サクラ大戦紐育ショウを見てきた
富士登山記がまだ途中ではあるが、別の話題。
日本青年館で行われている、サクラ大戦の紐育のショウを見てきた。
織姫復帰おめでとう!!
以上!
というのは冗談であるが、当初はこれが冗談ではなくなると予想していた。
そもそも、織姫復帰公演であるからこそ観劇を決めたのであって、もしそういうことのない単なる紐育ショウだったら観劇に行こうなどとは考えなかったであろう。
昨年12月の公演は巴里花組との合同公演だったから、2008年夏公演はラストショウということとラチェットが出演することから見に行ったのであって、本当は2008年の段階で紐育のショウの観劇はやめるつもりだった。私にとって紐育星組というのはその程度の存在である。
まぁ、V自体の世界観がサクラ大戦世界とはずれていると感じている私からすれば、ショウのほうででたらめなことをやっても「今更腹を立てることもない」と感じられる分、安心して(?)見られる舞台ではあったんだけどね。
帝都花組などは思い入れが強い分、ショウのことは帝都花組公演とは呼ばず大星花之丞一座公演と呼んでいたことがあるくらいだけど。
今回予告のようなことを書いたオフ会を開催しないことにしたのも、今回が紐育ショウだからという側面が大きい。公式を名乗るサークルがなくなって、SakuraWars.netのBBSに人が流入してくると思えばこそ、紐育のショウなのにオフ会をやった方がよいのではないかという意見を表明したのであるが、BBSに人が流入していない現状を見る限りでは、無理してまでオフ会をショウの時期に合わせて開催する意味が見いだせないのである。それこそ、ショウとは関係ない時期に真宮寺さくらの出身地である仙台に行き、昼間は被災地ボランティアとして汗を流し、夜はオフ会で現地の店で金を使うことで復興支援なんて企画のほうがよほど役に立つというものである。
とにかくチケットは入手できてしまっていたので会場へ向かう。その前にちょっと寄り道。
千駄ヶ谷駅を出た後まずは鳩森八幡神社へ向かう。ここには富士塚があって以前にも何回か登ってきた。ここの富士塚はきちんと頂上まで登れるからね。ちなみにここの富士塚は都内最古のものらしい。
本物の富士山に登ってきているのだからわざわざ富士塚に登る必要はないのだけれども、せっかくすぐ近くに行く用があるのだからよっていこうってわけである。
と何となく富士登山記の合間の話題にも富士山がらみの話題を挿入してみる。
会場前に着いたのは16時くらい。すでにグッズ先行販売が始まっている。しかし見知った顔は見かけないので明治公園に移動。回を重ねるたびに知り合いの顔が減っているような気がするが、紐育のショウだとなおのことそう感じる。そもそも以前だったら新たな知り合いが増える機会があったから、見かけなくなってしまう者がいても見かける知り合いの総数はそれほど変わらなかったのであるが、公式を名乗るサークルでは新たな知り合いを増やす機会というのが作りにくかったからねぇ。
開場前挨拶の時間になる。例によって私は列には並ばず脇で見ることに。今回現れたのはダンディー団の3人とサニーさんと公平先生。新次郎もいなければラッシー先生もいない。今回は紐育のショウじゃなかったのか?帝都組3人に対して紐育組1人って…。
ところで初日および被災者向けのサニーサプライズって何をやったの?私の見える範囲では何かをやっている様子はなかったんだけど。誰も申し込まなかったのかな?まぁ何をやったかはそのうちSakuraWars.netで書いてくれる人がいるだろう。
入場列がある程度はけてから私も入場。意外とスムーズに入場できた気がするのだがどうしちゃったんだろう。いやスムーズに入場できたのだから文句はないのだが、いつもスムーズに入場できなくてイライラしていたことを思うと何やら拍子抜け。ロビーの様子も、以前日本青年館で行われた公演の時と比べて随分余裕があるように感じる。初日とはいえ平日だから皆さんまだ来ていなかったということか?
ちなみに2階席ではS席が2列ほど(2列半くらいはあったかも)の空席があった。日本青年館は青山劇場よりかは多少席数が多いはずだが厚生年金会館よりはかなり席数が少なかったはず。それでこれだけの空席があったということは、来場者自体が少なかったということか。平日とはいえ初日公演がこの状況とは…。
で、空席があるのは仕方がないこととはいえ、休憩時間後に勝手にその空席に移動する馬鹿どもが複数いたのは呆れるばかりであった。確かにA席の料金しか払っていないものがS席に座っていたわけではない。しかし自分の席以外の席に座るのはルール違反であろう。荷物は元の席に置いたまま別の席まで占有するのであればなおさらである。そういうことをするのであればきちんと2席分の料金を徴収されるべきだろう。
ショウの内容に関してはおおむね満足。今回のショウは紐育星組のショウではなく欧州星組のショウだったんだと思う。織姫復帰公演ということで見に来たわけであるが、ここまでしっかり欧州星組の話が織り込まれているとは思わなかった。うれしい誤算といったところか。紐育星組公演ではなく欧州星組公演であるということがもっと前から周知されていたならば私、もしくは関連団体でオフ会をやったかもしれない。紐育星組には思い入れはなくとも欧州星組について深く掘り下げて考えたい人が集まる場ということであればやる意味も出てくる。
しかし、欧州星組の話が織り込まれていても、古くからのファンの関心は高いであろうが、新しいファンにとってはどうなんだろう?Vから始めたファンというのも少なくないだろう、というか紐育のショウに来る人の中ではそういう人の割合が高いと思うのであるが、欧州星組という設定をどの程度重要視しているのであろうか?
サクラ大戦の世界観とVの世界観にはずれがあり、欧州星組の設定はサクラ大戦の世界観との親和性が高いように感じているのだが、であるならばVの世界観が好きな人にとっては欧州星組の設定は重要なものにはなりえないだろう。
織姫復帰公演だから欧州星組の話を出したのか、欧州星組の話を出すために織姫を復帰させたのか。欧州星組の話は、その設定を昔話の中に押し込めて切り捨てるため、幕引きのために出てきたのか、逆に欧州星組最後の一人が登場する新作の始動の予兆として出てきたのか。その辺の意図がはっきり示されていたならば、場合によってはより楽しめたかもしれない。
違和感を感じるところがなかったわけではない。
例えばダンディー団の存在である。話の本筋にはかかわっておらず、無理やり登場シーンを作ったように見えてしまった。話の本筋にはからめにくい存在ではあるといえ、なんのためにダンディー団を出演させたのだろう?まさか開場前挨拶要員として呼んだわけではあるまいな。今回のような中途半端な扱いをするのはあまりにもったいなすぎる。というか役者さんたちに失礼ではないか?
また、今回に限ったことではないが『リトルリップ青年館』という呼称にもものすごく違和感を感じる。
ごく初期の歌謡ショウでは、劇場はあくまでも大帝国劇場であって厚生年金会館ではないというスタンスであり観客も太正帝都東京市民だという遊び心のもとで上演されていた。それがいつの間にか『大帝国厚生年金会館』などという珍妙な呼称が定着してしまいその流れが紐育にも来ているわけである。
しかしそうした珍妙な呼称には、太正帝都市民として楽しませるという視点はなく、平成日本の声優ファン向けの舞台をサクラ大戦の舞台と言い張るためのごまかしの手段として使われているようにしか見えないのである。
この珍妙な呼称をやめない限りは花組も星組も偽物でしかなくなってしまう。
さて次は武道館公演か。果たしてどんな舞台になるのであろうか。
日本青年館で行われている、サクラ大戦の紐育のショウを見てきた。
織姫復帰おめでとう!!
以上!
というのは冗談であるが、当初はこれが冗談ではなくなると予想していた。
そもそも、織姫復帰公演であるからこそ観劇を決めたのであって、もしそういうことのない単なる紐育ショウだったら観劇に行こうなどとは考えなかったであろう。
