富士山初冠雪
甲府地方気象台は25日、富士山の初冠雪を観測したと発表した。平年より6日、昨年より12日早い。
(http://mainichi.jp/select/today/news/m20100926k0000m040013000c.html)
今年の夏は異常に暑かったが、秋の訪れは早かったようである。
夏に登るときは雪が残っていると登りにくいものの、眺める分には雪をかぶっていてくれた方がきれい。近くの山で富士山を眺めながらのハイキングというのにちょうどいい季節になったわけだ。
富士山の五合目付近ならそろそろ紅葉も始まるかな。富士山中腹のハイキングにもよさそう。さて、いつ行こうかな。あまり遅くなるとハイキングコースまで雪に埋まっちゃうから10月上旬だろうな。吉田口から須走口に抜けていくコースってのは時間的に厳しそう。この時期、須走口の方はバスが少ないからねぇ。終バス前に須走口に到着するのは難しそう。逆コースだと二合目の神社に寄るのが…。里宮にお参りしてから奥宮にお参りするという順番にはこだわりたいしねぇ。
とにかくぎっくり腰が再発しないように気をつけて生活しなければ。
(http://mainichi.jp/select/today/news/m20100926k0000m040013000c.html)
今年の夏は異常に暑かったが、秋の訪れは早かったようである。
夏に登るときは雪が残っていると登りにくいものの、眺める分には雪をかぶっていてくれた方がきれい。近くの山で富士山を眺めながらのハイキングというのにちょうどいい季節になったわけだ。
富士山の五合目付近ならそろそろ紅葉も始まるかな。富士山中腹のハイキングにもよさそう。さて、いつ行こうかな。あまり遅くなるとハイキングコースまで雪に埋まっちゃうから10月上旬だろうな。吉田口から須走口に抜けていくコースってのは時間的に厳しそう。この時期、須走口の方はバスが少ないからねぇ。終バス前に須走口に到着するのは難しそう。逆コースだと二合目の神社に寄るのが…。里宮にお参りしてから奥宮にお参りするという順番にはこだわりたいしねぇ。
とにかくぎっくり腰が再発しないように気をつけて生活しなければ。
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釈放してどうする…
沖縄県の尖閣諸島沖で日本の巡視船に体当たりしてきて、公務執行妨害容疑で逮捕されていた中国漁船船長が処分保留で釈放されたとのこと。
処分保留とは言うものの、釈放して帰国させてしまえば改めて起訴することなど事実上できないわけだから、不起訴と同義であろう。少なくとも中国その他外国から見れば無罪放免に見えてしまうわけである。
で、この釈放の理由であるが、日中関係への配慮だという。政府は地検独自の判断だとの認識を強調いているが、馬鹿を言っちゃいけない。検察官というのは法に基づき事件を捜査し、起訴するかどうかを決めなければならない。法よりも外国との関係を重視した判断をする権限など与えられていない。だから日中有関係を配慮しての釈放というのは地検独自の判断でできるわけがないし、もし本当に地検独自の判断だとすれば職分を大きく逸脱したこの行為について厳しく処罰しなければならない。日本は法治国家なのだ。
どう言いつくろったところで政府からの圧力があったとみなされても仕方がない状況であろう。
それはともかく、確かにこの問題をこじれさせることは日本にとっても好ましいことではなかったのは確かであるが、それでもこの件に関して、釈放というのはあり得ない。たとえ公務執行妨害での起訴が難しい状況であったとしても、少なくとも領海侵犯については明白である。この領海侵犯に対してはきちんと処分を下さねばならないのだ。この処分をしないということは、公務執行妨害がなかったというばかりか、領海侵犯すらなかったと解釈されてしまう。すなわち尖閣諸島が日本の領土ではないと認めるものとみなされてしまうのだ。
だから、中国人船長を『不法入国者』として、国外への『強制退去』処分というのが最低限のラインであったはずである。たとえ事実上の釈放であったとしても、中国人船長を『不法入国者』と認定していることを世界に向けて発信しなければ、領土の保全などできない。
また、タイミングも最悪であろう。中国が日本に対するレアアース輸出禁止措置をとるという『噂』が出た直後の決定だと、日本が世界に対してどう説明しようと「日本は噂に振り回されて中国に屈服した」とみなされてしまう。
中国にしても、実際に輸出禁止等を実施してしまうと国際世論は中国に対する反発に転じる可能性も否定はできないが、、噂を流すだけで日本を操作できるのであれば少ないリスクで多大な利益を引き出すことができる。今回の一件は中国に日本恫喝の仕方を教えるような結果にしかならないのだ。一回恫喝に屈したと思われたら、味をしめて何度でも恫喝してくるだろう。
そうなったとき、恫喝に屈し法を捻じ曲げた国をどこの国が助けてくれるだろうか。法すら捻じ曲げるような国は信用できないし、そんな信用できない国に助けを差し伸べたところで自分まで危険に巻き込まれるとみなされるのがオチであろう。
中国に配慮して国外退去処分だけで済ませるならばもっと早い時期に処分すべきだったし、レアアース輸出禁止をちらつかせてきた今となっては、むしろ法に従った処分を徹底し、その姿勢を世界に発信すべきだった。と同時にその法に沿った処分に対してさまざまな恫喝を繰り返すことによって妨害しようとしてきた中国の姿勢に対する非難も発信してくるべきだったのだ。
とにかく今回の一件は外交的敗北であり、日本の法秩序に対する信頼を失墜させるものである。釈放するよう圧力をかけたのが政府内の誰かは分からないが、そのような国賊は今すぐ腹を切れ!
========== 9月25日追記 ==========
ほら見ろ! こっちが譲歩したと見るや図に乗って「謝罪と賠償」を要求してきたじゃないか。
いまさら「中国側の要求には何ら根拠がなく、全く受け入れられない」などと言ったところで、釈放という事実と整合性が取れていないと突っ込まれるのが関の山。最低限のラインすら守れず、ただ釈放するからこうなるのだ。今までの中国の行動を見てくればこうなることは分かりきったことではないか。これ、どうやって収拾つけるつもりなんだよ。まさかさらなる譲歩をするつもりではあるまいな…。
処分保留とは言うものの、釈放して帰国させてしまえば改めて起訴することなど事実上できないわけだから、不起訴と同義であろう。少なくとも中国その他外国から見れば無罪放免に見えてしまうわけである。
で、この釈放の理由であるが、日中関係への配慮だという。政府は地検独自の判断だとの認識を強調いているが、馬鹿を言っちゃいけない。検察官というのは法に基づき事件を捜査し、起訴するかどうかを決めなければならない。法よりも外国との関係を重視した判断をする権限など与えられていない。だから日中有関係を配慮しての釈放というのは地検独自の判断でできるわけがないし、もし本当に地検独自の判断だとすれば職分を大きく逸脱したこの行為について厳しく処罰しなければならない。日本は法治国家なのだ。
どう言いつくろったところで政府からの圧力があったとみなされても仕方がない状況であろう。
それはともかく、確かにこの問題をこじれさせることは日本にとっても好ましいことではなかったのは確かであるが、それでもこの件に関して、釈放というのはあり得ない。たとえ公務執行妨害での起訴が難しい状況であったとしても、少なくとも領海侵犯については明白である。この領海侵犯に対してはきちんと処分を下さねばならないのだ。この処分をしないということは、公務執行妨害がなかったというばかりか、領海侵犯すらなかったと解釈されてしまう。すなわち尖閣諸島が日本の領土ではないと認めるものとみなされてしまうのだ。
だから、中国人船長を『不法入国者』として、国外への『強制退去』処分というのが最低限のラインであったはずである。たとえ事実上の釈放であったとしても、中国人船長を『不法入国者』と認定していることを世界に向けて発信しなければ、領土の保全などできない。
また、タイミングも最悪であろう。中国が日本に対するレアアース輸出禁止措置をとるという『噂』が出た直後の決定だと、日本が世界に対してどう説明しようと「日本は噂に振り回されて中国に屈服した」とみなされてしまう。
中国にしても、実際に輸出禁止等を実施してしまうと国際世論は中国に対する反発に転じる可能性も否定はできないが、、噂を流すだけで日本を操作できるのであれば少ないリスクで多大な利益を引き出すことができる。今回の一件は中国に日本恫喝の仕方を教えるような結果にしかならないのだ。一回恫喝に屈したと思われたら、味をしめて何度でも恫喝してくるだろう。
そうなったとき、恫喝に屈し法を捻じ曲げた国をどこの国が助けてくれるだろうか。法すら捻じ曲げるような国は信用できないし、そんな信用できない国に助けを差し伸べたところで自分まで危険に巻き込まれるとみなされるのがオチであろう。
中国に配慮して国外退去処分だけで済ませるならばもっと早い時期に処分すべきだったし、レアアース輸出禁止をちらつかせてきた今となっては、むしろ法に従った処分を徹底し、その姿勢を世界に発信すべきだった。と同時にその法に沿った処分に対してさまざまな恫喝を繰り返すことによって妨害しようとしてきた中国の姿勢に対する非難も発信してくるべきだったのだ。
