「都青少年健全育成条例改正案」についての私見
公式を名乗るサクラ大戦サークルのほうで、私が議論に釘を刺した「都青少年健全育成条例改正案」。せっかくだからちょっと書いておこうか。
私としてはこの条例案、『賛成はできない』って程度である。明確に反対するつもりもないけど。
既存の法令そのままで対処できるのにわざわざ改正作業をしてまで規制しようっていうのは何らかの利権に絡んでいることがうかがわれるし、そうした利権にありつくのは良識ある国民ではなく偏狭な市民の可能性が高いとも思う。
内容を見ても、本来あるべき『文化・芸術等』に関する除外規定が条例の中にではなく、法的拘束力のない付帯決議にとどめられているという不備もある。
こういったことから賛成はできない。
しかしそれならばなぜ反対しないのかといえば、反対意見の主要な論点にも同意できないからである。
曰く「規制の対象や要件があいまいだから拡大解釈される危険をはらんでいる」
もうここから私の感性とは相いれない。私などはあいまいな規定などと聞くと『法令の網の目をすり抜けようとする馬鹿が増えて困るんじゃないか』と逆の心配をしてしまうくらいである。あいまいな規定ってのは規制する側にとっても規制される側にとっても都合良く運用できるわけである。それを片方だけ悪く言うのはフェアではなかろう。
というか『権力は常に市民の権利を不当に抑圧するものだ』とでも言いたげな「規制の対象や要件があいまいだから拡大解釈される危険をはらんでいる」という考え方がもう「どこの左翼だよっ!」ってな感じの胡散臭言い分にしか聞こえない。
ここで間違えてはいけないのが『人権擁護法案』の反対理由と混同してはいけないということである。人権擁護法案に対して「規制の要件があいまいだから拡大解釈される危険をはらんでいる」というのは正しい。なぜならばこれは『権利』の問題だからである。権利というのは互いにぶつかり合うものであり、結局のところどちらが正しいかではなくどちらが強く自分の権利を主張したかで決まる。あいまいな規定で人権擁護法を運用すれば、先に被害者面した方が相手の権利を合法的に奪えるという逆説的な状況しか生まれないのである。
それに対して今回の条例。これは我々国民が選んだ議員によって制定された法令や、歴史の中で社会によって醸成されてきた道徳規範にどう接するかの問題であり、ぶつかり合う権利の問題ではない。『権利』を互いに奪い合う問題と、社会に対する『責務』を果たすかどうかの問題。人権擁護法案問題と今回の条例問題は一見似ているように見えて全く異なる構造のものなのだ。
また、この条例により自由な表現が阻害される、表現しようという意識が萎縮するとも言う。
なに甘っちょろいこと言ってんの?
歴史を紐解けば多くの文化というのは弾圧との戦いの中で生まれてきたではないか。たとえ禁じられようとも作品を作り続けるバイタリティー、そして、規制の目をくぐりぬけるため知恵をめぐらす努力。そうしたものがあればこそ、後世に残る作品というのが出来上がったのではないか。規制されたら何もできませんという程度の才能と覚悟の持ち主しかいないのであれば、作品の質も落ちようというものだ。表現者としてのプライドってものがないのだろうか?
先ほど述べたように、基本的に私は法の網の目をくぐりぬける行為については批判的に見ているのだが、それすらできない・する意欲の無いようなものを表現者と呼べるのだろうか?