昨年12月の公演は巴里花組との合同公演だったから、2008年夏公演はラストショウということとラチェットが出演することから見に行ったのであって、本当は2008年の段階で紐育のショウの観劇はやめるつもりだった。私にとって紐育星組というのはその程度の存在である。
まぁ、V自体の世界観がサクラ大戦世界とはずれていると感じている私からすれば、ショウのほうででたらめなことをやっても「今更腹を立てることもない」と感じられる分、安心して(?)見られる舞台ではあったんだけどね。
帝都花組などは思い入れが強い分、ショウのことは帝都花組公演とは呼ばず大星花之丞一座公演と呼んでいたことがあるくらいだけど。
今回予告のようなことを書いたオフ会を開催しないことにしたのも、今回が紐育ショウだからという側面が大きい。公式を名乗るサークルがなくなって、SakuraWars.netのBBSに人が流入してくると思えばこそ、紐育のショウなのにオフ会をやった方がよいのではないかという意見を表明したのであるが、BBSに人が流入していない現状を見る限りでは、無理してまでオフ会をショウの時期に合わせて開催する意味が見いだせないのである。それこそ、ショウとは関係ない時期に真宮寺さくらの出身地である仙台に行き、昼間は被災地ボランティアとして汗を流し、夜はオフ会で現地の店で金を使うことで復興支援なんて企画のほうがよほど役に立つというものである。
とにかくチケットは入手できてしまっていたので会場へ向かう。その前にちょっと寄り道。
千駄ヶ谷駅を出た後まずは鳩森八幡神社へ向かう。ここには富士塚があって以前にも何回か登ってきた。ここの富士塚はきちんと頂上まで登れるからね。ちなみにここの富士塚は都内最古のものらしい。
本物の富士山に登ってきているのだからわざわざ富士塚に登る必要はないのだけれども、せっかくすぐ近くに行く用があるのだからよっていこうってわけである。
と何となく富士登山記の合間の話題にも富士山がらみの話題を挿入してみる。
会場前に着いたのは16時くらい。すでにグッズ先行販売が始まっている。しかし見知った顔は見かけないので明治公園に移動。回を重ねるたびに知り合いの顔が減っているような気がするが、紐育のショウだとなおのことそう感じる。そもそも以前だったら新たな知り合いが増える機会があったから、見かけなくなってしまう者がいても見かける知り合いの総数はそれほど変わらなかったのであるが、公式を名乗るサークルでは新たな知り合いを増やす機会というのが作りにくかったからねぇ。
開場前挨拶の時間になる。例によって私は列には並ばず脇で見ることに。今回現れたのはダンディー団の3人とサニーさんと公平先生。新次郎もいなければラッシー先生もいない。今回は紐育のショウじゃなかったのか?帝都組3人に対して紐育組1人って…。
ところで初日および被災者向けのサニーサプライズって何をやったの?私の見える範囲では何かをやっている様子はなかったんだけど。誰も申し込まなかったのかな?まぁ何をやったかはそのうちSakuraWars.netで書いてくれる人がいるだろう。
入場列がある程度はけてから私も入場。意外とスムーズに入場できた気がするのだがどうしちゃったんだろう。いやスムーズに入場できたのだから文句はないのだが、いつもスムーズに入場できなくてイライラしていたことを思うと何やら拍子抜け。ロビーの様子も、以前日本青年館で行われた公演の時と比べて随分余裕があるように感じる。初日とはいえ平日だから皆さんまだ来ていなかったということか?
ちなみに2階席ではS席が2列ほど(2列半くらいはあったかも)の空席があった。日本青年館は青山劇場よりかは多少席数が多いはずだが厚生年金会館よりはかなり席数が少なかったはず。それでこれだけの空席があったということは、来場者自体が少なかったということか。平日とはいえ初日公演がこの状況とは…。
で、空席があるのは仕方がないこととはいえ、休憩時間後に勝手にその空席に移動する馬鹿どもが複数いたのは呆れるばかりであった。確かにA席の料金しか払っていないものがS席に座っていたわけではない。しかし自分の席以外の席に座るのはルール違反であろう。荷物は元の席に置いたまま別の席まで占有するのであればなおさらである。そういうことをするのであればきちんと2席分の料金を徴収されるべきだろう。
ショウの内容に関してはおおむね満足。今回のショウは紐育星組のショウではなく欧州星組のショウだったんだと思う。織姫復帰公演ということで見に来たわけであるが、ここまでしっかり欧州星組の話が織り込まれているとは思わなかった。うれしい誤算といったところか。紐育星組公演ではなく欧州星組公演であるということがもっと前から周知されていたならば私、もしくは関連団体でオフ会をやったかもしれない。紐育星組には思い入れはなくとも欧州星組について深く掘り下げて考えたい人が集まる場ということであればやる意味も出てくる。
しかし、欧州星組の話が織り込まれていても、古くからのファンの関心は高いであろうが、新しいファンにとってはどうなんだろう?Vから始めたファンというのも少なくないだろう、というか紐育のショウに来る人の中ではそういう人の割合が高いと思うのであるが、欧州星組という設定をどの程度重要視しているのであろうか?
サクラ大戦の世界観とVの世界観にはずれがあり、欧州星組の設定はサクラ大戦の世界観との親和性が高いように感じているのだが、であるならばVの世界観が好きな人にとっては欧州星組の設定は重要なものにはなりえないだろう。
織姫復帰公演だから欧州星組の話を出したのか、欧州星組の話を出すために織姫を復帰させたのか。欧州星組の話は、その設定を昔話の中に押し込めて切り捨てるため、幕引きのために出てきたのか、逆に欧州星組最後の一人が登場する新作の始動の予兆として出てきたのか。その辺の意図がはっきり示されていたならば、場合によってはより楽しめたかもしれない。
違和感を感じるところがなかったわけではない。
例えばダンディー団の存在である。話の本筋にはかかわっておらず、無理やり登場シーンを作ったように見えてしまった。話の本筋にはからめにくい存在ではあるといえ、なんのためにダンディー団を出演させたのだろう?まさか開場前挨拶要員として呼んだわけではあるまいな。今回のような中途半端な扱いをするのはあまりにもったいなすぎる。というか役者さんたちに失礼ではないか?
また、今回に限ったことではないが『リトルリップ青年館』という呼称にもものすごく違和感を感じる。
ごく初期の歌謡ショウでは、劇場はあくまでも大帝国劇場であって厚生年金会館ではないというスタンスであり観客も太正帝都東京市民だという遊び心のもとで上演されていた。それがいつの間にか『大帝国厚生年金会館』などという珍妙な呼称が定着してしまいその流れが紐育にも来ているわけである。
しかしそうした珍妙な呼称には、太正帝都市民として楽しませるという視点はなく、平成日本の声優ファン向けの舞台をサクラ大戦の舞台と言い張るためのごまかしの手段として使われているようにしか見えないのである。
この珍妙な呼称をやめない限りは花組も星組も偽物でしかなくなってしまう。
さて次は武道館公演か。果たしてどんな舞台になるのであろうか。
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2011年富士登山記(2) 体力の衰えが…
さて、日は改まり14日。新五合目の出発はいつにするか。
暑いのが苦手な私としては夜のうちに登れるところまで登ってしまった方が後々楽そうではある。
しかし御殿場口は、事前情報によれば登山道にガイドロープがないらしい。他の人についていけるほど人も通ってない。はじめて通る身としてはやや不安といったところ。
それに寝不足のまま登り続けるのも体に負担が大きそうだから少しでも仮眠をとった方がよくはないだろうか?
ということで日の出前、明るくなりかけたころに出発することにして一寝入り。ちなみに5合目でも結構冷え込むので、屋外で寝るのはお勧めできない。まぁ私はやってるんだけどよい子は真似しちゃだめだぞ。下手すると凍死しちゃうからね。
で、ちょっと寝すぎて、起きてからいろいろ準備しているうちに完全に明るくなっちゃった。まぁそれでもまだ日の出前ではあるけれども。
せっかくだからここから見上げる富士山を撮影。