とにかく今回の一件は外交的敗北であり、日本の法秩序に対する信頼を失墜させるものである。釈放するよう圧力をかけたのが政府内の誰かは分からないが、そのような国賊は今すぐ腹を切れ!
========== 9月25日追記 ==========
ほら見ろ! こっちが譲歩したと見るや図に乗って「謝罪と賠償」を要求してきたじゃないか。
いまさら「中国側の要求には何ら根拠がなく、全く受け入れられない」などと言ったところで、釈放という事実と整合性が取れていないと突っ込まれるのが関の山。最低限のラインすら守れず、ただ釈放するからこうなるのだ。今までの中国の行動を見てくればこうなることは分かりきったことではないか。これ、どうやって収拾つけるつもりなんだよ。まさかさらなる譲歩をするつもりではあるまいな…。
菅改造内閣の狙いについての考察
なめさんへのお返事もかねて、もう少し閣僚人事について考えてみたいと思う。
そうそう、私は文句をつけてるだけで、解決策については身のあることを言ってないから、あまり為になるものでもないと思いますよ。
さて、今回の閣僚人事。何も考えていないように見せかけてはいるものの、実はこの人事を考えた人ってそれなりの策士なんじゃないだろうか。
例えば御指摘の法務・拉致担当人事。良く知らない人だから批判しようがないというのは置いておくとして、弁護士出身ではないから変に人権意識に凝り固まって突飛なことを言い出すことはなさそうだし、かなり早い時期から党として拉致問題に取り組んできた旧民社党出身者でもあるので、法相の職務も拉致担当相の職務もきちんと果たしてくれそうに見える。
この旧民社党というのが「自民党より右寄り」と評されていた時代のことを知っている世代だと、旧民社党出身というだけで無条件に保守だと認識してしまうのではなかろうか。
同じことが文科相についても言える。あからさまな左寄りの人を教育の要である文科相に据えれば保守層からの反発が非常に大きくなってしまうが、旧民社党出身者を起用することで、保守層はある種の安心感を持ってしまうのではなかろうか。だからと言って革新層の反発を招くような実績もないわけだし。
また、旧民社党出身ではないものの、対中国強硬派と目される前原氏を外相に据えることも、保守層に対するアピールになっているだろう。
しかし、旧民社党というのは反共の党であったのは確かなものの、反共と保守というのは微妙に重ならない部分があり得るということは念頭に置いておくべきだと思う。旧民社党といえば北朝鮮を敵視するあまり、親韓国的傾向が非常に強い党であったことでも知られている。このことから考えれば在日韓国人の参政権問題に賛成の立場をとるということが考えられる。
また旧民社党は反共ではあるものの旧社会党から分かれ出たものであるという出自から、人権という言葉には弱いという印象もある。
つまり旧民社党出身者を入閣させたところで、保守層が警戒している『外国人地方参政権』や『人権擁護法案』などの問題については、歯止めになるどころか逆に推進しかねないのではなかろうか。
つまり、旧民社党出身者や前原氏のような、保守っぽい印象はあるけど実態は保守とは言い切れない人物を要所要所に据えることによって保守層の支持をつなぎとめつつ、その支持を背景に『外国人地方参政権』や『人権擁護法案』を押し通そうというのが今回の組閣の目的なのではなかろうか。前原外相も外国人地方参政権は推進していたはずだし。
そう考えると、岡崎国家公安委員長のインパクトの前では、どんな人事でも『あれよりはマシ』と感じてしまうし、岡崎国家公安委員長のイメージが悪ければ悪いほど、似非保守閣僚が本物の保守に見えてくる。岡崎国家公安委員長ってのは、何も考えずに決めたわけではなく、計算されつくした目くらまし作戦として行われたのではないかと思ってしまう。
少々謀略論にすぎるかもしれないのだが、あり得ないことではないように思う。今後の動向を注視していく必要があるのではなかろうか。
そうそう、私は文句をつけてるだけで、解決策については身のあることを言ってないから、あまり為になるものでもないと思いますよ。
さて、今回の閣僚人事。何も考えていないように見せかけてはいるものの、実はこの人事を考えた人ってそれなりの策士なんじゃないだろうか。
例えば御指摘の法務・拉致担当人事。良く知らない人だから批判しようがないというのは置いておくとして、弁護士出身ではないから変に人権意識に凝り固まって突飛なことを言い出すことはなさそうだし、かなり早い時期から党として拉致問題に取り組んできた旧民社党出身者でもあるので、法相の職務も拉致担当相の職務もきちんと果たしてくれそうに見える。
この旧民社党というのが「自民党より右寄り」と評されていた時代のことを知っている世代だと、旧民社党出身というだけで無条件に保守だと認識してしまうのではなかろうか。
同じことが文科相についても言える。あからさまな左寄りの人を教育の要である文科相に据えれば保守層からの反発が非常に大きくなってしまうが、旧民社党出身者を起用することで、保守層はある種の安心感を持ってしまうのではなかろうか。だからと言って革新層の反発を招くような実績もないわけだし。
また、旧民社党出身ではないものの、対中国強硬派と目される前原氏を外相に据えることも、保守層に対するアピールになっているだろう。
しかし、旧民社党というのは反共の党であったのは確かなものの、反共と保守というのは微妙に重ならない部分があり得るということは念頭に置いておくべきだと思う。旧民社党といえば北朝鮮を敵視するあまり、親韓国的傾向が非常に強い党であったことでも知られている。このことから考えれば在日韓国人の参政権問題に賛成の立場をとるということが考えられる。
また旧民社党は反共ではあるものの旧社会党から分かれ出たものであるという出自から、人権という言葉には弱いという印象もある。
つまり旧民社党出身者を入閣させたところで、保守層が警戒している『外国人地方参政権』や『人権擁護法案』などの問題については、歯止めになるどころか逆に推進しかねないのではなかろうか。
つまり、旧民社党出身者や前原氏のような、保守っぽい印象はあるけど実態は保守とは言い切れない人物を要所要所に据えることによって保守層の支持をつなぎとめつつ、その支持を背景に『外国人地方参政権』や『人権擁護法案』を押し通そうというのが今回の組閣の目的なのではなかろうか。前原外相も外国人地方参政権は推進していたはずだし。
そう考えると、岡崎国家公安委員長のインパクトの前では、どんな人事でも『あれよりはマシ』と感じてしまうし、岡崎国家公安委員長のイメージが悪ければ悪いほど、似非保守閣僚が本物の保守に見えてくる。岡崎国家公安委員長ってのは、何も考えずに決めたわけではなく、計算されつくした目くらまし作戦として行われたのではないかと思ってしまう。
少々謀略論にすぎるかもしれないのだが、あり得ないことではないように思う。今後の動向を注視していく必要があるのではなかろうか。
何考えているんだか…
またやってくれた。もういい加減にしてほしいもんである。
民主党代表選に伴う菅改造内閣のことである。
そもそも民主党の代表選自体が非常に胡散臭いものであった。事実上の首相選びになるにもかかわらず、投票権を持つ党員・サポーターには外国人でもなれるという憲法違反の可能性もあるとんでもない状況があったり、党員でもサポーターでもない人に投票用紙が送られてしまったり。
こんなでたらめな状況で行われたものに正当性を認めることなどできるのだろうか。
なるほど、今回の結果に限ってみれば、問題山積の党員・サポーター票を除外しても菅氏の勝利には変わりはない。しかしそれは結果論にすぎない。結果が問題なのではなく手続きが問題なのだ。結果の問題としてとらえるなら小沢氏だろうが菅氏であろうが、どっちでも日本のかじ取りを任せることのできない、問題ある人物であろう。
とにかく代表選自体が胡散臭かったわけであるが、菅改造内閣が発足したわけである。期待など端からしてないけど、またとんでもない人が紛れ込んでるねぇ。
岡崎トミ子氏って、韓国に行って、日本の大使館の公用車で反日デモに駆けつけて、一緒になって日本大使館に向かって拳を振り上げてた人でしょ? これって『政権』に対する批判とかのレベルじゃなくて、『国家』に対する敵対行為と言ってもよいだろう。
そんな日本を敵視している人物が日本の国会議員であるというだけでも驚きなのに、大臣にまでなっちゃうって何?
しかも国家公安委員長も兼任って…。
国家公安委員会ってのはいわば警察のお目付け役。警察の政治的中立性の確保も任務のうちなのだが、公私のけじめをつけられない、政治的中立ってものを理解していない人物が、そんな任務を持つ組織の長などできるわけないじゃん。
また、警察全体の方針を決め、それが的確に執行されているかどうかを監督するのが任務であり、個々の案件に口出しするものではないという建前にはなっているものの、『監察』という名目でなら個々の案件に関与できるし、(総理大臣の承認が必要となるものの)警察庁長官の任免権を持っているのも国家公安委員会である以上、長官人事を通して全警察官の人事に介入できる可能性がある。人事権を背景とした圧力というものも排除できないのではないか?