作家・制作者・出版社などが反対運動することは否定しない。しかし反対運動でとどまってもらっては困るのだ。規制の枠内でどう生き残るか、そこのところを見据えていない反対運動には何の価値もない。
さらに言えば、作家・制作者・出版社が反対することは否定しないけれど、なんでそこに一般消費者が加わろうとするのであろうか。これこそ『小さな親切、大きなお世話』ってものだ。これは作家たちを堕落させ作品の質を落とすことにしかつながらないのではなかろうか。作品の質が落ちれば売り上げも減る。結局作家たちの権利を守れと言いながら作家たちの首を絞めるようなものである。
「自分は道楽でやってる同人作家なのだからそこまでの覚悟は持てないし、持つ必要も感じない。そういう我々が作品を書く上でこういう条例があると萎縮して物が書けなくなってしまう。素人はものを書くなということか?」という人もいるかもしれない。
馬鹿馬鹿しい。現在ある同人誌の多くは、まぎれもない著作権法違反である。ある日突然高額な損害賠償請求されるかもしれない、そういう状況に同人作家たちは置かれているのである。そんな状況があるにもかかわらず誰も萎縮などせずに同人活動を行っているではないか。条例で新たな規制ができたからって、なぜ急に萎縮するなどと考えるのだろう?全然筋が通ってない。とにかく被害者ぶれば言い分が通るなどという姑息なことを考えるのは見苦しいばかりである。まったくどこの左翼だよ。
以上のようにこの問題は、条例も、それに反対する意見もどっちもどっち。とても支持する気になれない。今後の動向を生温かい目で眺めることにしよう。
私としてはこの条例案、『賛成はできない』って程度である。明確に反対するつもりもないけど。
既存の法令そのままで対処できるのにわざわざ改正作業をしてまで規制しようっていうのは何らかの利権に絡んでいることがうかがわれるし、そうした利権にありつくのは良識ある国民ではなく偏狭な市民の可能性が高いとも思う。
内容を見ても、本来あるべき『文化・芸術等』に関する除外規定が条例の中にではなく、法的拘束力のない付帯決議にとどめられているという不備もある。
こういったことから賛成はできない。
しかしそれならばなぜ反対しないのかといえば、反対意見の主要な論点にも同意できないからである。
曰く「規制の対象や要件があいまいだから拡大解釈される危険をはらんでいる」
もうここから私の感性とは相いれない。私などはあいまいな規定などと聞くと『法令の網の目をすり抜けようとする馬鹿が増えて困るんじゃないか』と逆の心配をしてしまうくらいである。あいまいな規定ってのは規制する側にとっても規制される側にとっても都合良く運用できるわけである。それを片方だけ悪く言うのはフェアではなかろう。
というか『権力は常に市民の権利を不当に抑圧するものだ』とでも言いたげな「規制の対象や要件があいまいだから拡大解釈される危険をはらんでいる」という考え方がもう「どこの左翼だよっ!」ってな感じの胡散臭言い分にしか聞こえない。
ここで間違えてはいけないのが『人権擁護法案』の反対理由と混同してはいけないということである。人権擁護法案に対して「規制の要件があいまいだから拡大解釈される危険をはらんでいる」というのは正しい。なぜならばこれは『権利』の問題だからである。権利というのは互いにぶつかり合うものであり、結局のところどちらが正しいかではなくどちらが強く自分の権利を主張したかで決まる。あいまいな規定で人権擁護法を運用すれば、先に被害者面した方が相手の権利を合法的に奪えるという逆説的な状況しか生まれないのである。
それに対して今回の条例。これは我々国民が選んだ議員によって制定された法令や、歴史の中で社会によって醸成されてきた道徳規範にどう接するかの問題であり、ぶつかり合う権利の問題ではない。『権利』を互いに奪い合う問題と、社会に対する『責務』を果たすかどうかの問題。人権擁護法案問題と今回の条例問題は一見似ているように見えて全く異なる構造のものなのだ。
また、この条例により自由な表現が阻害される、表現しようという意識が萎縮するとも言う。
なに甘っちょろいこと言ってんの?
歴史を紐解けば多くの文化というのは弾圧との戦いの中で生まれてきたではないか。たとえ禁じられようとも作品を作り続けるバイタリティー、そして、規制の目をくぐりぬけるため知恵をめぐらす努力。そうしたものがあればこそ、後世に残る作品というのが出来上がったのではないか。規制されたら何もできませんという程度の才能と覚悟の持ち主しかいないのであれば、作品の質も落ちようというものだ。表現者としてのプライドってものがないのだろうか?
先ほど述べたように、基本的に私は法の網の目をくぐりぬける行為については批判的に見ているのだが、それすらできない・する意欲の無いようなものを表現者と呼べるのだろうか?