まだまだ山頂が遠いのは見てとれるが、さすがに宝永山はかなり大きく迫って見える。その下には双子山も見える。雲もなくハイキング日和とは言えるのだろう。
過去においては登るときもほかの山から眺めるときも雲に隠れていた富士山であるが、今年は新倉山浅間神社に行った時も今回も雲をかぶっていない。今年はツイているのか?
でもこれは暑くなりそうである。その点は少し厄介かも。景色を眺めるという観点からすれば雲はない方がよいが、あまり景色の変わらない御殿場口登山ではむしろ雲で日光を遮ってもらった方が歩きやすい。まぁこういうのはないものねだりなのだろう。
ということで4時20分、売店横の鳥居をくぐり出発する。

出発後最初の山小屋である大石茶屋までの短い間に日の出時刻を迎える。

富士山を見上げれば雲もほとんどない晴天だが逆方向を見下ろすと雲は多いようである。四大登山口のうち最も標高の低い御殿場口ではあるが、それでも雲より上に位置しているようである。
さて、まだ開いていない大石茶屋の前を通り過ぎると、いよいよ本格的な登山という気がしてくる。
この道での一番の難点は、見晴らしがよい上に通る人が少ないことでhなかろうか。
私は普通の人に比べて歩くのが遅い。したがってどんどんあとから来た人に追い越されるのであるが、「追い越して行った人がもうあんなところまで登ってる」というのがずっと見えているのである。他の登山道では岩などの陰になって見えなくなることもあるし、たとえ見えていてもほかの登山客にまぎれてわからなくなってしまうのであるが、ここ御殿場口ではいつまでもいつまでも見えているのである。こんな具合に自分の遅さを見せつけられ続けると気が滅入る。そのストレスが疲労の蓄積率に拍車をかける。
二番目の難点は、やはり山小屋の少なさであろう。新五合目と名乗ってはいるものの昔の二合目の場所。そこから7合目まで山小屋がない。つまり補給ができないのである。
私は昨年、須走口の麓から五合目という補給場所なしの長区間を歩いてはいるものの、あちらは樹林帯を歩く区間のほうが多かったが、こちらは日よけになるものが全くない区間である。その分汗で失われる水分も多かろう。なのに補給ができないから、その分多くの水を背負っていかなければならないから余計に体力を使う。
できれば間にもう2軒、最低でももう1軒の山小屋があれば格段に登りやすくなるだろう。しかし登山客が少なくて経営が成り立たないからできない、山小屋が少ないままだから登山客が増えないという悪循環に陥っている。
まぁとにかく、自分のペースでゆっくり登り続けるしかない。
登山客自体は少ない御殿場口ではあるが、ちょうど今の時期は登山駅伝の練習に来ている人が多数いる。登山客よりも駅伝練習の人のほうが多かったかな。しかし駅伝練習の人はほとんど荷物を持っていないからその分楽ではあるのだけれども、歩くだけでも結構つらいのに走って登ろうなんて御苦労な事である。
そんなこんなで何とか7合目までたどり着くが山小屋はやっていない。結局営業している山小屋は7号5勺の砂走館までなかった。
砂走館に到着したのは、何と15時31分。出発から約11時間もかかっている。人より足が遅いのを計算に入れて計画を立てていたのだが、予定ではもう2時間半くらいは前にここを通過しているはずであったのに…。
いくらなんでも時間がかかりすぎである。それだけペースを維持する体力がなかったというところだろう。
当初の予定ではこの日のうちに登頂し、下って行く途中で宿泊ということを考えていたのであるが、このままのペースでは登頂は19時過ぎになってしまう。頂上の山小屋に空きがあって宿泊できればよいが、そうでないと暗い中降りなければならないうえ、山小屋に着くころにはチェックイン時間を過ぎてしまう。
ということでここで宿泊し登頂は翌日に延期することにする。
山小屋の兄ちゃんに声をかけ、宿泊できるかどうか聞くと「こちらでも宿泊できますし、上(赤岩八号館)のほうでも宿泊できますよ」とのこと。でも一昨年もこっちにとまったし、何よりリニューアルオープンして間もないこっちを利用してみたいという気持ちもあり、砂走館での宿泊を決めた。

before After
一昨年の砂走り館と今年リニューアルオープンした砂走館の写真を並べておく。
とりあえず夕食までの間ひと眠り。
お代わり自由のカレーの夕食のあと外に出てみると、影富士がきれいに見える。

ふりかえれば富士山頂。やはり雲もなく、好天が続きそう。(一昨年は夕方の時点では晴れていたのに真夜中は雨になったりしたけど)

山頂でのご来光を目指すなら1時から1時半に出発すればよいと山小屋の兄ちゃんは言っている。砂走館から山頂まで3時間だった一昨年の実績から見ても妥当な時間だとは思う。しかし一昨年と比べて体力が低下しているのも自覚している。なのでもう少し早い時間に出発することを決めて就寝。
ということで2日目終了。次回に続く。
=========================================================================
2011年富士登山記(1)
2011年富士登山記(3)
2011年富士登山記(4)
暑いのが苦手な私としては夜のうちに登れるところまで登ってしまった方が後々楽そうではある。
しかし御殿場口は、事前情報によれば登山道にガイドロープがないらしい。他の人についていけるほど人も通ってない。はじめて通る身としてはやや不安といったところ。
それに寝不足のまま登り続けるのも体に負担が大きそうだから少しでも仮眠をとった方がよくはないだろうか?
ということで日の出前、明るくなりかけたころに出発することにして一寝入り。ちなみに5合目でも結構冷え込むので、屋外で寝るのはお勧めできない。まぁ私はやってるんだけどよい子は真似しちゃだめだぞ。下手すると凍死しちゃうからね。
で、ちょっと寝すぎて、起きてからいろいろ準備しているうちに完全に明るくなっちゃった。まぁそれでもまだ日の出前ではあるけれども。
せっかくだからここから見上げる富士山を撮影。

