともあり、古い有益な発言を保護するため、1ページにいくつものスレッドを立てることは好まれなかった)
しかし、いくらスレッドを立てても古い発言が消えないとはいえ、別の理由からスレッドの乱立には激しい違和感を感じる。

サクラ大戦サークルというのは、サクラ大戦に関する利用者間での交流の場である。交流というのは互いにやり取りをすることであり、一方通行な関係は交流とはいえない。
スレッドを立てるということは、そのスレッドにおいて互いにやり取りをしようという意思表示に他ならない。
にもかかわらず、そんなにたくさんのスレッドを立てて、それぞれのスレッドにおいてきちんと互いにやり取りできるのだろうか。

実際にそのスレッド乱立者の行動を見ると、スレッドを立て、そこに返信があるのに、それに対してさらに返信して話題を盛り上げるというようなことをしていないばかりか、お礼すらしていない。
特にゲームをやる上で困っていることについての質問に対して丁寧に答えてくれている人がいるにもかかわらず、無反応のまま新しいスレッドを立てるというのはどうなんだろう。
質問に答えるというのはサークル利用者の義務ではない。それこそ『ググれ』の一言で済ませられても文句は言えまい。そんな中、わざわざ時間をとって返信してくれているのである。その返信が役に立ったのか立たなかったのか結果を報告する、役に立ったのならお礼をする。これは当たり前のことではないだろうか。そして、そうした当たり前のことをしてこそ交流というものが成り立つのではあるまいか。

ろくに返信もせず新しいスレッドを書き散らす行為は、私には交流しようという姿勢が見えない不快な発言にしか見えない。あそこは個人のブログではないのだ。いや、個人のブログだって交流するつもりがないならコメント不可に設定するだろうし、そうでないならコメントをくれた人に何らかの形で返信する。であるならば公の場であり交流の場と規定されている場での行動には、なおのこと配慮することが求められるのではあるまいか。


二点目。
「はじめまして」スレッドに返信をする際、自分のサイト・ブログの宣伝をしているのを見かけることがあるが、これにも違和感を感じる。
まずサークル内での交流というものがあって、そのうえで気のあった者同士、別の場所でも交流しようというのならば文句はない。しかし、はじめましてスレッドへの返信での宣伝というのはそうではあるまい。サークル内での交流を前提とせず、とにかく自分のサイトに来てくれと言っているようにしか見えない。サークルって、その程度の価値しかないのだろうか? 曲がりなりにも公式を名乗っているところだというのに。

そもそも頻繁にサークルに書き込んでいて、どんな書き込みをする人であるか知られるようになっていれば、わざわざ宣伝する必要もあるまい。ネームカードから飛べるようにしておくだけで十分だろう。サークル内でやるべきことは自サイトの宣伝ではなく、いかにサークル内での活動を充実させるかではなかろうか。

本家BBSにおいては、その呼び方からわかるようにBBSでの交流というのは、個人サイトでの交流よりも一段上の扱いを受けていた。確かにサークルは本家とは違う部分もあろう。しかし公式を名乗る場所である以上ファン同士の交流のかなめとなる場所であることに変わりはない。そのかなめとなる場所を軽視するかのように自サイトの宣伝に使うというのは、やはり私には受け入れられない。たとえ私と同様にあそこを『公式とは認めない』という立場をとっているのだとしても、サークルは単なる個人サイトと同等に扱うべき存在ではあるまい。



上で上げたような例というのは何もサークルへの書き込みに限ったことではなく、ネットの書き込み全般にも適用できる部分があるかもしれない。昔はそうしたネットでの書き込みのマナーについて教え、注意してくれる人がいた。また新しく入ってきた人もいきなり書き込んだりせず、しばらくはリードオンリーで、どんな書き込みがされているか、どんな書き込みが好まれないか、そしてそれにどんな注意をされているかなどを見て勉強してから書き込みをしたものである。
しかし今は時代が変わったと言おうか、ネットマナーを学ぶことなく好き勝手に書き込みを始めてしまうものが多い。サークルもその例にもれなかっただけのことであろう。そしてそうした無軌道な書き込みに対して注意し、指導する人もいない。