作家・制作者・出版社などが反対運動することは否定しない。しかし反対運動でとどまってもらっては困るのだ。規制の枠内でどう生き残るか、そこのところを見据えていない反対運動には何の価値もない。
さらに言えば、作家・制作者・出版社が反対することは否定しないけれど、なんでそこに一般消費者が加わろうとするのであろうか。これこそ『小さな親切、大きなお世話』ってものだ。これは作家たちを堕落させ作品の質を落とすことにしかつながらないのではなかろうか。作品の質が落ちれば売り上げも減る。結局作家たちの権利を守れと言いながら作家たちの首を絞めるようなものである。
「自分は道楽でやってる同人作家なのだからそこまでの覚悟は持てないし、持つ必要も感じない。そういう我々が作品を書く上でこういう条例があると萎縮して物が書けなくなってしまう。素人はものを書くなということか?」という人もいるかもしれない。
馬鹿馬鹿しい。現在ある同人誌の多くは、まぎれもない著作権法違反である。ある日突然高額な損害賠償請求されるかもしれない、そういう状況に同人作家たちは置かれているのである。そんな状況があるにもかかわらず誰も萎縮などせずに同人活動を行っているではないか。条例で新たな規制ができたからって、なぜ急に萎縮するなどと考えるのだろう?全然筋が通ってない。とにかく被害者ぶれば言い分が通るなどという姑息なことを考えるのは見苦しいばかりである。まったくどこの左翼だよ。
以上のようにこの問題は、条例も、それに反対する意見もどっちもどっち。とても支持する気になれない。今後の動向を生温かい目で眺めることにしよう。
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サクラ大戦カラオケオフなど
タイトルはカラオケオフについてっぽいタイトルだけれども、ショウに関して前回書き損ねた部分なども書いておこうと思う。
さて、12日。
この日はサクラ大戦のカラオケオフがある。オフ会自体は昼過ぎからなので、そんなに急ぐ必要はないのだが、同じ時間帯に青山劇場で行われるサクラジヲ等公開録音風トークライブに行く人たちを見送るため、まずは青山劇場に向かう。
ちなみに私ははじめからこのトークライブに行くつもりはなかった。私はサクラ大戦ファンであって声優ファンではないもので。というか、このラジオ番組自体聴いてないし。
昔、『1』が出て間もないころにやっていた有楽町帝撃通信局というラジオ番組は毎週欠かさず聴いていた。この番組は本邦初の民間ラジオ局で、太正帝都市民に対する番組という設定で放送されていた。だから司会者もあくまでも藤枝あやめ帝劇副支配人であって折笠さんではなかったのだ。つまりこれは『サクラ大戦のラジオ番組』であって『サクラ大戦出演声優のラジオ番組』ではなかったのだ。だから聴いていた。
それと比べると現在放送されているサクラジヲにせよボイスフルワールドにせよ、司会者はあくまでも陶山さんと菅沼さん、日高さんと井上さんであり、平成日本の視聴者相手の番組をやっている。これは『サクラ大戦出演声優のラジオ番組』であって『サクラ大戦のラジオ番組』ではない。
さて、開場は11時30分ということなので、少し早めに10時くらいに青山劇場前に着いたのだが…。
ほとんど人がいない。片手で数えれるくらい。物販もなければおそらく開場前挨拶もないということで皆さんの出足は鈍いようである。
その後もなかなか人はこないし、係員が整列の準備をする気配もない。
結局11時を過ぎてちょっとした頃になってようやく整列が開始されてた。しかしそれでもそんなに大勢いるようには見えない。さすがにこのトークライブのチケットを譲るって紙をもっている人は見かけないのだが、この人数で満席になっていたのだろうか?
まぁ、告知が遅かったせいで存在自体知らなかったという人も少なくないという説も聞いたが実際のところどうなんだろう。個人的な意見を言えば、2000円という入場料の金額がネックになったんじゃないかと思う。
昔、活動写真使用楽曲の公開録音ってのがあったのだが、その時の入場料も確か2000円。田中公平先生指揮の生オーケストラ演奏が聴けて2000円というのと、声優4人が好き勝手にしゃべっているのを聞くだけで2000円というのではねぇ…。いや、今回のトークライブの参加を検討した人の多くはそんな昔のことは知らないだろうから、割高だなんてことは思わなかったのかもしれないけれど…。
入場開始するころになって知り合いと遭遇。その人はラジオのほうは聞いていないけど、とりあえずチケットを取ったとのこと。まぁこれが正しいファンの姿なんだろうねぇ。
で、その人が入場するまでの間、新作についてなどの話題でしばし歓談。
私がトークライブではなくオフ会に行くことを話すと
「うちのブログとリンクしている人もオフ会に行くって言っていたけど」
「そうそう、そのオフ会」
「その人に会いたかったんですけどね」
「たぶん、オフ会終了後、千穐楽入場者の見送りに来るんじゃないかなぁ」
「じゃぁ、待ってます」
というようなことになった。
さて、青山劇場を後にしてオフ会会場に向かう。12時15分ころ到着すると既にほかの皆さんは来ているようである。皆さん早いなぁ。しかし皆さん遠いところからお疲れ様です。
そこから3時間のカラオケオフ。しかし、若者組は奥ゆかしいというかなんというか、もうちょっと歌ってほしかったなぁ。私もそれほどレパートリーは多くないのだから。
というか、歌おうと思えば歌えるって曲は結構あった気がするのだけれど、数年ぶりに歌う曲なんてのは結構忘れていることが判明。やはり事前に練習しておいた方がよいのだけれども、我が家の近所にはパセラやカラ鉄のような統合機種の店がないから曲数が限られてるんだよね。
ちなみに私はひねくれ者なのでみんなが知らない曲を混ぜておきたいなんてことを考えてしまう。
まぁ、サクラ大戦のカラオケオフでこの曲を歌っておけば知ってる人は少ないだろうってのを一曲。この曲はサクラ大戦の曲でありながら田中公平先生の作曲でないことから知名度が低く、またカラオケで『サクラ大戦』で検索しても出てこないことから歌ってる人は少ないと思う。
その曲は『想い』。昔、乙女学園を描いたミュージカルがあったのだが、その主題歌である。ちょうど新作が『太正浪漫学園譚』ということで、新たに作られる学園の前身となった(そこらへんの設定を引き継いでなかったらキレる古いファンはたくさんいるぞ! 開発者、ちゃんとやってくれよ!!)乙女学園関連曲をって意味もあった。
ちなみにどんな曲か知らない人のために。
11分30秒くらいから。
今回のオフ会は途中参加も含めて5名。トークライブがなければもう少し人数が増えただろうか?