まだまだ山頂が遠いのは見てとれるが、さすがに宝永山はかなり大きく迫って見える。その下には双子山も見える。雲もなくハイキング日和とは言えるのだろう。
過去においては登るときもほかの山から眺めるときも雲に隠れていた富士山であるが、今年は新倉山浅間神社に行った時も今回も雲をかぶっていない。今年はツイているのか?
でもこれは暑くなりそうである。その点は少し厄介かも。景色を眺めるという観点からすれば雲はない方がよいが、あまり景色の変わらない御殿場口登山ではむしろ雲で日光を遮ってもらった方が歩きやすい。まぁこういうのはないものねだりなのだろう。
ということで4時20分、売店横の鳥居をくぐり出発する。

出発後最初の山小屋である大石茶屋までの短い間に日の出時刻を迎える。

富士山を見上げれば雲もほとんどない晴天だが逆方向を見下ろすと雲は多いようである。四大登山口のうち最も標高の低い御殿場口ではあるが、それでも雲より上に位置しているようである。
さて、まだ開いていない大石茶屋の前を通り過ぎると、いよいよ本格的な登山という気がしてくる。
この道での一番の難点は、見晴らしがよい上に通る人が少ないことでhなかろうか。
私は普通の人に比べて歩くのが遅い。したがってどんどんあとから来た人に追い越されるのであるが、「追い越して行った人がもうあんなところまで登ってる」というのがずっと見えているのである。他の登山道では岩などの陰になって見えなくなることもあるし、たとえ見えていてもほかの登山客にまぎれてわからなくなってしまうのであるが、ここ御殿場口ではいつまでもいつまでも見えているのである。こんな具合に自分の遅さを見せつけられ続けると気が滅入る。そのストレスが疲労の蓄積率に拍車をかける。
二番目の難点は、やはり山小屋の少なさであろう。新五合目と名乗ってはいるものの昔の二合目の場所。そこから7合目まで山小屋がない。つまり補給ができないのである。
私は昨年、須走口の麓から五合目という補給場所なしの長区間を歩いてはいるものの、あちらは樹林帯を歩く区間のほうが多かったが、こちらは日よけになるものが全くない区間である。その分汗で失われる水分も多かろう。なのに補給ができないから、その分多くの水を背負っていかなければならないから余計に体力を使う。
できれば間にもう2軒、最低でももう1軒の山小屋があれば格段に登りやすくなるだろう。しかし登山客が少なくて経営が成り立たないからできない、山小屋が少ないままだから登山客が増えないという悪循環に陥っている。
まぁとにかく、自分のペースでゆっくり登り続けるしかない。
登山客自体は少ない御殿場口ではあるが、ちょうど今の時期は登山駅伝の練習に来ている人が多数いる。登山客よりも駅伝練習の人のほうが多かったかな。しかし駅伝練習の人はほとんど荷物を持っていないからその分楽ではあるのだけれども、歩くだけでも結構つらいのに走って登ろうなんて御苦労な事である。
そんなこんなで何とか7合目までたどり着くが山小屋はやっていない。結局営業している山小屋は7号5勺の砂走館までなかった。
砂走館に到着したのは、何と15時31分。出発から約11時間もかかっている。人より足が遅いのを計算に入れて計画を立てていたのだが、予定ではもう2時間半くらいは前にここを通過しているはずであったのに…。
いくらなんでも時間がかかりすぎである。それだけペースを維持する体力がなかったというところだろう。
当初の予定ではこの日のうちに登頂し、下って行く途中で宿泊ということを考えていたのであるが、このままのペースでは登頂は19時過ぎになってしまう。頂上の山小屋に空きがあって宿泊できればよいが、そうでないと暗い中降りなければならないうえ、山小屋に着くころにはチェックイン時間を過ぎてしまう。
ということでここで宿泊し登頂は翌日に延期することにする。
山小屋の兄ちゃんに声をかけ、宿泊できるかどうか聞くと「こちらでも宿泊できますし、上(赤岩八号館)のほうでも宿泊できますよ」とのこと。でも一昨年もこっちにとまったし、何よりリニューアルオープンして間もないこっちを利用してみたいという気持ちもあり、砂走館での宿泊を決めた。


before After
一昨年の砂走り館と今年リニューアルオープンした砂走館の写真を並べておく。
とりあえず夕食までの間ひと眠り。
お代わり自由のカレーの夕食のあと外に出てみると、影富士がきれいに見える。

ふりかえれば富士山頂。やはり雲もなく、好天が続きそう。(一昨年は夕方の時点では晴れていたのに真夜中は雨になったりしたけど)

山頂でのご来光を目指すなら1時から1時半に出発すればよいと山小屋の兄ちゃんは言っている。砂走館から山頂まで3時間だった一昨年の実績から見ても妥当な時間だとは思う。しかし一昨年と比べて体力が低下しているのも自覚している。なのでもう少し早い時間に出発することを決めて就寝。
ということで2日目終了。次回に続く。
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2011年富士登山記(1)
2011年富士登山記(3)
2011年富士登山記(4)
2011年富士登山記(1) これは登山記なのか?
さて、ぼちぼち詳細版をアップしなければ。ということで恒例の今回の行程地図から。

今回は範囲が広くて全体図ではよくわからないので主要部分を拡大図として併記しておく。ただいろいろ手違いがったため主要部分の地図もあまり意味のないものになってしまった・・・。

さてさて、今回も麓からの富士登山。今回は御殿場口である。
最初から御殿場口に行こうと思っていたわけではない。御殿場口に決定したのは身も蓋もないことではあるが資金不足のためである。
何回か被災地ボランティアに行ったわけであるが、その中に参加申し込みしてあったボランティアバスが前日になって『雨天のため中止』となったものの天気予報を見る限り中止にしなければならないほどの悪天候にはなりそうもないことからボランティアバスの3倍くらいの交通費をかけて自力で現地に行ったりと予定外の出費もあったため、富士登山に回せる資金がだいぶ目減りしていたのである。(ちなみに予想通り天候は悪くならず、しっかりボランティア活動はしてきた)
で、交通費を節約する必要性から御殿場駅を起点とする(正確には御殿場駅近くにある新橋浅間神社を起点とする)御殿場口に決定せざるを得なかったのである。
しかし御殿場駅からの登山というのはいかにも中途半端である。昨年の須走口や吉田口にせよ、最近人気の須山口にせよ、将来一度は挑戦してみたい精進湖口にせよ、ずっと舗装道なんてことはない。しかしこの御殿場口は新5合目までずっと舗装道。海抜0メートルから歩くというのならば延々と舗装道を歩くのも仕方がないが、御殿場駅からの、曲がりなりにも登山道と名のつく場所がずっと舗装道というのはそれほど魅力のあるコースでもあるまい。
もちろん富士登山駅伝のコースになっているくらいだから、ここを登る人もいないことはないだろうけれども、駅伝は下から頂上までを一人で登るわけではないしねぇ。
まぁ標高差3000メートル越えを歩くことは達成できるのでまぁ良しとしよう。
さて、御殿場口を麓から歩くのは良いとして、ろくに山小屋もない御殿場口の長々しい砂道を炎天下に歩くのは嫌であるとともに、5合目までの舗装道も暑い時間帯には歩きたくない。ということで5合目までは夜間に歩き、5合目からは早朝暑くなる前に歩くという計画を立てた。
しかし、登山に先立ち新橋浅間神社に参拝するのは明るいうちにしたい。呪いではなくて祈願なのだからね!
まぁ夕方になれば昼間ほどは暑くなかろうということで明るいうちに参拝し、夕方に歩きはじめ、5合目で大休止、時間を見計らって再出発ということにした。
日程については今年は梅雨明けが早そうだと予想していたし、それなら混むであろう3連休は避けたいと思っていたので、当初からこの時期を予定していた。天候によっては予定を変更することも覚悟していたのだが、ばっちり予想通り。後から振り返ってみればこの時を逃すと台風が近づいていることもあって大幅に予定を変更しなければならなかっただろう。とにかく13日夕方から15日にかけてということで計画実行。
なにはともあれまずは新橋浅間神社参拝。道中の安全を祈願する。