まぁ、やれと言われれば私がやってもよいが、きつい語り口の私が注意なんぞしたらサークルへの書き込み自体をやめてしまうような者もあらわれかねない。もう長いことネットをやってきているのに場違いな話を延々と続けるような馬鹿をたたきだすのに躊躇することはないだろうが、今回の相手はまだ高校生だったっけ? 若さを盾に甘えられる年齢ではあるまいが、だからと言って若い芽をつぶすというのも気が引ける。
それでも私にやらせる?
できれば別の人が注意して若い者を導いていってほしいものである。というか、このまま放置するのは気持ち悪いので、だれもやらないのなら口を出しちゃうよ? 
サークルでのもめごとが見たくないのなら、私が暴れだす前に手を打った方がよいと思うよ?
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消費増税「景気回復妨げない」?

先月だったか菅直人財務相が「増税しても使い方を間違わなければ景気はよくなる」っていうようなことを言っていたような気がする。その流れでの話だろう。財務相の諮問機関である財政制度等審議会が「消費税増税は必ずしも景気にマイナスにはならない」との認識で一致したらしい。

…それは違うんじゃないかなぁ。経済理論がそのまま現実社会で実現できるとも思ってないけれども、あまりに経済理論の基礎からかけ離れたことを言っているように見える。まぁ私は経済学の専門家ではないから思い違いしてる部分はあるかもしれないけれど…。

大雑把ではあるけれども順を追って考えてみよう。

現在の日本の状況はデフレである。デフレとは何かといえば、物の価値より貨幣の価値のほうが高くなることである。逆に貨幣の価値より物の価値のほうが高くなるのがインフレである。非常に大雑把にいってしまうと、品物の量を一定とした場合、貨幣が余っているのがインフレ、足りないのがデフレということである。ちなみにここでいう余ってるだとか足りないだとかいうのは、とりあえず市中を動いている貨幣のことであり、貯金などで動きを止めている貨幣は除外して考えるべきだろう。(厳密にいえば貯金しても銀行がその預けられた貨幣を融資という形で運用するから、本来は動いていなければならない金なんだけど、今の日本ではきちんと動いてないように見える)

そうしたことから、インフレの時には増税して市中から貨幣を回収し、デフレの時には減税により市中での貨幣の流通を促すという税の景気調整弁機能という考え方が出てくるわけである。

さて繰り返しになるが現在の日本はデフレである。したがって、ここは減税で貨幣流通を促すのがセオリーであろう。しかし、今の日本で所得税減税なんてことをしても効果は小さいだろう。所得税減税などしても、納める税金の額が少ない非正規雇用の労働者や税金を払えない失業者など、貧乏人はその恩恵を受けることができない。恩恵がなければ消費行動という形で市中に貨幣を還流できない=市中の貨幣量は増えない。そういう層が拡大しているのが今の日本だろう。

では所得税減税の恩恵を受けるほど納税している層はどうか。そういう層は減税の恩恵を受けるまでもなくそれなりに消費行動を行っている層であり、減税によって新たに消費行動をするかといえばそうとも言い切れないのではなかろうか。つまりここでも市中の貨幣量の増加にはつながりにくい。

その点消費税は、失業して収入がないものであっても生活していくうえでは支払い続けねばならない種類の税であり、これが減税されれば貧乏人にも多大な恩恵がある。この消費税減税は直接貧乏人の消費行動に影響するものだろう。デフレ対策には消費税減税を考えるべきではなかろうか。

誤解なきよう言っておくが、私は本来は消費税増税論に立っている。将来的には消費税率は15%前後にはしなければならないと思っている。しかし今は非常事態である。10年後のことを考えるのではなく、現在のデフレを何とかしなければならない。だから、『今』は消費税増税をうんぬんするのは間違いであるばかりか、むしろ減税しなければならないと思っている。増税云々の議論はデフレ脱却後でなければならない。