何にしても新たな出会いがったことは喜ばしいことである。
オフ会終了後、再び青山劇場前へ。
先ほどの知り合いに、約束通り引き合わせた後、あたりをうろつく。さすがに千穐楽だけあって知り合いもかなり来ている様子。そのうちの幾人かと歓談しているうちに開場前挨拶の時間になる。今回はシゾーも登場。並んでいる客は大いに盛り上がる。
ここで気になることが一点。いや、この千穐楽のときに限ったことではないのだが、この開場前挨拶のときカメラ(携帯電話を含む)を向けている人がかなりいるように感じられた。これはよろしくない。肖像権その他の問題もあり、こうしたイベント時に写真を撮るのはルール違反である。あまりにひどいようならこの開場前挨拶が廃止される可能性すらある。
別に私は声優と握手したいわけではないが、もはや恒例となっているこのイベントが、ファンの無軌道な行動により廃止されてしまうのは勘弁願いたい。
特に初日だとか千穐楽だとかでは、DVD収録のために、この開場前挨拶の様子も撮影している。つまり、声優にカメラを向けている人がいればそれも映ってしまっているわけである。ファンの行動の証拠として残ってしまうわけなのだ。これが元で本当に開場前挨拶が廃止されるようなことになったらどう責任を取るつもりなのだろうか?
まぁ、それが自分の行動のせいだと気づくことのできない人種がそういう行動をしているという面もあり、本当にやりきれない思いを感じる。
携帯電話にカメラ機能が付いて以来、安易にカメラを向ける風潮がはびこっているが、時と場合を選ぶことを心掛けてほしいものである。
さて次のサクラがらみのイベントというと横山智佐さんの帝都花組全曲ライブになるであろうか。私自身「何が何でも行きたい!」とは考えていないのだが、皆さんはどうなのであろうか。もし皆さんが参加される予定で、オフ会があるというのであれば私も行っても良いかなって程度なんだけれども。
3月21日ねぇ。
そろそろ桜が開花し始める時期か…。今年の冬はそれなりに冷え込んでるみたいだし、気象庁の長期予報によれば2月は例年より暖かくなりそうな雰囲気。たぶん開花はしていると思うけれども花見にはちょっと早いって感じだろうか。まぁ、ソメイヨシノに限定しなければ満開期の品種の桜もあるだろうから花見オフも不可能ではないかな。川崎からはいささか離れてしまうけれど、サクラスポットでもある上野公園なら40品種くらいの桜があるからどれかは咲いてるだろう。誰か企画しない? ライブの前日の20日に花見オフで楽しんでもらって、21日のライブを迎えるって感じで。
さて、12日。
この日はサクラ大戦のカラオケオフがある。オフ会自体は昼過ぎからなので、そんなに急ぐ必要はないのだが、同じ時間帯に青山劇場で行われるサクラジヲ等公開録音風トークライブに行く人たちを見送るため、まずは青山劇場に向かう。
ちなみに私ははじめからこのトークライブに行くつもりはなかった。私はサクラ大戦ファンであって声優ファンではないもので。というか、このラジオ番組自体聴いてないし。
昔、『1』が出て間もないころにやっていた有楽町帝撃通信局というラジオ番組は毎週欠かさず聴いていた。この番組は本邦初の民間ラジオ局で、太正帝都市民に対する番組という設定で放送されていた。だから司会者もあくまでも藤枝あやめ帝劇副支配人であって折笠さんではなかったのだ。つまりこれは『サクラ大戦のラジオ番組』であって『サクラ大戦出演声優のラジオ番組』ではなかったのだ。だから聴いていた。
それと比べると現在放送されているサクラジヲにせよボイスフルワールドにせよ、司会者はあくまでも陶山さんと菅沼さん、日高さんと井上さんであり、平成日本の視聴者相手の番組をやっている。これは『サクラ大戦出演声優のラジオ番組』であって『サクラ大戦のラジオ番組』ではない。
さて、開場は11時30分ということなので、少し早めに10時くらいに青山劇場前に着いたのだが…。
ほとんど人がいない。片手で数えれるくらい。物販もなければおそらく開場前挨拶もないということで皆さんの出足は鈍いようである。
その後もなかなか人はこないし、係員が整列の準備をする気配もない。
結局11時を過ぎてちょっとした頃になってようやく整列が開始されてた。しかしそれでもそんなに大勢いるようには見えない。さすがにこのトークライブのチケットを譲るって紙をもっている人は見かけないのだが、この人数で満席になっていたのだろうか?