この神社には富士山からの湧水があり、木の花名水と名付けられている。

行列のできるおいしい水との評判であるが、このときは運の良いことに、たまたまほかに水を汲みに来ている人はいなかった。水を味わいながら早くも休憩。
この水を汲むために持ってきたペットボトルに水を詰め、18時10分に出発。気分的にはここの水をたくさん汲んで、今回の行程の水を賄いたいところではあるが、たくさん持てば重くなるし、どの程度日持ちするかもわからないから、とりあえずは500mlペットボトル一本分だけ汲ませてもらった。御殿場駅から本当に近い場所なので、麓から登ろうなんて人に限らず、登山口へのバスを待つ間にでも立ち寄って登頂祈願をしつつ水を汲ませてもらうのは良いかもしれない。
新橋浅間神社を出発してしばらく歩くと富士山が見えてくる。

多少雲が見えるがおおむね天候は良好そうである。
さて、ここから先はしばらくは特筆することのない街中の道である。ヒグラシの声を聞きながら自販機やコンビニで補給をしつつ歩を進める。そうしているうちに暗くなる。
明るいうちから聞こえていたものの暗くなってから、より目立って聞こえてくる『ドーン・・・ドーン・・・パラパラパラ』といったような音。言うまでもなくこれは花火大会の音ではなく自衛隊の射撃演習の音である。夏だからねぇ。今年は総火演のチケット当たるかな…。
そうこうしているうちに自衛隊滝ヶ原駐屯地が見えてくる。道の反対側にはなにやらライトアップされた鳥居が。はて、どこの神社だっけ?(歩きながら写真を撮ったらぶれちゃった…。ほんの数秒のことなんだからきちんと立ち止まって撮るべきだった…)

神社ではなくて米海兵隊のキャンプ富士のシンボルだった…。『米軍は神様です』ってか?
米軍としては日米の友好を演出するために日本っぽいものを取り入れただけなんだろうけれども、私から見ると何となく不謹慎に感じてしまうんだよね。
さて、ここから先にはコンビニはおろか自販機もない。というか街灯すらない。暗くなった道をひたすら歩く。目印になるようなところもほとんどなく、ただ黙々と歩くのみ。つまらない。
意外とこの道を走る車は多い。しかし御殿場口へ向かう車ではあるまい。御殿場口の方には入らずそのまま進んで水ヶ塚、さらにはその先の富士宮口を目指しているのだろう。下ってくる車も多分そっちから来ているものと思われる。歩道があるわけではないので車には気をつけながらひたすら歩く。
延々と歩いてようやく富士山スカイラインと御殿場口への分岐に到達する。ここまで登ってきたが、ここからいったんやや下ってまた登ることになる。
ここを歩いているときに、林の中で複数の小さな光がチカチカ点滅しながら飛んでいるのが見えた。ホタルであろうか?
しかし、私が見たことのあるホタルは4秒くらい光って消えるというのを繰り返していたがここの光は1秒程度で点滅している。それにこんな遅い時間に光るホタルもいるのだろうか?そもそもこの辺に水辺なんてあったっけ?
まぁ比較的近くを飛んでいた光の先に虫っぽいものが見えたような気がするからやはりホタルなのだろう。
後で調べてみたところ、ホタルの中には水辺でなく陸上で繁殖する種類もいるそうな。そういう種類のホタルだったんだろうねぇ。
見所がほとんどないと思っていた御殿場口麓から登山であるが、思いもかけないところで見所発見といったところであろうか。普通の人は夜にこんなところを歩いていないだろうし、車だと見過ごしてしまうようなものだろう。夜にここを歩いたからこそ見られた光景である。御殿場口の駐車場からそんなに離れているわけではないので、夜に御殿場口新5合目付近にいたらちょっと足を延ばしてみてはどうだろうか?
そんなこんなで23時36分に御殿場口新5合目に到着。標高455メートルの御殿場駅から標高1440メートルの新5合目まで、標高差約1000メートルを約5時間半。まぁこんなものであろうか?
とりあえずここのバス停のベンチで、ここから先の行程に備えて大休止。十分に足を休めておくことにする。
ということで一日目の行程は終了。次回に続く。
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2011年富士登山記(2)
2011年富士登山記(3)
2011年富士登山記(4)

今回は範囲が広くて全体図ではよくわからないので主要部分を拡大図として併記しておく。ただいろいろ手違いがったため主要部分の地図もあまり意味のないものになってしまった・・・。

さてさて、今回も麓からの富士登山。今回は御殿場口である。
最初から御殿場口に行こうと思っていたわけではない。御殿場口に決定したのは身も蓋もないことではあるが資金不足のためである。
何回か被災地ボランティアに行ったわけであるが、その中に参加申し込みしてあったボランティアバスが前日になって『雨天のため中止』となったものの天気予報を見る限り中止にしなければならないほどの悪天候にはなりそうもないことからボランティアバスの3倍くらいの交通費をかけて自力で現地に行ったりと予定外の出費もあったため、富士登山に回せる資金がだいぶ目減りしていたのである。(ちなみに予想通り天候は悪くならず、しっかりボランティア活動はしてきた)
で、交通費を節約する必要性から御殿場駅を起点とする(正確には御殿場駅近くにある新橋浅間神社を起点とする)御殿場口に決定せざるを得なかったのである。
しかし御殿場駅からの登山というのはいかにも中途半端である。昨年の須走口や吉田口にせよ、最近人気の須山口にせよ、将来一度は挑戦してみたい精進湖口にせよ、ずっと舗装道なんてことはない。しかしこの御殿場口は新5合目までずっと舗装道。海抜0メートルから歩くというのならば延々と舗装道を歩くのも仕方がないが、御殿場駅からの、曲がりなりにも登山道と名のつく場所がずっと舗装道というのはそれほど魅力のあるコースでもあるまい。
もちろん富士登山駅伝のコースになっているくらいだから、ここを登る人もいないことはないだろうけれども、駅伝は下から頂上までを一人で登るわけではないしねぇ。
まぁ標高差3000メートル越えを歩くことは達成できるのでまぁ良しとしよう。
さて、御殿場口を麓から歩くのは良いとして、ろくに山小屋もない御殿場口の長々しい砂道を炎天下に歩くのは嫌であるとともに、5合目までの舗装道も暑い時間帯には歩きたくない。ということで5合目までは夜間に歩き、5合目からは早朝暑くなる前に歩くという計画を立てた。
しかし、登山に先立ち新橋浅間神社に参拝するのは明るいうちにしたい。呪いではなくて祈願なのだからね!
まぁ夕方になれば昼間ほどは暑くなかろうということで明るいうちに参拝し、夕方に歩きはじめ、5合目で大休止、時間を見計らって再出発ということにした。
日程については今年は梅雨明けが早そうだと予想していたし、それなら混むであろう3連休は避けたいと思っていたので、当初からこの時期を予定していた。天候によっては予定を変更することも覚悟していたのだが、ばっちり予想通り。後から振り返ってみればこの時を逃すと台風が近づいていることもあって大幅に予定を変更しなければならなかっただろう。とにかく13日夕方から15日にかけてということで計画実行。
なにはともあれまずは新橋浅間神社参拝。道中の安全を祈願する。