さて、税の景気調整弁機能という観点から消費税減税の必要性を考えたわけだが、当然それだけではデフレ脱却はできない。市中の貨幣の量を増やすために、さらなる手段を講じなければならないだろう。
貨幣の量を増やすと言えば、たとえば紙幣を大量に刷って国民に給付するということもできるかもしれない。しかし今の日本というのは、非常に高い貯蓄率を考えれば、貨幣そのものが足りないのではなく『動いている』貨幣が足りないにすぎない。この状況で紙幣を刷ったところで、貯金が増えるだけというのでは意味がない。つまり貯金などで動いていない貨幣を吐き出させて市場に流すことが肝要ということであろう。

要するに菅財務相がいっているのは、税金という手段でこの貯金を吸い上げようということだろう。税金が高くなれば貯金を取り崩さざるを得なくなるし、吸い上げた貨幣を市中に流せば貨幣不足が補える。まぁ、一見筋が通っているようには見える。

しかし菅財務相は人間というものを分かっていないのではなかろうか。この状況下で税金という形で強制的に貨幣を回収しようとすれば、民衆は余計財布のひもを固くするだけだろう。貯金を取り崩すよりも消費をますます切り詰めるという人が多いのではなかろうか。これでは市中を動いている貨幣量はますます減ってしまう。つまりデフレがますますひどくなってしまうということだ。

では貯金を吐き出させる方法がないのかといえばそんなことはない。国債を発行すればよいだけである。経済的に余裕のない層からも徴収する税金とは異なり、国債というのは経済的に余裕のある層からの徴収である。しかも自発的に買うものである。民衆の消費行動に悪影響を及ぼすことなく貨幣回収できるわけである。デフレ対策として市中に流す貨幣はこうして回収した貨幣であるべきではなかろうか。

ところが菅財務相は国債を増やさないことに力を入れ、代わりに増税するという。デフレ対策とは全く逆方向に動こうとしている。そんな財務相の諮問機関なのだから当然のこととはいえ、デフレ対策の足を引っ張ることを公認しちゃってどうするのだろう。
97年の景気後退の原因が増税のためであったとは言い切れないにしても、当時は今ほどデフレが進んではいなかったように思うし、状況が変われば増税が景気に与える悪影響の度合いも変わってくるだろう。


デフレ対策に限ったことではないが、状況を打破するためには力を出し惜しみしてはだめである。兵力の逐次投入など愚の骨頂。たとえば100人の部隊に守られた陣地を攻略しようとした時、50人の部隊で攻撃して大損害を受けたのでまた50人の部隊を送って、といった具合に兵力を小出しにするよりも、一気に300人の部隊で攻撃した方が、結局損害は少なくて済む。
それと同様、今デフレを脱却するためには小出しの景気対策ではなく、大規模な対策が必要である。そうである以上国債の発行も小出しにするのではなく大胆に行動した方が、長期的に見て少ない国債発行で済ませられるのではなかろうか。

テーマ : 経済
ジャンル : 政治・経済

ネタ動画 勝手に紹介

昨晩、サクラ大戦ファンの方とスカイプで話をした時、「何か面白い動画はないか?」というようなことをきかれた。
あいにく私は面白い動画を積極的に探すようなことはしていないうえ、そもそもニコニコ動画でもyoutubeでもサクラ大戦がらみの動画を見るのは割合的にだいぶ少ない。だからサクラ大戦ファンの方にウケるネタっていうのはそれほど知っているわけではない。

サクラ大戦にこだわらなければいくらかは提示できるかもしれないけれど、いちいちマイリストに登録していないので、発掘するのに手間取った。

ということで、いくつかの動画を勝手に紹介。

まずは軍歌・戦時歌謡・唱歌など。



アニメの歌唱シーンに戦時歌謡をのっけたもの。なかなかセンスがよろしい。


これも同じ投稿者のもの。唱歌君が代というマイナーな曲ながら、きれいにまとめられた良作。



脱力系軍歌の決定版。しかし声真似がうまいなぁ、この投稿者。



次は替え歌。



これはかなり昔からある替え歌。一部歌詞が変更されてるみたいだけど。
ちなみにこの投稿者はたぶんサクラ大戦ファン。この人の運営する軍歌サイトで一時期、檄帝が『新国民歌』に分類されていたし、たしかohji's cafe(昔あった、red公式サイトの掲示板)に書き込みをしていたはず。



檄!帝國陸海軍の日露戦争バージョン。これは紹介するまでもなく皆さんご存じだったかな?