まぁ、告知が遅かったせいで存在自体知らなかったという人も少なくないという説も聞いたが実際のところどうなんだろう。個人的な意見を言えば、2000円という入場料の金額がネックになったんじゃないかと思う。
昔、活動写真使用楽曲の公開録音ってのがあったのだが、その時の入場料も確か2000円。田中公平先生指揮の生オーケストラ演奏が聴けて2000円というのと、声優4人が好き勝手にしゃべっているのを聞くだけで2000円というのではねぇ…。いや、今回のトークライブの参加を検討した人の多くはそんな昔のことは知らないだろうから、割高だなんてことは思わなかったのかもしれないけれど…。
入場開始するころになって知り合いと遭遇。その人はラジオのほうは聞いていないけど、とりあえずチケットを取ったとのこと。まぁこれが正しいファンの姿なんだろうねぇ。
で、その人が入場するまでの間、新作についてなどの話題でしばし歓談。
私がトークライブではなくオフ会に行くことを話すと
「うちのブログとリンクしている人もオフ会に行くって言っていたけど」
「そうそう、そのオフ会」
「その人に会いたかったんですけどね」
「たぶん、オフ会終了後、千穐楽入場者の見送りに来るんじゃないかなぁ」
「じゃぁ、待ってます」
というようなことになった。
さて、青山劇場を後にしてオフ会会場に向かう。12時15分ころ到着すると既にほかの皆さんは来ているようである。皆さん早いなぁ。しかし皆さん遠いところからお疲れ様です。
そこから3時間のカラオケオフ。しかし、若者組は奥ゆかしいというかなんというか、もうちょっと歌ってほしかったなぁ。私もそれほどレパートリーは多くないのだから。
というか、歌おうと思えば歌えるって曲は結構あった気がするのだけれど、数年ぶりに歌う曲なんてのは結構忘れていることが判明。やはり事前に練習しておいた方がよいのだけれども、我が家の近所にはパセラやカラ鉄のような統合機種の店がないから曲数が限られてるんだよね。
ちなみに私はひねくれ者なのでみんなが知らない曲を混ぜておきたいなんてことを考えてしまう。
まぁ、サクラ大戦のカラオケオフでこの曲を歌っておけば知ってる人は少ないだろうってのを一曲。この曲はサクラ大戦の曲でありながら田中公平先生の作曲でないことから知名度が低く、またカラオケで『サクラ大戦』で検索しても出てこないことから歌ってる人は少ないと思う。
その曲は『想い』。昔、乙女学園を描いたミュージカルがあったのだが、その主題歌である。ちょうど新作が『太正浪漫学園譚』ということで、新たに作られる学園の前身となった(そこらへんの設定を引き継いでなかったらキレる古いファンはたくさんいるぞ! 開発者、ちゃんとやってくれよ!!)乙女学園関連曲をって意味もあった。
ちなみにどんな曲か知らない人のために。
11分30秒くらいから。
今回のオフ会は途中参加も含めて5名。トークライブがなければもう少し人数が増えただろうか?
何にしても新たな出会いがったことは喜ばしいことである。
オフ会終了後、再び青山劇場前へ。
先ほどの知り合いに、約束通り引き合わせた後、あたりをうろつく。さすがに千穐楽だけあって知り合いもかなり来ている様子。そのうちの幾人かと歓談しているうちに開場前挨拶の時間になる。今回はシゾーも登場。並んでいる客は大いに盛り上がる。
ここで気になることが一点。いや、この千穐楽のときに限ったことではないのだが、この開場前挨拶のときカメラ(携帯電話を含む)を向けている人がかなりいるように感じられた。これはよろしくない。肖像権その他の問題もあり、こうしたイベント時に写真を撮るのはルール違反である。あまりにひどいようならこの開場前挨拶が廃止される可能性すらある。
別に私は声優と握手したいわけではないが、もはや恒例となっているこのイベントが、ファンの無軌道な行動により廃止されてしまうのは勘弁願いたい。
特に初日だとか千穐楽だとかでは、DVD収録のために、この開場前挨拶の様子も撮影している。つまり、声優にカメラを向けている人がいればそれも映ってしまっているわけである。ファンの行動の証拠として残ってしまうわけなのだ。これが元で本当に開場前挨拶が廃止されるようなことになったらどう責任を取るつもりなのだろうか?