だから国家公安委員長は清廉潔白・公明正大な人物でなければならない。岡崎トミ子氏がその条件に合致しているとは到底思えない。
千葉前法相にせよ今回の岡崎国家公安委員長にせよ、民主党の政権ではどうしてこう、日本の法秩序を壊そうとするかのごとき人事を行うのだろか。
こういうでたらめな人事だけでも許し難く思うのであるが、さらに許しがたいことも行っているように感じる。この新内閣認証のために、ご静養中の天皇陛下を呼び戻したというのだ。
もちろん各大臣の認証は天皇陛下の国事行為ではあるのだが、今回の内閣改造は解散総選挙に伴うもののような公的性格をもったものではない。あくまでも民主党の代表の任期満了という民主党の都合の話でしかない。果たしてそのような私的ともいえる都合で陛下のご予定を変えさせるというのは正しいのだろうか。
民主党の都合である以上、代表選の日を調整し、陛下がご静養に出発する前までに新内閣を発足させるなり、ご静養後、帰京なされてから新内閣を発足させることはできなかったのだろうか。
自分たちの都合で国家元首たる天皇陛下を『呼びつける』ことができるなどと考えているのならば、思い上がりもはなはだしい。昨年12月の中国副主席特例会見ごり押し問題もそうであるが、民主党は天皇陛下をどこまで虚仮にすれば気が済むのだろう。
この一件だけでも万死に値する。菅政権は即刻退陣し、不敬を謝してお遍路にでも行って来い。もうもどってくるな。
民主党代表選に伴う菅改造内閣のことである。
そもそも民主党の代表選自体が非常に胡散臭いものであった。事実上の首相選びになるにもかかわらず、投票権を持つ党員・サポーターには外国人でもなれるという憲法違反の可能性もあるとんでもない状況があったり、党員でもサポーターでもない人に投票用紙が送られてしまったり。
こんなでたらめな状況で行われたものに正当性を認めることなどできるのだろうか。
なるほど、今回の結果に限ってみれば、問題山積の党員・サポーター票を除外しても菅氏の勝利には変わりはない。しかしそれは結果論にすぎない。結果が問題なのではなく手続きが問題なのだ。結果の問題としてとらえるなら小沢氏だろうが菅氏であろうが、どっちでも日本のかじ取りを任せることのできない、問題ある人物であろう。
とにかく代表選自体が胡散臭かったわけであるが、菅改造内閣が発足したわけである。期待など端からしてないけど、またとんでもない人が紛れ込んでるねぇ。
岡崎トミ子氏って、韓国に行って、日本の大使館の公用車で反日デモに駆けつけて、一緒になって日本大使館に向かって拳を振り上げてた人でしょ? これって『政権』に対する批判とかのレベルじゃなくて、『国家』に対する敵対行為と言ってもよいだろう。
そんな日本を敵視している人物が日本の国会議員であるというだけでも驚きなのに、大臣にまでなっちゃうって何?
しかも国家公安委員長も兼任って…。
国家公安委員会ってのはいわば警察のお目付け役。警察の政治的中立性の確保も任務のうちなのだが、公私のけじめをつけられない、政治的中立ってものを理解していない人物が、そんな任務を持つ組織の長などできるわけないじゃん。
また、警察全体の方針を決め、それが的確に執行されているかどうかを監督するのが任務であり、個々の案件に口出しするものではないという建前にはなっているものの、『監察』という名目でなら個々の案件に関与できるし、(総理大臣の承認が必要となるものの)警察庁長官の任免権を持っているのも国家公安委員会である以上、長官人事を通して全警察官の人事に介入できる可能性がある。人事権を背景とした圧力というものも排除できないのではないか?
だから国家公安委員長は清廉潔白・公明正大な人物でなければならない。岡崎トミ子氏がその条件に合致しているとは到底思えない。
千葉前法相にせよ今回の岡崎国家公安委員長にせよ、民主党の政権ではどうしてこう、日本の法秩序を壊そうとするかのごとき人事を行うのだろか。
こういうでたらめな人事だけでも許し難く思うのであるが、さらに許しがたいことも行っているように感じる。この新内閣認証のために、ご静養中の天皇陛下を呼び戻したというのだ。
もちろん各大臣の認証は天皇陛下の国事行為ではあるのだが、今回の内閣改造は解散総選挙に伴うもののような公的性格をもったものではない。あくまでも民主党の代表の任期満了という民主党の都合の話でしかない。果たしてそのような私的ともいえる都合で陛下のご予定を変えさせるというのは正しいのだろうか。
民主党の都合である以上、代表選の日を調整し、陛下がご静養に出発する前までに新内閣を発足させるなり、ご静養後、帰京なされてから新内閣を発足させることはできなかったのだろうか。
自分たちの都合で国家元首たる天皇陛下を『呼びつける』ことができるなどと考えているのならば、思い上がりもはなはだしい。昨年12月の中国副主席特例会見ごり押し問題もそうであるが、民主党は天皇陛下をどこまで虚仮にすれば気が済むのだろう。
この一件だけでも万死に値する。菅政権は即刻退陣し、不敬を謝してお遍路にでも行って来い。もうもどってくるな。
魔女の一撃
昨夜、ちょっとしたはずみで腰を痛めてしまった。別に重いものを持っていたわけではないので、本当にはずみでとしか言いようがない。魔女の一撃とは言いえて妙である。要するにぎっくり腰。
重いものを持っていたわけでもないのにぎっくり腰になったということは、今までに相当腰に負担が蓄積していたということだろう。富士山で痛めたり高尾山で痛めたりした足をかばうような生活を無意識に行っていたために負担が蓄積したのか、それとも腰への負担が顕在化する前の前兆現象として足を痛めたのか。
本当はぎっくり腰のときは安静にしていなければならないのだが、本日12日は軍歌を歌い継ぐ会の日。今年の8月15日は靖國神社には行ったものの、熱射病気味になってしまったため、参拝後、軍歌を歌いに行かずにそのまま帰宅したこともあり、「軍歌を歌いたい!」という欲求が強くなっている。
まぁ、あちこち歩き回るのは無理でも、電車の中ではじっと座っていればよいし、会場でもそれほど動きまわることはないだろうってことで行ってきた。
今回はいつもより参加者が少なく、いつもより多く歌えた。無理していっただけの満足感は得られたように思う。
さて、軍歌を歌い継ぐ会への参加は、それほど腰の負担にはなっていなかったような気がする(私は和服を着てるから、帯や袴の腰板などがコルセットの役割を果たすし)のだが、この時期のぎっくり腰ってのは私にとっては結構つらい。私は花粉症なのだ。一応鼻炎薬を飲んで抑えてはいるものの、薬が切れてきてくしゃみなんかをしてしまうと腰に激痛が走る。
痛み止めでも飲んでおきたいところではあるが、鎮痛剤はクインケ浮腫にはよくないようだし…。瞼を腫らすよりかは鼻炎薬で何とかくしゃみを抑えた方がいいような気がする。
なんにしてもぎっくり腰には早く治ってほしいものである。
重いものを持っていたわけでもないのにぎっくり腰になったということは、今までに相当腰に負担が蓄積していたということだろう。富士山で痛めたり高尾山で痛めたりした足をかばうような生活を無意識に行っていたために負担が蓄積したのか、それとも腰への負担が顕在化する前の前兆現象として足を痛めたのか。
本当はぎっくり腰のときは安静にしていなければならないのだが、本日12日は軍歌を歌い継ぐ会の日。今年の8月15日は靖國神社には行ったものの、熱射病気味になってしまったため、参拝後、軍歌を歌いに行かずにそのまま帰宅したこともあり、「軍歌を歌いたい!」という欲求が強くなっている。
まぁ、あちこち歩き回るのは無理でも、電車の中ではじっと座っていればよいし、会場でもそれほど動きまわることはないだろうってことで行ってきた。
今回はいつもより参加者が少なく、いつもより多く歌えた。無理していっただけの満足感は得られたように思う。
さて、軍歌を歌い継ぐ会への参加は、それほど腰の負担にはなっていなかったような気がする(私は和服を着てるから、帯や袴の腰板などがコルセットの役割を果たすし)のだが、この時期のぎっくり腰ってのは私にとっては結構つらい。私は花粉症なのだ。一応鼻炎薬を飲んで抑えてはいるものの、薬が切れてきてくしゃみなんかをしてしまうと腰に激痛が走る。
痛み止めでも飲んでおきたいところではあるが、鎮痛剤はクインケ浮腫にはよくないようだし…。瞼を腫らすよりかは鼻炎薬で何とかくしゃみを抑えた方がいいような気がする。
なんにしてもぎっくり腰には早く治ってほしいものである。
期待が大きすぎるんじゃないか?
日本の測位衛星『みちびき』の打ち上げが成功した。まずはめでたいことである。
ただこの衛星についての報道を見ると、いささか期待が大きすぎるように見える。
曰く『従来のGPSでは10メートル近くあった誤差が、1メートル以下の誤差で済むようになる』
しかし、これって半分は正しく半分は間違っているように思える。いや気分的にいえば半々ではなく、間違いのほうが割合的に大きいと思う。
まずこの『みちびき』について。この衛星の目的はGPSの『補完』と『補強(補正)』である。
GPSってのは簡単にいえば人工衛星で時報の電波を出し、その人工衛星の時報と受信機内蔵時計の時刻の差から受信地と衛星の距離を求め、複数の人工衛星で同じことを行って人工衛星の位置関係を計算し、そこから受信地の位置を割り出すというシステムである。