そして、この一曲。替え歌として秀逸だったから紹介しようと思っていたんだけど、この歌をサクラ大戦にあてた作品もあったからそっちを紹介しちゃおう。

これをいきなり出されてわかる人ってどれくらいいるかわからないので説明すると、この『愛國戰隊大日本』というのは、エヴァなどで有名なGAINAXがまだDAICON FILMと名乗ってアマチュア活動していたころの特撮作品。そのオープニング主題歌は特撮番組『太陽戦隊サンバルカン』主題歌の替え歌。
まぁ保守派のこともおちょくっているように感じるんだけれど、とにかく黙って本篇を見ればいいと思う。

これ、リメイクしてくれないかなぁ。

たみでん遊



 い く す 底 だ う あ 右 違 間 だ は を を て ▼
 で れ る し か が る か つ 違 か 右 見 右 ゐ よ
 だ た 位 て ら 普 以 ら て つ ら か か か て そ
 か 方 の 、 、 通 前 書 は て 。 ら け ら 、 の
 ら が こ 縱 や と に く ゐ は   書 た 書 横 ブ
 舊 面 と 書 る も 縱 の な ゐ   く 。 い 書 ロ
 假 白 を き の 云 書 が い な   の 太 て き グ
 名 い 見 に な へ き 普 け い   が 正 ゐ の を
 遣 。 せ 挑 ら る の 通 ど 。   普 時 る 文 覗
 ひ つ て 戰 徹 の は で 、 間   通 代 の 章 い

--------------------------------- 

 一 か し ど そ そ さ が ネ 書 に 出 サ と さ に
 文 ず か ね の の す あ タ き 於 來 ク を て し
 字 馬 し 。 一 ネ が る を で て る ラ 思 そ て
 入 鹿 そ   囘 タ に の 私 書 、 前 大 ひ れ み
 力 正 の   だ を 面 だ も き 舊 、 戰 出 を た
 し 直 當   け や 倒 。 や こ 假 本 サ し 見 り
 た に 時   な つ す   つ む 名 家 | た て 。
 も 一 は   ん た ぎ   た と 遣 B ク 。 昔  
 の 文 氣   だ の て   こ 云 ひ B ル   の  
 だ 字 附   け は 、   と ふ 縱 S が   こ  

---------------------------------

 で ぜ か 子 タ そ 入 か 今 た 遣 の と に も が
 サ ひ ? 者 を れ れ う の 。 ひ ブ 云 で あ 、
 | 舊   つ や 以 ら 云 サ   縱 ロ ふ き る 實
 ク 假   て つ 前 れ ふ |   書 グ こ た の は
 ル 名   ゐ て に る ネ ク   き に と り で 便
 に 遣   る し か の タ ル   で 於 で す 、 利
 書 ひ   の ま う だ つ に   遊 て 今 る 結 な
 き 縱   だ ふ 言 ら て 於   ん 舊 囘 。 構 ツ
 込 書   ら お ふ う 受 て   で 假 は   簡 |
 ん き   う 調 ネ か け は   み 名 こ   單 ル
             ?
---------------------------------

             え れ に ん 前 私 え も 者 で
             、 て 數 ぢ に だ つ の に 笑
             私 ゐ 度 や 反 と ? で あ ひ
             は る は な 撥 ネ 自 あ ら を
             。 人 サ い す タ 分 る は 取
               物 | か る と で 。 れ り
               だ ク な 人 し や   て に
               か ル あ が て れ   ほ 行
               ら で 。 多 笑 つ   し く
               ね 暴 年 い ふ て   い 勇
                         ?
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普天間基地問題を考えてみる

やっぱりと言おうかなんと言おうか、とうとう鳩山首相も普天間問題について、「すべてを県外にというのは現実問題として難しい」と認めた。
そんな当たり前のことに気付くのに時間をかけすぎである。自民党政権下でさんざん検討した結果の落とし所であったキャンプシュワブ沿岸埋め立て案。それをひっくり返して一年足らずでそれ以上の、双方合意できる案を出せると本気で考えていたのだろうか。