まぁ、それが自分の行動のせいだと気づくことのできない人種がそういう行動をしているという面もあり、本当にやりきれない思いを感じる。
携帯電話にカメラ機能が付いて以来、安易にカメラを向ける風潮がはびこっているが、時と場合を選ぶことを心掛けてほしいものである。
さて次のサクラがらみのイベントというと横山智佐さんの帝都花組全曲ライブになるであろうか。私自身「何が何でも行きたい!」とは考えていないのだが、皆さんはどうなのであろうか。もし皆さんが参加される予定で、オフ会があるというのであれば私も行っても良いかなって程度なんだけれども。
3月21日ねぇ。
そろそろ桜が開花し始める時期か…。今年の冬はそれなりに冷え込んでるみたいだし、気象庁の長期予報によれば2月は例年より暖かくなりそうな雰囲気。たぶん開花はしていると思うけれども花見にはちょっと早いって感じだろうか。まぁ、ソメイヨシノに限定しなければ満開期の品種の桜もあるだろうから花見オフも不可能ではないかな。川崎からはいささか離れてしまうけれど、サクラスポットでもある上野公園なら40品種くらいの桜があるからどれかは咲いてるだろう。誰か企画しない? ライブの前日の20日に花見オフで楽しんでもらって、21日のライブを迎えるって感じで。
サクラ大戦 巴里・紐育ライブに行ってきた
初日公演に行ってきた。帰りの電車がが人身事故の影響で遅れていたこともありつかれたので、詳細は後日。
==================================================
ということで余裕ができたのでそろそろ更新せねば。
ちなみに期待されているようで申し訳ないですが、私の書くものではショウそのものの感想はごく軽くしか扱いませんのであしからず。
ちなみにhttp://sakurawars.net/kyview1/article/s/sakura/index.htmlでは、極めて詳細なレポート(文章で読むライブショウといって良いかも)を書いてくれる人がいるので、今回も期待しておきましょう。
10日15時ごろ青山劇場前に到着。
物販列はすでに相当長くなっている様子。平日のこんな時間にアンタらいったい何してんの?仕事はどうしたの?
いや、それを現地で見ている私も人のことは言えないけどさ。
私はグッズを買うつもりはないので列には並ばず、来場者を見渡せる位置で待機。しかしなかなか知り合いが来ない。すでに物販列に並んでしまっているのか、年末の平日ということで初日をあきらめているのか。
でも昔だったら年末の平日でもそれなりの数の知り合いに会えてたはずなんだけれどもなぁ。
それでも何人かと
「どうも、お早いですね」
「ご無沙汰してます」
「それでは物販のほうに並んできます」
「いってらっしゃい」
というような短い挨拶を交わしながら、物販列に並ぶのを見送ることができた。とりあえずは皆さんお元気そうでなにより。
そうこうしているうちに物販の準備が始まった。例年であれば入口の扉のところで先行販売をしていたのだが、今回は外で販売するらしい。まぁそのほうが説客人数も多く配置できるし効率的なのだろう。
でもあとで聞いた話によると、せっかく接客人数を増やしたのに、個々の販売員のスキルが低いため、昔と比べてそんなに効率的に客をさばけていなかったようである。
さらにその混乱に拍車をかけたのが、直前になってからの販売個数制限。例年初日の先行販売では個数制限がされておらず、友達の分までまとめ買いすることができ、物販列に並ぶ人数を抑える役割を果たしてきた。それが突然直前になって個数制限などと言われたために、買い物リストに記入してあった数字を書きなおす羽目になったり、その書きなおしのせいでリストが見にくくなったのか販売員が注文を間違えたりということが続出したようである。こういう例年からの変更箇所がある場合には事前に告知するというのが親切というものだろう。客に対してだけでなく現場の販売員の負担を減らすためにも。本当に年々手際というか対応が悪くなっていくなぁ…。
まぁ買わずに見ているだけの私には実害がないから別にいいけど。
あと、今回チケットを余らせている人をかなり見かけた。私の知り合いでも『本日チケット(SS席)譲ります』と書いた紙を掲げてたし。結局新しいファンが流入しているとはいえ、それ以上のファン離れも進んでいて、ごく一部の熱狂的ファンが買い支えているという状況なのだろう。