で、GPSでは4個の衛星を捕捉して位置を割り出しているわけだが、高いビルに囲まれた場所や山間部の谷などでは必ずしも4個の衛星をとらえることができていない。常に天頂付近に衛星があるようにすれば、それだけ測位に必要な4個をそろえやすくなる。これが『補完』。
衛星からの電波は電離層や空気中の水蒸気量などによってゆがめられてしまうため、受信地-衛星間の距離測定に誤差が生じ、そこから計算される位置情報にも誤差が生じてしまうため、地上の基準点の測位結果をもとにした補正情報を作り、それを配信することによって精度を高めようというのが『補強』。
この『補完』と『補強』によって従来より高精度の位置情報を提供しようというのが主旨であり、『従来のGPSでは10メートル近くあった誤差が、1メートル以下の誤差で済むようになる』というのも、主旨には沿った見解である。
ただ、『みちびき』を打ち上げたことによってすぐにその恩恵にあずかれるわけではないのである。
まず衛星軌道の都合上、『みちびき』が日本上空にあるのは8時間程度であり、24時間運用するためには最低でもあと2機はなければならないのに、二号機以降の計画は『みちびき』の実績次第。最低3機なければ正式運用に支障があるのに1機しか打ちあげないのだから、恩恵も限定的なものになってしまう。
さらに、『みちびき』の恩恵を受けられるのは『みちびき』対応の機器を使った場合に限られるということもある。衛星それぞれに割り振られるコードなどの関係で、従来のGPS機器そのままでは『みちびき』は利用できないのである。もちろんファームウェアのアップデートで使えるようになる機器もあるとは思う。
なんにしても、『従来のGPSでは10メートル近くあった誤差が、1メートル以下の誤差で済むようになる』といういいかただと、従来のGPS機器が『みちびき』の登場でいきなり精度が上がるように読めてしまうが、これは正しくなく、「当初の予定通り3機の衛星が打ち上げられたのち、それに対応した機器を使えば」という前提条件が付くのである。
しかし対応機やファームウェアがきちんと用意されるであろうか。その可能性はかなり低いように思われる。最低必要数である3機の衛星が打ち上げられることが確定しているのならばいざ知らず、下手をすれば『みちびき』1機だけで終わっちゃうかもしれない=正式運用が始まらない可能性のあるもののために開発費を計上する企業はあるまい。結局研究用に専用受信機が作られることはあっても民生用の機器は作られる可能性は非常に小さい。というか私が持ってる山歩き用のGPSってアメリカ企業製なんだけど、アメリカの企業だとなおさら、日本でしか使えない(韓国やオーストラリアでも使えるといえば使えるけど)うえに正式運用に支障がある状態のものに対応するとは思えないんだよなぁ。
そうすると、恩恵を受けれるようにするためには衛星数が足りず、衛星数を増やすためには評価(恩恵)が少ないという状況になってしまうわけだ。そうだとすると『従来のGPSでは10メートル近くあった誤差が、1メートル以下の誤差で済むようになる』というのを実現できなくなる可能性も高まってしまうのだ。四の五の言わず2号機3号機の金もポンと出してやろうよ。というか、最初から3機分の予算を計上しておくべきだったんだよ。
このままではマスコミがあおった分だけ、ユーザーの失望感も大きくなってしまうのではなかろうか。そうなれば『みちびき』関連予算が無駄だったって議論が持ち上がることは必至であろう。
測位衛星は軍事転用できるから打ち上げ自体反対なんて言っている馬鹿どもだけでもうんざりなのに、勝手に期待して勝手に失望して逆ギレする馬鹿どもまででてくるかと思うと…。
マスコミ各社には適切な報道・解説を願いたいものである。
ただこの衛星についての報道を見ると、いささか期待が大きすぎるように見える。
曰く『従来のGPSでは10メートル近くあった誤差が、1メートル以下の誤差で済むようになる』
しかし、これって半分は正しく半分は間違っているように思える。いや気分的にいえば半々ではなく、間違いのほうが割合的に大きいと思う。
まずこの『みちびき』について。この衛星の目的はGPSの『補完』と『補強(補正)』である。
GPSってのは簡単にいえば人工衛星で時報の電波を出し、その人工衛星の時報と受信機内蔵時計の時刻の差から受信地と衛星の距離を求め、複数の人工衛星で同じことを行って人工衛星の位置関係を計算し、そこから受信地の位置を割り出すというシステムである。
で、GPSでは4個の衛星を捕捉して位置を割り出しているわけだが、高いビルに囲まれた場所や山間部の谷などでは必ずしも4個の衛星をとらえることができていない。常に天頂付近に衛星があるようにすれば、それだけ測位に必要な4個をそろえやすくなる。これが『補完』。
衛星からの電波は電離層や空気中の水蒸気量などによってゆがめられてしまうため、受信地-衛星間の距離測定に誤差が生じ、そこから計算される位置情報にも誤差が生じてしまうため、地上の基準点の測位結果をもとにした補正情報を作り、それを配信することによって精度を高めようというのが『補強』。
この『補完』と『補強』によって従来より高精度の位置情報を提供しようというのが主旨であり、『従来のGPSでは10メートル近くあった誤差が、1メートル以下の誤差で済むようになる』というのも、主旨には沿った見解である。
ただ、『みちびき』を打ち上げたことによってすぐにその恩恵にあずかれるわけではないのである。
まず衛星軌道の都合上、『みちびき』が日本上空にあるのは8時間程度であり、24時間運用するためには最低でもあと2機はなければならないのに、二号機以降の計画は『みちびき』の実績次第。最低3機なければ正式運用に支障があるのに1機しか打ちあげないのだから、恩恵も限定的なものになってしまう。
さらに、『みちびき』の恩恵を受けられるのは『みちびき』対応の機器を使った場合に限られるということもある。衛星それぞれに割り振られるコードなどの関係で、従来のGPS機器そのままでは『みちびき』は利用できないのである。もちろんファームウェアのアップデートで使えるようになる機器もあるとは思う。
なんにしても、『従来のGPSでは10メートル近くあった誤差が、1メートル以下の誤差で済むようになる』といういいかただと、従来のGPS機器が『みちびき』の登場でいきなり精度が上がるように読めてしまうが、これは正しくなく、「当初の予定通り3機の衛星が打ち上げられたのち、それに対応した機器を使えば」という前提条件が付くのである。
しかし対応機やファームウェアがきちんと用意されるであろうか。その可能性はかなり低いように思われる。最低必要数である3機の衛星が打ち上げられることが確定しているのならばいざ知らず、下手をすれば『みちびき』1機だけで終わっちゃうかもしれない=正式運用が始まらない可能性のあるもののために開発費を計上する企業はあるまい。結局研究用に専用受信機が作られることはあっても民生用の機器は作られる可能性は非常に小さい。というか私が持ってる山歩き用のGPSってアメリカ企業製なんだけど、アメリカの企業だとなおさら、日本でしか使えない(韓国やオーストラリアでも使えるといえば使えるけど)うえに正式運用に支障がある状態のものに対応するとは思えないんだよなぁ。
そうすると、恩恵を受けれるようにするためには衛星数が足りず、衛星数を増やすためには評価(恩恵)が少ないという状況になってしまうわけだ。そうだとすると『従来のGPSでは10メートル近くあった誤差が、1メートル以下の誤差で済むようになる』というのを実現できなくなる可能性も高まってしまうのだ。四の五の言わず2号機3号機の金もポンと出してやろうよ。というか、最初から3機分の予算を計上しておくべきだったんだよ。
このままではマスコミがあおった分だけ、ユーザーの失望感も大きくなってしまうのではなかろうか。そうなれば『みちびき』関連予算が無駄だったって議論が持ち上がることは必至であろう。
測位衛星は軍事転用できるから打ち上げ自体反対なんて言っている馬鹿どもだけでもうんざりなのに、勝手に期待して勝手に失望して逆ギレする馬鹿どもまででてくるかと思うと…。
マスコミ各社には適切な報道・解説を願いたいものである。
高尾山を登ったり下ったりまた登ったり
よそでの案件のために更新が遅れてしまった。発端から数えれば2ヵ月半も経てるんだからいい加減解決したいんだけれど相手がねぇ…。
まぁ気を取り直して。
29日、多摩御陵参拝ののち高尾山口まで歩いてきた。時間は11時。昼食にはちょっと早いかな。
ということで早速登り始める。
とりあえず高尾山のルートマップ http://www.takaotozan.co.jp/cource/index.htm#h3_01
ところで、ケーブルカーの駅の近くに滝がある。ケーブルカーの駅の名前が清滝駅ってことはこの滝が清滝なんだろう。
『修行の場なんだから靴の泥落としに使うんじゃねー』って注意書きがあるんだが、ここも本当に修行に使ってるの? 高尾山自体が修業の場なんだからここで滝に打たれても良いと言えば良いんだけれど、駅前の人通りの多い場所では気が散って修行にならないんじゃないかなぁ。
まぁそれはともかく早速登り始める。まずは足で登らなければ意味があるまい。いくつかあるルートのうち、まずは1号路(表参道)を登るのが筋というものだろう。