また、「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」などとも述べているらしい。
米海兵隊の存在意義もわからないで、どうやって移設先を考えたんだろう?
存在意義から導かれる目的達成のためにはどうすべきかという視点もなく、単なる数字上のつじつま合わせで判断していたのだとしたら罪は重い。

しかしこれは鳩山首相に限ったことではなく、沖縄の米海兵隊がどんな役割をはたしているかなど考えたこともないという人は多いのではなかろうか。もちろん正確なところを知るのは困難であろうが、推測くらいはできるだろう。

私なりに米海兵隊が沖縄にいなければならない理由を考えてみたい。

沖縄の米海兵隊は、海外有事の際真っ先に駆けつける部隊、日本近辺に限って言えば台湾有事・朝鮮有事の際に急行する部隊とされている。
しかし朝鮮有事を考えた場合、各軍の兵力・装備などから考えて、通常戦力での衝突なら韓国軍と在韓米軍で、かなりの部分を対処できるはずであり、日本(沖縄)から米軍が出撃するにせよ、そこまでの緊急性を要しているとは考えにくい。

それに対して台湾有事の場合は、中国軍が本気で台湾に対して軍事行動を起こした場合、台湾軍だけで持ちこたえることは難しいだろうし、台湾には米軍は駐留していない。日本からの出撃は最大限の緊急性を帯びていることになる。
台湾に米軍を駐留させれば確かに話は早いがそれでは中国軍を刺激しすぎる。米軍としても中国の最初の一撃をもろに食らうのは避けたいという思惑もあるだろう。
介入できる距離ではあるが、ある程度は離れた場所に部隊を駐留させるのがベターなわけである。

さてその場合の海兵隊の運用であるが、佐世保にいる揚陸艦を呼び寄せて陸上部隊とヘリ部隊を載せ、作戦地域付近まで進出というのが、まぁ一般的な運用方法だろう。それで行けば佐世保から台湾までの間の(多少の周り道はあったとしても)どこに陸上部隊・ヘリ部隊がいてもよさそうに見える。

だがそんな教科書通りの運用以上のことが沖縄ならできるのである。沖縄の海兵隊が装備しているヘリの航続距離から考えて、揚陸艦の到着を待たず、直接沖縄から台湾に兵力を輸送することができるのである。これは揚陸艦を使う場合に比べて大幅な時間の短縮になる。(スーパースタリオンという機種の場合、航続距離は約2000㎞。戦闘時は燃料消費の激しい飛び方をするだろうから半分の1000㎞を航続距離とすると、沖縄から台湾に兵力を届けた後、石垣か宮古に着陸して補給を受けなければ沖縄本島まで帰りつけないけど)
逆に言うと、沖縄本島よりも台湾から離れてしまうと、ヘリの航続距離から、直接の兵力輸送は困難になる。

中国としてはアメリカなどの介入がないうちに早期決着をつけたいはずである。米軍の到着が遅くなれば遅くなるほど中国にとって有利な既成事実を作れる。そんな中、中国軍の動きに対して間をおかず介入できる戦力をアメリカが持つというのがどういう意味を持つかは自明のことであろう。沖縄に海兵隊がいるというのは、台湾にもしものことがあったら、中国軍に猶予を与えることなく即時介入することをアピールするものとなるのだ。
もちろん空軍戦力も即時介入するだろうが、たとえ制空権をとろうが、爆撃をしようが、最終的には陸上戦力がなければ敵陸上戦力を排除できない。即時介入できる陸上戦力である海兵隊だからこそインパクトあるアピールになるのだ。
台湾への直接兵力輸送作戦を行えない地域に海兵隊を移動させるというのは、そのアピールする力を小さくさせることにしかならない。