そして17時に先行販売が終了してしばらくすると、恒例の男性出演者の握手。当然私は並ばない。
結局今回も会場は少し遅れていたようであるが、これもいつものこと。
本当は、開演ぎりぎりまで外にいようと思っていた。平日だから開演ぎりぎりにならなければ来れない知り合いもいるだろうから、それを待って入ろうと思っていた。しかし、昨年の巴里ライブのときは同じことをしていても何でもなかったのだが、今年は寒さがこたえ、膝や腰が痛くなってしまた。去年と比べて私の体にガタがきているのか、昨年よりも気温が低かったのか…。
仕方がないのでサッサと入場する。
会場内をぶらついてみたがやはり知り合いはあまり見かけない。皆さん都合がつかなかったのだろうか。
ショウの内容についてはおおむね満足。巴里・紐育メンバーによる『奇跡の鐘』は聞きごたえがあったし、新曲も悪くはない。私自身はやらないにせよ御旗や地上の戦士の振り付け講座ができたのも評価に値すると思う。
重箱の隅をつつくようなことを言えば、オープニングのときのグリシーヌの衣装がミニスカートなのは、グリシーヌの個性とはいささかマッチしないように感じたのだが、まぁ似合ってるからいいかって気にもなる。きっと本当の衣装はロングスカートだったのに、シゾーが切ってミニスカートにしちゃったんだよ。で、替えの衣装がなかったからその衣装で出たら思いのほか好評だったんだってことにしておこう。
(サクラ大戦世界でミニスカートを始めて作ったのはシゾーってことになってたはずだし)
あと、今回のショウに限ったことではないのだが、『サプライズ』という言葉が多用されるのには違和感を感じる。私はサプライズよりも様式美を重んずる保守的な性格である。そうであればこそ、舞台の内容を崩す歌謡ショウの千穐楽はよほどのことがない限りは見なかったわけであるが、それはともかく、サクラ大戦も「お約束」といういわば様式美によって成り立っているものではなかったか?
もちろん今回のショウも、サクラの様式を一定以上保持していたと思う。そこにサプライズなど必要なのだろうか。もちろんあっても良いのだが、サプライズというのは、料理でいえば薬味のようなもの。あくまでも料理を引きたてるために少量使うものである。薬味の自己主張が強すぎれば料理自体が台無しになってしまう。薬味をてんこ盛りにして料理を食べるのはよほどの味音痴であろう。舞台におけるサプライズというのも同様であって、あれもサプライズ、これもサプライズというやり方には違和感を感じるのだ。
もちろんサプライズという言葉だけが独り歩きをして、実際は様式の中で舞台を動かしている例も多数あるのだが、そうすると、サプライズでもなんでもないものをサプライズと称して気を引こうとするやり方・言葉の使い方に違和感を感じる。
そしてショウの最後において、新作ゲームのタイトルが発表される。『太正浪漫学園譚』というらしい。その発表のとき思わず「ふざけるな!」ってつぶやいちゃったよ。まぁ、新作ゲームについてはおいおい書いていくことにしよう。
そんなこんなで今回の観劇は終わり。劇場前で待っていれば知り合いに会えたかもしれないのだが、また寒いところで待っていても体の負担が大きいだろうから、近くにいた知り合いと感想を語りながらの食事をしてから帰宅。
とりあえずはここまで。オフ会のあった12日(観劇はしてないけど)については項を改める。
==================================================
ということで余裕ができたのでそろそろ更新せねば。
ちなみに期待されているようで申し訳ないですが、私の書くものではショウそのものの感想はごく軽くしか扱いませんのであしからず。
ちなみにhttp://sakurawars.net/kyview1/article/s/sakura/index.htmlでは、極めて詳細なレポート(文章で読むライブショウといって良いかも)を書いてくれる人がいるので、今回も期待しておきましょう。
10日15時ごろ青山劇場前に到着。
物販列はすでに相当長くなっている様子。平日のこんな時間にアンタらいったい何してんの?仕事はどうしたの?