写真でいうとまっすぐ行くと1号路。左に入っていくとケーブルカーの駅である。まぁ、麓から歩く人もいなくはないけど、やはりケーブルカー・リフトを使う人が多いらしい。人がまばらに登る道を進む。この1号路は舗装された道である。
高尾山程度ならどんどん登っていくこともできるのかもしれないが、いつも通りダラダラと登る。というかこんな暑い中ペースを上げたらバテちゃうよ。
コースのあちこちに石碑やら石像やらがある。

そんな石碑の一つ。高尾山も合目という表記の代わりに丁目表記しているのだろう。ところでこの石碑が二十一丁目なわけだが、ここからさらに登ったところに十一丁目茶屋がある。ここの丁目表記ってどうなってるんだろう? 下から順にってわけじゃないのかな? それともこの石碑は『旧』二十一丁目で、茶屋の方は『新』十一丁目なのだろうか?
このころに頭痛が起き始めた。まさか高山病!?
そんなわけはない。富士山山頂で何でもないのにこんな600メートルもない山の中腹で高山病など起きるわけがない。むしろ疑うべきは熱射病。ということで、リフトの駅のところで日陰のベンチで一休み。
休憩ののちさらに進むとケーブルカーの駅に出る。ここには展望台があるのだが今の時期はビヤガーデンになっていて、自由には出入りできない。ビヤガーデンも魅力的ではあるが、登頂もお参りも済んでいないうちから飲んでちゃだめでしょ。というかそんな余計な予算は計上してない。
さらに進むとたこ杉がある。