つまりこのアピールこそが抑止力の正体であり、沖縄に海兵隊がいるべき理由ではなかろうか。
もちろん、たとえば鳩山首相がこだわっている徳之島にヘリ部隊を移したとしても、スペック的に見れば徳之島から沖縄本島に飛んでそこで補給・陸上兵力の搭載をして台湾に飛ぶということで揚陸艦を待たずに作戦行動開始することは可能かもしれない。
しかし問題はそういう作戦が可能であるかどうかよりも、アピールになるかどうかの問題なのである。沖縄よりも遠くなればなるほどインパクトは薄くなってしまう。
ましてやグアムまで後退させてしまったら『アメリカは台湾を守る気がない』という誤った印象を与えかねない。

逆にいえば沖縄本島よりも台湾に近い場所を基地とするならばより強いアピールにはなる。しかし、単なる一時的な補給基地ならばともかく、実戦に耐えられる本格的な基地にしようとしたら、話があまりにも大きくなりすぎてしまう。単に海兵隊の部隊を移設するだけでなく、その基地を防衛するための空軍兵力や海軍兵力も引き連れていかねばならないだろうし、新たな演習地も作らねばなるまい。さすがにそれは現実的とはいえないだろう。
結局既存の部隊と連携がとれ、既存の演習地などを利用しやすい沖縄本島以外に海兵隊の駐留場所としてふさわしい場所がないのである。



「なんで外国(台湾)のために沖縄が犠牲にならなければならないんだ」という声も確かにあるだろう。しかし台湾が陥落した場合、台湾に向けられていた軍事的圧力を沖縄が真正面から受け止めねばならなくなる。また日本のシーレーンも脅かされる。つまり台湾を守るということは日本を守ることにつながるのだ。

しかし現在の日本の法制度では自衛隊が台湾有事の際に介入することはできないだろう。現状では米軍に頼るしかないのだ。



このように、沖縄に負担を強いているのは事実であるが、それは別に沖縄を差別してるとか米軍を沖縄に隔離しようとかいうのではなく、重要な拠点であるが故である。本来ならばその重要性を説明し、沖縄の住民に理解を求めるのが政治家の役割であろう。それなのに海兵隊の存在意義すら不勉強のまま思いつきで「沖縄の負担軽減」などと言ってしまうようでは政治家失格だろう。

現状では沖縄の負担を軽くはできない。それどころか今後ますます沖縄の重要性が増すことも考えられる。そんな中、どのようにその重要性を伝えるか、負担についてどう理解してもらうか。普天間問題に限らず、沖縄の基地問題はそこから始めるべきではなかろうか。

テーマ : 沖縄米軍基地問題
ジャンル : 政治・経済

憲法記念日

5月3日は憲法記念日。護憲派の集会も改憲派の集会も各地で行われたようである。私もかつてそういった集会に講演を聞きに行ったものである。最近は関心はあるもののなかなか足を運ぶまでには至ってないのだが…。

今月18日には憲法改正に必要な国民投票法が施行され、憲法改正にまた一歩進んだともいえるわけであるが、改正であろうが改悪であろうが、変えることに意義があるなんてことでは困る。日本にとって必要な憲法とはどのようなものであろうか。

まぁとにかく、憲法をネタに少し考えてみたい。

護憲派にせよ改憲派にせよ、焦点を9条とみての論調が多いように感じる。しかし憲法というのは9条のみで成り立っているわけではない。憲法の三大原則のうちの平和主義の方法論として9条があるに過ぎない。
護憲派は平和主義の実現には9条の戦力不保持が有効だと考え、改憲派は平和主義を実現するためには9条を改めて抑止力を持つべきだとする。どちらにしても平和主義という理念の枠内での議論である。

しかしここで、憲法の三大原則が正しいかどうかという検証は行われていまい。憲法というのは国柄を示すものである以上、この憲法三大原則というものが日本の国柄に合っているのかという検証抜きに憲法改正も何もないだろう。



まず憲法三大原則とは国民主権・平和主義・基本的人権の尊重であるとされる。
それぞれに考えるべき点はるかと思うが、それらすべてを書いていったらいつまでかかるかわからないので、今回はとりあえず国民主権について考えたい。

主権とは「国家の政治を最終的に決定する権利」とされている。しかし民衆は本当にそんな権利を求めているのだろうか?