この神社には富士山からの湧水があり、木の花名水と名付けられている。

行列のできるおいしい水との評判であるが、このときは運の良いことに、たまたまほかに水を汲みに来ている人はいなかった。水を味わいながら早くも休憩。
この水を汲むために持ってきたペットボトルに水を詰め、18時10分に出発。気分的にはここの水をたくさん汲んで、今回の行程の水を賄いたいところではあるが、たくさん持てば重くなるし、どの程度日持ちするかもわからないから、とりあえずは500mlペットボトル一本分だけ汲ませてもらった。御殿場駅から本当に近い場所なので、麓から登ろうなんて人に限らず、登山口へのバスを待つ間にでも立ち寄って登頂祈願をしつつ水を汲ませてもらうのは良いかもしれない。
新橋浅間神社を出発してしばらく歩くと富士山が見えてくる。

多少雲が見えるがおおむね天候は良好そうである。
さて、ここから先はしばらくは特筆することのない街中の道である。ヒグラシの声を聞きながら自販機やコンビニで補給をしつつ歩を進める。そうしているうちに暗くなる。
明るいうちから聞こえていたものの暗くなってから、より目立って聞こえてくる『ドーン・・・ドーン・・・パラパラパラ』といったような音。言うまでもなくこれは花火大会の音ではなく自衛隊の射撃演習の音である。夏だからねぇ。今年は総火演のチケット当たるかな…。
そうこうしているうちに自衛隊滝ヶ原駐屯地が見えてくる。道の反対側にはなにやらライトアップされた鳥居が。はて、どこの神社だっけ?(歩きながら写真を撮ったらぶれちゃった…。ほんの数秒のことなんだからきちんと立ち止まって撮るべきだった…)

神社ではなくて米海兵隊のキャンプ富士のシンボルだった…。『米軍は神様です』ってか?
米軍としては日米の友好を演出するために日本っぽいものを取り入れただけなんだろうけれども、私から見ると何となく不謹慎に感じてしまうんだよね。
さて、ここから先にはコンビニはおろか自販機もない。というか街灯すらない。暗くなった道をひたすら歩く。目印になるようなところもほとんどなく、ただ黙々と歩くのみ。つまらない。
意外とこの道を走る車は多い。しかし御殿場口へ向かう車ではあるまい。御殿場口の方には入らずそのまま進んで水ヶ塚、さらにはその先の富士宮口を目指しているのだろう。下ってくる車も多分そっちから来ているものと思われる。歩道があるわけではないので車には気をつけながらひたすら歩く。
延々と歩いてようやく富士山スカイラインと御殿場口への分岐に到達する。ここまで登ってきたが、ここからいったんやや下ってまた登ることになる。
ここを歩いているときに、林の中で複数の小さな光がチカチカ点滅しながら飛んでいるのが見えた。ホタルであろうか?
しかし、私が見たことのあるホタルは4秒くらい光って消えるというのを繰り返していたがここの光は1秒程度で点滅している。それにこんな遅い時間に光るホタルもいるのだろうか?そもそもこの辺に水辺なんてあったっけ?
まぁ比較的近くを飛んでいた光の先に虫っぽいものが見えたような気がするからやはりホタルなのだろう。
後で調べてみたところ、ホタルの中には水辺でなく陸上で繁殖する種類もいるそうな。そういう種類のホタルだったんだろうねぇ。
見所がほとんどないと思っていた御殿場口麓から登山であるが、思いもかけないところで見所発見といったところであろうか。普通の人は夜にこんなところを歩いていないだろうし、車だと見過ごしてしまうようなものだろう。夜にここを歩いたからこそ見られた光景である。御殿場口の駐車場からそんなに離れているわけではないので、夜に御殿場口新5合目付近にいたらちょっと足を延ばしてみてはどうだろうか?
そんなこんなで23時36分に御殿場口新5合目に到着。標高455メートルの御殿場駅から標高1440メートルの新5合目まで、標高差約1000メートルを約5時間半。まぁこんなものであろうか?
とりあえずここのバス停のベンチで、ここから先の行程に備えて大休止。十分に足を休めておくことにする。
ということで一日目の行程は終了。次回に続く。
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2011年富士登山記(2)
2011年富士登山記(3)
2011年富士登山記(4)
今年の七夕ネタ
富士登山について書く前に、今年の七夕について載せておく。
今年は東日本大震災を口実に縮小開催された平塚の七夕。縮小の理由は節電、および震災のために警官を派遣しているため開場警備に十分な手が回せないからとのことであったが、時間短縮で節電というのはともかくとして、開催場所を縮小し期間を縮小したら、短い期間に狭い場所に人が集中することになるのだから、かえって警備がしにくかったのではないのかなぁ?
まぁ例年よりも来場者数が控えめにはなってはいただろうけれども、わざわざ警備の人手が足りないのに警備のしにくい形態での開催にすることはないだろうに。
さて、お待ちかねの浴衣ウォッチング。
まずは両肩出し。昨年は片方の肩だけを出す珍妙な着こなしの者がいたが、今年は両肩出し。どちらがインパクトがあるかは意見の分かれるところであろうが、サクラ大戦ファンだと両肩出しの和服というのには免疫があるからねぇ。

次はデムパな看板を背負ってる浴衣女性。昨年見かけながら写真を取れず、悔しい思いをしていたのだが、今年もまたやってた。

浴衣ウォッチングも面白いものの、やはり七夕なのだから七夕飾りにも目を向けてみる。七夕飾りにも結構笑えるものが含まれていることがあるのだ。
今年は縮小開催で飾りの数自体が少なめだし、なんとなく例年に比べて地味な印象があるのだが、そんな中でもネタな飾りは存在した。
まずは見てほしい。