いや、それを現地で見ている私も人のことは言えないけどさ。
私はグッズを買うつもりはないので列には並ばず、来場者を見渡せる位置で待機。しかしなかなか知り合いが来ない。すでに物販列に並んでしまっているのか、年末の平日ということで初日をあきらめているのか。
でも昔だったら年末の平日でもそれなりの数の知り合いに会えてたはずなんだけれどもなぁ。
それでも何人かと
「どうも、お早いですね」
「ご無沙汰してます」
「それでは物販のほうに並んできます」
「いってらっしゃい」
というような短い挨拶を交わしながら、物販列に並ぶのを見送ることができた。とりあえずは皆さんお元気そうでなにより。
そうこうしているうちに物販の準備が始まった。例年であれば入口の扉のところで先行販売をしていたのだが、今回は外で販売するらしい。まぁそのほうが説客人数も多く配置できるし効率的なのだろう。
でもあとで聞いた話によると、せっかく接客人数を増やしたのに、個々の販売員のスキルが低いため、昔と比べてそんなに効率的に客をさばけていなかったようである。
さらにその混乱に拍車をかけたのが、直前になってからの販売個数制限。例年初日の先行販売では個数制限がされておらず、友達の分までまとめ買いすることができ、物販列に並ぶ人数を抑える役割を果たしてきた。それが突然直前になって個数制限などと言われたために、買い物リストに記入してあった数字を書きなおす羽目になったり、その書きなおしのせいでリストが見にくくなったのか販売員が注文を間違えたりということが続出したようである。こういう例年からの変更箇所がある場合には事前に告知するというのが親切というものだろう。客に対してだけでなく現場の販売員の負担を減らすためにも。本当に年々手際というか対応が悪くなっていくなぁ…。
まぁ買わずに見ているだけの私には実害がないから別にいいけど。
あと、今回チケットを余らせている人をかなり見かけた。私の知り合いでも『本日チケット(SS席)譲ります』と書いた紙を掲げてたし。結局新しいファンが流入しているとはいえ、それ以上のファン離れも進んでいて、ごく一部の熱狂的ファンが買い支えているという状況なのだろう。
そして17時に先行販売が終了してしばらくすると、恒例の男性出演者の握手。当然私は並ばない。
結局今回も会場は少し遅れていたようであるが、これもいつものこと。
本当は、開演ぎりぎりまで外にいようと思っていた。平日だから開演ぎりぎりにならなければ来れない知り合いもいるだろうから、それを待って入ろうと思っていた。しかし、昨年の巴里ライブのときは同じことをしていても何でもなかったのだが、今年は寒さがこたえ、膝や腰が痛くなってしまた。去年と比べて私の体にガタがきているのか、昨年よりも気温が低かったのか…。
仕方がないのでサッサと入場する。
会場内をぶらついてみたがやはり知り合いはあまり見かけない。皆さん都合がつかなかったのだろうか。
ショウの内容についてはおおむね満足。巴里・紐育メンバーによる『奇跡の鐘』は聞きごたえがあったし、新曲も悪くはない。私自身はやらないにせよ御旗や地上の戦士の振り付け講座ができたのも評価に値すると思う。
重箱の隅をつつくようなことを言えば、オープニングのときのグリシーヌの衣装がミニスカートなのは、グリシーヌの個性とはいささかマッチしないように感じたのだが、まぁ似合ってるからいいかって気にもなる。きっと本当の衣装はロングスカートだったのに、シゾーが切ってミニスカートにしちゃったんだよ。で、替えの衣装がなかったからその衣装で出たら思いのほか好評だったんだってことにしておこう。
(サクラ大戦世界でミニスカートを始めて作ったのはシゾーってことになってたはずだし)
あと、今回のショウに限ったことではないのだが、『サプライズ』という言葉が多用されるのには違和感を感じる。私はサプライズよりも様式美を重んずる保守的な性格である。そうであればこそ、舞台の内容を崩す歌謡ショウの千穐楽はよほどのことがない限りは見なかったわけであるが、それはともかく、サクラ大戦も「お約束」といういわば様式美によって成り立っているものではなかったか?
もちろん今回のショウも、サクラの様式を一定以上保持していたと思う。そこにサプライズなど必要なのだろうか。もちろんあっても良いのだが、サプライズというのは、料理でいえば薬味のようなもの。あくまでも料理を引きたてるために少量使うものである。薬味の自己主張が強すぎれば料理自体が台無しになってしまう。薬味をてんこ盛りにして料理を食べるのはよほどの味音痴であろう。舞台におけるサプライズというのも同様であって、あれもサプライズ、これもサプライズというやり方には違和感を感じるのだ。
もちろんサプライズという言葉だけが独り歩きをして、実際は様式の中で舞台を動かしている例も多数あるのだが、そうすると、サプライズでもなんでもないものをサプライズと称して気を引こうとするやり方・言葉の使い方に違和感を感じる。
そしてショウの最後において、新作ゲームのタイトルが発表される。『太正浪漫学園譚』というらしい。その発表のとき思わず「ふざけるな!」ってつぶやいちゃったよ。まぁ、新作ゲームについてはおいおい書いていくことにしよう。
そんなこんなで今回の観劇は終わり。劇場前で待っていれば知り合いに会えたかもしれないのだが、また寒いところで待っていても体の負担が大きいだろうから、近くにいた知り合いと感想を語りながらの食事をしてから帰宅。
とりあえずはここまで。オフ会のあった12日(観劇はしてないけど)については項を改める。