権利と責務は表裏一体。「自ら責任を負って何かを決断するより、聖人なり超人なりが現れてすべての責任を背負ってくれるのを望む」のが民衆ではないだろうか。選挙という形でなんとなく政策決定に関与している気分になり、その後は無責任な立場から政権批判ができれば民衆は満足してしまうように見える。そこには権利の対価としての責任という観点が見えてこない。自ら責任を負ってまで国家の政治を決定しようなどという気概のある者がどれだけいるだろうか?

また、もし民衆が自らを統治する意思を持っているのだとしたら、その代表者は意見の調整役さえ果たせれば充分であり、強大な権限など必要ないはず。
しかし現実には大統領なり首相なりにはかなりの権限が与えられている。民主的手法とやらで選ばれているとはいえ、疑似君主といってもよいくらいではなかろうか。
君主を廃したものの人工的な擬似君主を据えなければならなかったと言うことが何を意味するのかもう一度考えるべきではなかろうか。
民衆は国家の政治を決定する際のもろもろの面倒なことを肩代わりしてくれる人を求めているという点において支配されたがっているのである。さまざまな制度を考え出すよりも決められたことに不平を言いつつも従っている方が楽だから。


つまり国民主権なんて思想自体が、現実の民衆の求めていることとは乖離しているように見えるのである。
それでも国民が政治的権利を求めて戦った歴史のある国であるならば、国民主権は国民の願いと主張することもできよう。しかし日本はそうではい。日本の国民主権というのは民衆が求めて勝ちとったものではなく、占領軍という、上から与えられたものにすぎない。
明治時代以降には自由民権運動だどか大正デモクラシーというものがあったではないかという反論もできるかもしれないが、たとえば大正デモクラシーの立役者である吉野作造自身が「日本に最も適した政治体制は民意をもとにした貴族制である」というようなことを言っていたはず。そこにあるのは、民衆をいかに政治に参画させるかという視点であって、民衆に主権を与えようという視点ではなかろう。


余談になるが、国民が政治的権利を求めて戦ったとする国というのも額面通りに受け取ってよいものか?
たとえばフランス革命などは民衆に権利がなかったから起きたという文脈で説明されることが多いように思うが、果たして国王・貴族が自らの責務を果たしていたら革命は起こったのだろうか?
民衆に義務は押しつけられているのに国王・貴族が義務を果たしていないように見えたから反乱がおきただけであり、そこには権利という概念は希薄だったのではないか?
「うちの領主さまは良い方だから革命なんて必要ない」という地域だってあり得たはず。ただそんな地域は革命後に『反革命勢力』というレッテルを貼られて粛清されてしまっただけではないのか?


このように国民主権なんてものは、特に日本の政治風土では合わないのではなかろうか。日本の国柄を示す憲法が日本の政治風土とはかけ離れたものを基準としているなどということがあってよいだろうか?

誤解なきよう言っておくが、私は民主主義なり国民主権なりについてはかなり否定的にみているが、政治に民意を反映する必要がないなどと言っているわけではない。
政権の要職にあるものだけで物事を決めるのではなく幅広く意見を集めるというのは、五箇条のご誓文の『広く会議を興し万機公論に決すべし』につながることであるし、さらにさかのぼれば十七条の憲法の『十七に曰く、夫れ事は独り断むべからず。必ず衆と論ふべし』に行きつく、日本の政治思想の伝統みたいなものである。

そうである以上日本の国柄を示す憲法は、日本になじまない『国民主権・民主主義』ではなく、日本の伝統に基づいた『民本主義』であるべきなのではなかろうか。

実務的な面からいっても、民意は尊重しなければならないが、最終的な決断を、移ろいやすい民意などに依存させては何の決断もできなくなってしまうし、たとえ民衆の支持を得られなくても国家百年の大計に必要な事をするのが政治家であり、そうした信念もなく民衆のご機嫌取りにしか能のないものでは国のかじ取りを誤るだろう。




なんにしても日本の国柄をよく体現した憲法、これからの日本を生かす憲法を望みたいものである。

テーマ : 国家論・憲法総論
ジャンル : 政治・経済

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