一見なんてことのない、ジブリ作品の絵を使った七夕飾りに見える。まぁ版権関係をどう処理したのか疑わしい事例ではあるが、そんなことを言ったら他にも雑誌等の無断カラー拡大コピーを使ったような、より悪質な飾りも多数あるわけだから、とりあえずこの件については置いておく。
問題はこのジブリ作品の絵の飾りを出しているのが『平塚自民クラブ』だということ。言うまでもないが平塚自民クラブというのは平塚市議会の自民党系会派である。別にそういう団体が七夕飾りを出してもいいし、そこにどんな絵を使おうが勝手ではある。しかし自民系団体がジブリ作品というアンバランスさには思わず失笑してしまった。この飾りの製作者たちはジブリ作品が好きなのかもしれないけれども、ジブリのほうは自民が大嫌いだと思うぞ。
さて来年はどんなネタが待っているのだろう?楽しみである。
今年は東日本大震災を口実に縮小開催された平塚の七夕。縮小の理由は節電、および震災のために警官を派遣しているため開場警備に十分な手が回せないからとのことであったが、時間短縮で節電というのはともかくとして、開催場所を縮小し期間を縮小したら、短い期間に狭い場所に人が集中することになるのだから、かえって警備がしにくかったのではないのかなぁ?
まぁ例年よりも来場者数が控えめにはなってはいただろうけれども、わざわざ警備の人手が足りないのに警備のしにくい形態での開催にすることはないだろうに。
さて、お待ちかねの浴衣ウォッチング。
まずは両肩出し。昨年は片方の肩だけを出す珍妙な着こなしの者がいたが、今年は両肩出し。どちらがインパクトがあるかは意見の分かれるところであろうが、サクラ大戦ファンだと両肩出しの和服というのには免疫があるからねぇ。

次はデムパな看板を背負ってる浴衣女性。昨年見かけながら写真を取れず、悔しい思いをしていたのだが、今年もまたやってた。

浴衣ウォッチングも面白いものの、やはり七夕なのだから七夕飾りにも目を向けてみる。七夕飾りにも結構笑えるものが含まれていることがあるのだ。
今年は縮小開催で飾りの数自体が少なめだし、なんとなく例年に比べて地味な印象があるのだが、そんな中でもネタな飾りは存在した。
まずは見てほしい。

一見なんてことのない、ジブリ作品の絵を使った七夕飾りに見える。まぁ版権関係をどう処理したのか疑わしい事例ではあるが、そんなことを言ったら他にも雑誌等の無断カラー拡大コピーを使ったような、より悪質な飾りも多数あるわけだから、とりあえずこの件については置いておく。
問題はこのジブリ作品の絵の飾りを出しているのが『平塚自民クラブ』だということ。言うまでもないが平塚自民クラブというのは平塚市議会の自民党系会派である。別にそういう団体が七夕飾りを出してもいいし、そこにどんな絵を使おうが勝手ではある。しかし自民系団体がジブリ作品というアンバランスさには思わず失笑してしまった。この飾りの製作者たちはジブリ作品が好きなのかもしれないけれども、ジブリのほうは自民が大嫌いだと思うぞ。
さて来年はどんなネタが待っているのだろう?楽しみである。
生還報告
このブログで取り上げたいネタはいくつもあるのだがそれらすべてをほったらかしにしたまま、13日から15日にかけて富士山に登ってきた。
今回も当然麓からの登山であったが、あまりにもアホすぎて他の人ならまずやらないコース。下山コースはアホな企画ではないものの、やはりあまりやる人がいなそうなコース。登山下山あわせて相当な距離を歩いた。
年々体力が低下しているのを自覚している中の、この無茶な企画のため、昨日帰宅して入浴後すぐ就寝。本日もまだ本調子ではないので、とりあえずは生還報告のみで。詳細は後日。
なお、富士登山も、このブログでも取り上げた新地町を含めた複数回の被災地ボランティアも無事に生還できたわけであるが、以前「被災地ボランティアや富士登山で無事生還できたらやるかもしれない」と予告のようなことを言っていたオフ会はやらないことが確定したのであしからず。

今回も当然麓からの登山であったが、あまりにもアホすぎて他の人ならまずやらないコース。下山コースはアホな企画ではないものの、やはりあまりやる人がいなそうなコース。登山下山あわせて相当な距離を歩いた。
年々体力が低下しているのを自覚している中の、この無茶な企画のため、昨日帰宅して入浴後すぐ就寝。本日もまだ本調子ではないので、とりあえずは生還報告のみで。詳細は後日。
なお、富士登山も、このブログでも取り上げた新地町を含めた複数回の被災地ボランティアも無事に生還できたわけであるが、以前「被災地ボランティアや富士登山で無事生還できたらやるかもしれない」と予告のようなことを言っていたオフ会はやらないことが確定したのであしからず。