昔ここに参道を通そうとしたとき邪魔だったこの杉を切ろうとしたら、切られちゃたまらんとばかりに根を別方向にひっこめたという伝説の真偽はともかくとして、奇妙にねじ曲がった根がたこの足のように見える。
もともとは伝説から『道を開く』という意味の開運杉とも呼ばれているらしいが、なんかわきに開運ひっぱり蛸なんてものが置いてある。タコが付けば何でもありなのか? 伝説と関係ないじゃん。
そしてようやく薬王院の山門である浄心門にたどり着く。

ここから頂上までは3号路や4号路も伸びている。しかしまずは表参道を登ると決めてきたのだから迷わず浄心門をくぐり、男坂のほうを進む。今回は仏舎利塔へは行かなかったのだが、後で調べてみたらここに硫黄島戦没者の慰霊碑などもあるらしい。これは次に来る時にはお参りしなければ。
そしていよいよ薬王院へ。

まずは本堂にお参り。薬師如来と飯縄権現を祀るこの本堂が薬王院の中心といてよいだろう。
さらに階段を登ったところにあるのが権現堂。

こちらは飯縄権現を祀る神社である。寺の中に神社があるというのは神仏混淆時代の名残なのだろう。
この権現堂の脇にはいくつかの小さな社がある。

奥の方が福徳稲荷、手前の新しい方が天狗社である。天狗社のほうは大小二つの社があるようだ。
また、福徳稲荷と天狗社の間にある石碑もそれぞれ神様である。

その一つがこれ。どんなご由緒がありどんなご利益があるのかわからないが、報國稲荷という名前が気に入った。
さらに登っていくと不動堂があり、その裏手には富士浅間神社がある。しまった。ここの写真を撮ってくるのを忘れた…。まぁ高尾山からも条件が良ければ富士山が見えるのだから浅間神社があっても不思議ではないか。浅間神社の場所からは見えないっぽいけど。
そこを過ぎると未舗装の山道になる。とはいってももうそんなきつい坂はない。
そして13時、山頂に到着。