東海地方などで梅雨明け
中国・四国・近畿・東海で梅雨が明けたようである。
私にとっては、いよいよ富士登山の季節に入ったという感じである。
梅雨明けから十日間くらいが天候が安定しやすいとも言われているし、富士山は子供たちが夏休みに入るころから特に混むから、混む前の天候の安定した時期に登ってしまおう。
まぁ、ほぼ予想通りであり予定通りである。
登山道も山梨県側は山開きの日から全面開通しているし、御殿場口が9日、富士宮口が14日には全面開通する予定だという。この面でも心配はなかろう。
さて今回書きたいのはそんな私の予定のことではなく、この梅雨明けそのものについてである。
私は『予想通り』と書いたが、中国、近畿、東海は平年より13日、四国は10日早い梅雨明けということになっている。
連日の猛暑で、猛暑であった昨年の同時期よりも熱中症患者が多いことや、梅雨入りも二週間ほど早かったことなどと合わせて、『温暖化』のせいだとほざく連中が必ず出てくるだろうと思う。
しかし梅雨入りも梅雨明けも別に早いなんてことはないだろうというのが私の見解である。
以前にも書いたことがあったかと思うが、気候に関しては新暦よりも旧暦のほうが実態に則している場合が多い。ではたとえば旧暦で言うと新暦の7月8日というのは何日に相当するのであろうか。
今年の場合、今日は旧暦6月8日である。昨年であれば5月27日、一昨年なら5月16日である。
6月の旧称は水無月であるが、旧暦6月というのは梅雨が明け、渇水期に向かいころであるから水が無い月なわけである。
つまり今年の場合は旧暦では水無月に入っているが昨年や一昨年は、新暦の今頃はまだ水無月に入っていないのである。ちなみにやはり旧暦水無月に入るのが早かった一昨々年(新暦7月8日は旧暦6月5日)も梅雨入りは早かったはず。この年は梅雨明けは早くはなかったのであるが、むしろ今年のほうが暦に沿っているように感じる。
とにかく梅雨入り・梅雨明けは早かったように見えるだけで実際には早いなんてほどではないというところであろう。
もしこの梅雨入り・梅雨明けの早さを温暖化と結び付けるような言説を見かけたら眉に唾をつけることをお勧めする。
私にとっては、いよいよ富士登山の季節に入ったという感じである。
梅雨明けから十日間くらいが天候が安定しやすいとも言われているし、富士山は子供たちが夏休みに入るころから特に混むから、混む前の天候の安定した時期に登ってしまおう。
まぁ、ほぼ予想通りであり予定通りである。
登山道も山梨県側は山開きの日から全面開通しているし、御殿場口が9日、富士宮口が14日には全面開通する予定だという。この面でも心配はなかろう。
さて今回書きたいのはそんな私の予定のことではなく、この梅雨明けそのものについてである。
私は『予想通り』と書いたが、中国、近畿、東海は平年より13日、四国は10日早い梅雨明けということになっている。
連日の猛暑で、猛暑であった昨年の同時期よりも熱中症患者が多いことや、梅雨入りも二週間ほど早かったことなどと合わせて、『温暖化』のせいだとほざく連中が必ず出てくるだろうと思う。
しかし梅雨入りも梅雨明けも別に早いなんてことはないだろうというのが私の見解である。
以前にも書いたことがあったかと思うが、気候に関しては新暦よりも旧暦のほうが実態に則している場合が多い。ではたとえば旧暦で言うと新暦の7月8日というのは何日に相当するのであろうか。
今年の場合、今日は旧暦6月8日である。昨年であれば5月27日、一昨年なら5月16日である。
6月の旧称は水無月であるが、旧暦6月というのは梅雨が明け、渇水期に向かいころであるから水が無い月なわけである。
つまり今年の場合は旧暦では水無月に入っているが昨年や一昨年は、新暦の今頃はまだ水無月に入っていないのである。ちなみにやはり旧暦水無月に入るのが早かった一昨々年(新暦7月8日は旧暦6月5日)も梅雨入りは早かったはず。この年は梅雨明けは早くはなかったのであるが、むしろ今年のほうが暦に沿っているように感じる。
とにかく梅雨入り・梅雨明けは早かったように見えるだけで実際には早いなんてほどではないというところであろう。
もしこの梅雨入り・梅雨明けの早さを温暖化と結び付けるような言説を見かけたら眉に唾をつけることをお勧めする。
復興担当大臣辞任について
松本復興担当大臣が辞任した。理由は明かさなかったものの、被災地での知事たちに対する『高圧的』で『上から目線』の発言に対する国民感情に抗しきれなかったというところだろう。
ただ私自身、この松本なる人物が大臣にふさわしい人間であるとは思っていないのであるが、果たして『高圧的』であるとか『上から目線』というものはそんなにいけないことなのであろうか?
もちろん『実るほど首を垂れる稲穂かな』等といわれるように、上に立つものであればあるほど謙虚さを示すというのが品格というものであることに疑いの余地はない。品のない人間が大臣をやっているのは恥ずかしいとも思う。
しかしそれだけのことである。もし仮にその高圧的で上から目線の態度に見合うだけの仕事ができる人間であるのならば、わざわざ辞任させる必要などないのではなかろか。
そしてそうした実績を作れる人物というのは自分に対して自信を持っているから、高圧的で上から目線の態度を批難されたところで何の痛痒も感じず、むしろ開き直るだろう。
ところがこの松本なる人物、高圧的で上から目線の態度について「オフレコにしろ」と要求し「(報道した)社は終わりだ」という恫喝までしている。つまり自分の高圧的で上から目線の態度を隠そうとしたわけである。
隠さなければいけないような態度であることが分かっているなら最初からしなければ良いと思うのだが、このご仁、その後も言い訳を続けている。
つまりそうした自分の高圧的で上から目線の態度に見合うだけの実績を作る自信がなかったのであろう。
もちろん、実績を作る能力もないくせに開き直って高圧的な態度を続けられるよりは、自分の能力の限界を把握している分マシではある。
しかしこの非常時に十分な成果を上げられないような人がトップでは困ってしまう。たとえ本人に力がないのだとしても、あえて自信たっぷりに振る舞い、被災者に安心感を与え、その間にうまく人材を配して成果を上げられる組織に権限を与えて行動させるというのでもかまわないだろう。
トップが自信がなさそうに見えれば被災者を含めた国民は不安を感じるし、そうした不安が広がればできる復興もできなくなる・遅れることになるだろう。
つまり松本なる人物が大臣にふさわしくなかったのは『高圧的で上から目線』だったからではなく、そうした態度に見合う実績もなく実績を作る自信もなかったからだといえよう。「プランがある」だの「最高のチームを作った」だのと言っていたようだが、国民の目に見える実績を伴わない、上滑りした言葉にしか受け取れない。
言葉といえば、このご仁、『真意がわかった人には賞金』なんてことをたびたび言っていたようであるが、馬鹿を言ってはいけない。自分の考えていることを明瞭に伝えるのが政治家の仕事。それを真意を明かさず想像に任せ、自らの説明責任を果たさない人間など政治家失格である。言葉のプロであるべき政治家が言葉の出し惜しみをしていったい何の仕事ができるのであろうか。
大臣にふさわしくない云々以前に政治家不適格の人物を大臣に据えた首相の責任は重いと言わざるを得ないだろう。
ただ私自身、この松本なる人物が大臣にふさわしい人間であるとは思っていないのであるが、果たして『高圧的』であるとか『上から目線』というものはそんなにいけないことなのであろうか?
もちろん『実るほど首を垂れる稲穂かな』等といわれるように、上に立つものであればあるほど謙虚さを示すというのが品格というものであることに疑いの余地はない。品のない人間が大臣をやっているのは恥ずかしいとも思う。
しかしそれだけのことである。もし仮にその高圧的で上から目線の態度に見合うだけの仕事ができる人間であるのならば、わざわざ辞任させる必要などないのではなかろか。
そしてそうした実績を作れる人物というのは自分に対して自信を持っているから、高圧的で上から目線の態度を批難されたところで何の痛痒も感じず、むしろ開き直るだろう。
ところがこの松本なる人物、高圧的で上から目線の態度について「オフレコにしろ」と要求し「(報道した)社は終わりだ」という恫喝までしている。つまり自分の高圧的で上から目線の態度を隠そうとしたわけである。
隠さなければいけないような態度であることが分かっているなら最初からしなければ良いと思うのだが、このご仁、その後も言い訳を続けている。
つまりそうした自分の高圧的で上から目線の態度に見合うだけの実績を作る自信がなかったのであろう。
もちろん、実績を作る能力もないくせに開き直って高圧的な態度を続けられるよりは、自分の能力の限界を把握している分マシではある。
しかしこの非常時に十分な成果を上げられないような人がトップでは困ってしまう。たとえ本人に力がないのだとしても、あえて自信たっぷりに振る舞い、被災者に安心感を与え、その間にうまく人材を配して成果を上げられる組織に権限を与えて行動させるというのでもかまわないだろう。
トップが自信がなさそうに見えれば被災者を含めた国民は不安を感じるし、そうした不安が広がればできる復興もできなくなる・遅れることになるだろう。
つまり松本なる人物が大臣にふさわしくなかったのは『高圧的で上から目線』だったからではなく、そうした態度に見合う実績もなく実績を作る自信もなかったからだといえよう。「プランがある」だの「最高のチームを作った」だのと言っていたようだが、国民の目に見える実績を伴わない、上滑りした言葉にしか受け取れない。
言葉といえば、このご仁、『真意がわかった人には賞金』なんてことをたびたび言っていたようであるが、馬鹿を言ってはいけない。自分の考えていることを明瞭に伝えるのが政治家の仕事。それを真意を明かさず想像に任せ、自らの説明責任を果たさない人間など政治家失格である。言葉のプロであるべき政治家が言葉の出し惜しみをしていったい何の仕事ができるのであろうか。
大臣にふさわしくない云々以前に政治家不適格の人物を大臣に据えた首相の責任は重いと言わざるを得ないだろう。