早速西側に行き富士山方向を眺めてみる。富士山のあたりには雲があって見えない…。もう、私が山に登るときは富士山が見えないってのはお約束だね。まぁ今回は高尾山から富士山を眺めることではなく、多摩御陵参拝が目的だったんだから悔しくなんかないもん。
でもとりあえず雲が晴れないか休憩しながら待ってみる。時間をつぶすために山頂の周りを一周する5号路を歩きながら待ってみる。でもやはり富士山は見えない。
仕方がないので、いったん富士山はあきらめる。なぜいったんかと言えば、当初の予定では4号路で浄心門まで下り、3号路で山頂まで登り返し6号路で下山するという予定だったからである。昼に富士山が見えなくても夕方ならどうだろうか。
ところが悪いことに当初の予定通りとはいかない。中腹まで下りるのに使おうと思っていた4号路が通行止めになっていたのだ。倒木のために途中にあるつり橋が損壊してしまったらしい。だからと言って3号路で中腹まで下りて、また1号路なり3号路なりで登り返すのは面白くない。
ということでとりあえず6号路で麓まで下りることにする。
6号路は水辺の道である。

この辺など水辺というより川の中の飛び石伝いの道って感じ。
ずっと川沿いに道が続いているのでせせらぎの音を聞きながら下る。この感じ、いいなぁ。
途中、靴を脱いで川に足を突っ込んでいる人を見かける。暑いからねぇ。足も疲れてるからねぇ。私もやりたかった。冷たいビールでもあれば最高だろうねぇ。
しかし私は麓まで下りた後、もう一度山頂を目指すつもり。こんなところでマッタリしている暇はない。涙をのんで先をいそぐ。
さらに進むと琵琶滝がある。

ここは滝行を行う場。一般の人でも予約すれば滝に打たれることができるらしい。滝行の日でもないし予約をしているわけでもない私は眺めるだけ。
そんなこんなで麓のケーブルカーの駅まで無事下山。ここからまた山頂まで登り返すわけであるが、どうするか。稲荷山コースで麓から山頂まで登ることもできなくはない。しかしそれだと下山時には暗くなってしまうかもしれない。ライトは持ってきているから暗くなっても平気ではあるが、無理して夜道を歩くこともない。
ということでリフトで中腹まで登り、そこから3号路で山頂まで登り、稲荷山コースで下山することにする。
リフト、いいねぇ。もみじの木の上を通ることもあるから、紅葉の季節なんかに乗るといいんじゃないかな。ケーブルカーと違って待ち時間がないのもいい。
リフトから下りたら浄心門まで行き、今度は3号路に向かう。この3号路はやや下りとほぼ水平移動の後、最後のほうが登りになっているコース。でもその最後の登りもそんなにきつい勾配には感じない。
そしてもう一度山頂へ。日は傾きかけているが、いまだ富士山は見えない。今度は雲というよりは靄のせいかな。残念。

仕方がないので予定通り稲荷山コースで下山開始。途中、展望台に近くまで来たところで右足をひねってしまう。足首の関節には異常なかったが、変な風に筋が引っ張られたようでふくらはぎが痛む。展望台で大休止。
この稲荷山の展望台でも、ケーブルカーの上の方の駅の近くでも都心方向を見るが、靄であまりよくは見えない。新宿のビル群も肉眼でならうっすら見えるものの写真では写らなかった。靄のないすっきり晴れた日なら新宿のビル群などもくっきり見えるのだろう。東京スカイツリーなんかも見えるのかな?
ふくらはぎの痛みはちょっと休んだ程度では回復しないだろうし、暗くなる前に降りたいので、ゆっくりと進むことにする。
途中、麓まであと数百メートルというところで、500mlペットボトル一本と何かの雑誌一冊だけを持った人が登ってくるのとすれ違う。まさかその軽装でこれから山頂まで登るの? 山頂に着く前に暗くなっちゃうよ? ライトなどを持っているように見えなかったんだけど、その人、結局どうしたんだろう。
さらに進んだところで稲荷神社があった。まさか稲荷山の名前のもとになった稲荷神社ってここ? 普通稲荷山なんて名前をつけるんなら稲荷神社は山頂におかない? ここもう麓じゃん。それにお世辞にも手入れがされているとはいえない。もっときちんと整備してほしいものである。
そんなこんなで麓のケーブルカーの駅には17時50分に到着。途中足をひねるというアクシデントはあったものの、それさえなければ、ほかに足の異常は認められなかった。富士山で痛めた足は完全に回復したとみてよいだろう。
さて、次はどこに山に行くかな。
まぁ気を取り直して。
29日、多摩御陵参拝ののち高尾山口まで歩いてきた。時間は11時。昼食にはちょっと早いかな。
ということで早速登り始める。
とりあえず高尾山のルートマップ http://www.takaotozan.co.jp/cource/index.htm#h3_01
ところで、ケーブルカーの駅の近くに滝がある。ケーブルカーの駅の名前が清滝駅ってことはこの滝が清滝なんだろう。
『修行の場なんだから靴の泥落としに使うんじゃねー』って注意書きがあるんだが、ここも本当に修行に使ってるの? 高尾山自体が修業の場なんだからここで滝に打たれても良いと言えば良いんだけれど、駅前の人通りの多い場所では気が散って修行にならないんじゃないかなぁ。
まぁそれはともかく早速登り始める。まずは足で登らなければ意味があるまい。いくつかあるルートのうち、まずは1号路(表参道)を登るのが筋というものだろう。

写真でいうとまっすぐ行くと1号路。左に入っていくとケーブルカーの駅である。まぁ、麓から歩く人もいなくはないけど、やはりケーブルカー・リフトを使う人が多いらしい。人がまばらに登る道を進む。この1号路は舗装された道である。
高尾山程度ならどんどん登っていくこともできるのかもしれないが、いつも通りダラダラと登る。というかこんな暑い中ペースを上げたらバテちゃうよ。
コースのあちこちに石碑やら石像やらがある。

そんな石碑の一つ。高尾山も合目という表記の代わりに丁目表記しているのだろう。ところでこの石碑が二十一丁目なわけだが、ここからさらに登ったところに十一丁目茶屋がある。ここの丁目表記ってどうなってるんだろう? 下から順にってわけじゃないのかな? それともこの石碑は『旧』二十一丁目で、茶屋の方は『新』十一丁目なのだろうか?
このころに頭痛が起き始めた。まさか高山病!?
そんなわけはない。富士山山頂で何でもないのにこんな600メートルもない山の中腹で高山病など起きるわけがない。むしろ疑うべきは熱射病。ということで、リフトの駅のところで日陰のベンチで一休み。
休憩ののちさらに進むとケーブルカーの駅に出る。ここには展望台があるのだが今の時期はビヤガーデンになっていて、自由には出入りできない。ビヤガーデンも魅力的ではあるが、登頂もお参りも済んでいないうちから飲んでちゃだめでしょ。というかそんな余計な予算は計上してない。
さらに進むとたこ杉がある。

昔ここに参道を通そうとしたとき邪魔だったこの杉を切ろうとしたら、切られちゃたまらんとばかりに根を別方向にひっこめたという伝説の真偽はともかくとして、奇妙にねじ曲がった根がたこの足のように見える。
もともとは伝説から『道を開く』という意味の開運杉とも呼ばれているらしいが、なんかわきに開運ひっぱり蛸なんてものが置いてある。タコが付けば何でもありなのか? 伝説と関係ないじゃん。
そしてようやく薬王院の山門である浄心門にたどり着く。

ここから頂上までは3号路や4号路も伸びている。しかしまずは表参道を登ると決めてきたのだから迷わず浄心門をくぐり、男坂のほうを進む。今回は仏舎利塔へは行かなかったのだが、後で調べてみたらここに硫黄島戦没者の慰霊碑などもあるらしい。これは次に来る時にはお参りしなければ。
そしていよいよ薬王院へ。

まずは本堂にお参り。薬師如来と飯縄権現を祀るこの本堂が薬王院の中心といてよいだろう。
さらに階段を登ったところにあるのが権現堂。

こちらは飯縄権現を祀る神社である。寺の中に神社があるというのは神仏混淆時代の名残なのだろう。
この権現堂の脇にはいくつかの小さな社がある。

奥の方が福徳稲荷、手前の新しい方が天狗社である。天狗社のほうは大小二つの社があるようだ。
また、福徳稲荷と天狗社の間にある石碑もそれぞれ神様である。

その一つがこれ。どんなご由緒がありどんなご利益があるのかわからないが、報國稲荷という名前が気に入った。
さらに登っていくと不動堂があり、その裏手には富士浅間神社がある。しまった。ここの写真を撮ってくるのを忘れた…。まぁ高尾山からも条件が良ければ富士山が見えるのだから浅間神社があっても不思議ではないか。浅間神社の場所からは見えないっぽいけど。
そこを過ぎると未舗装の山道になる。とはいってももうそんなきつい坂はない。
そして13時、山頂に到着。

早速西側に行き富士山方向を眺めてみる。富士山のあたりには雲があって見えない…。もう、私が山に登るときは富士山が見えないってのはお約束だね。まぁ今回は高尾山から富士山を眺めることではなく、多摩御陵参拝が目的だったんだから悔しくなんかないもん。
でもとりあえず雲が晴れないか休憩しながら待ってみる。時間をつぶすために山頂の周りを一周する5号路を歩きながら待ってみる。でもやはり富士山は見えない。
仕方がないので、いったん富士山はあきらめる。なぜいったんかと言えば、当初の予定では4号路で浄心門まで下り、3号路で山頂まで登り返し6号路で下山するという予定だったからである。昼に富士山が見えなくても夕方ならどうだろうか。
ところが悪いことに当初の予定通りとはいかない。中腹まで下りるのに使おうと思っていた4号路が通行止めになっていたのだ。倒木のために途中にあるつり橋が損壊してしまったらしい。だからと言って3号路で中腹まで下りて、また1号路なり3号路なりで登り返すのは面白くない。
ということでとりあえず6号路で麓まで下りることにする。
6号路は水辺の道である。

この辺など水辺というより川の中の飛び石伝いの道って感じ。
ずっと川沿いに道が続いているのでせせらぎの音を聞きながら下る。この感じ、いいなぁ。
途中、靴を脱いで川に足を突っ込んでいる人を見かける。暑いからねぇ。足も疲れてるからねぇ。私もやりたかった。冷たいビールでもあれば最高だろうねぇ。
しかし私は麓まで下りた後、もう一度山頂を目指すつもり。こんなところでマッタリしている暇はない。涙をのんで先をいそぐ。
さらに進むと琵琶滝がある。

ここは滝行を行う場。一般の人でも予約すれば滝に打たれることができるらしい。滝行の日でもないし予約をしているわけでもない私は眺めるだけ。
そんなこんなで麓のケーブルカーの駅まで無事下山。ここからまた山頂まで登り返すわけであるが、どうするか。稲荷山コースで麓から山頂まで登ることもできなくはない。しかしそれだと下山時には暗くなってしまうかもしれない。ライトは持ってきているから暗くなっても平気ではあるが、無理して夜道を歩くこともない。
ということでリフトで中腹まで登り、そこから3号路で山頂まで登り、稲荷山コースで下山することにする。
リフト、いいねぇ。もみじの木の上を通ることもあるから、紅葉の季節なんかに乗るといいんじゃないかな。ケーブルカーと違って待ち時間がないのもいい。
リフトから下りたら浄心門まで行き、今度は3号路に向かう。この3号路はやや下りとほぼ水平移動の後、最後のほうが登りになっているコース。でもその最後の登りもそんなにきつい勾配には感じない。
そしてもう一度山頂へ。日は傾きかけているが、いまだ富士山は見えない。今度は雲というよりは靄のせいかな。残念。

仕方がないので予定通り稲荷山コースで下山開始。途中、展望台に近くまで来たところで右足をひねってしまう。足首の関節には異常なかったが、変な風に筋が引っ張られたようでふくらはぎが痛む。展望台で大休止。
この稲荷山の展望台でも、ケーブルカーの上の方の駅の近くでも都心方向を見るが、靄であまりよくは見えない。新宿のビル群も肉眼でならうっすら見えるものの写真では写らなかった。靄のないすっきり晴れた日なら新宿のビル群などもくっきり見えるのだろう。東京スカイツリーなんかも見えるのかな?
ふくらはぎの痛みはちょっと休んだ程度では回復しないだろうし、暗くなる前に降りたいので、ゆっくりと進むことにする。
途中、麓まであと数百メートルというところで、500mlペットボトル一本と何かの雑誌一冊だけを持った人が登ってくるのとすれ違う。まさかその軽装でこれから山頂まで登るの? 山頂に着く前に暗くなっちゃうよ? ライトなどを持っているように見えなかったんだけど、その人、結局どうしたんだろう。
さらに進んだところで稲荷神社があった。まさか稲荷山の名前のもとになった稲荷神社ってここ? 普通稲荷山なんて名前をつけるんなら稲荷神社は山頂におかない? ここもう麓じゃん。それにお世辞にも手入れがされているとはいえない。もっときちんと整備してほしいものである。
そんなこんなで麓のケーブルカーの駅には17時50分に到着。途中足をひねるというアクシデントはあったものの、それさえなければ、ほかに足の異常は認められなかった。富士山で痛めた足は完全に回復したとみてよいだろう。
さて、次はどこに山に行くかな。