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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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放射能除染について

環境省の「環境回復検討会」なるもので、27日に、警戒区域と計画的避難区域の放射能除去は国が行い、その他の地域は各自治体が行うことが提案されたという。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110927-OYT1T01280.htm

なんとなくズレてるなぁ。実際の放射線量によって決めたのではなく、原発からの距離で決めた区分けでこういうことを決めてしまうと無駄が多くなっちゃうと思うんだけどなぁ。というか、国が主体となっってやると言っても実際に作業をするのはだれなのか、いつまでにどこまでやるのかが全然示されていない。これで何か決まって物事が動き始めたかのように思ったら大間違いであろう。そもそも小回りの利かない国が主体になってやったって何年かかっても終わりはしないだろう。国がやるべきことは別のことではなかろうか?

放射能除染について同じ27日に福島市も除染計画を出している。
http://shinsai.city.fukushima.fukushima.jp/wp-content/uploads/2011/09/49e6e99384de9eb2f577d512e6a9c80a.pdf
いつまでにどこを重点的に除染するかも大まかには決めてあるし、市民・企業・ボランティアの協力を求めている。国より一歩進んだところまで決めてあるといったところか。

まぁ確かに福島市は計画的避難区域に含まれていないからここまでのことを独自に決められたのだろうが、計画的避難区域内の飯舘村も28日に独自の除染計画書を提出し国の支援を求めている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110928/t10015897691000.html

こうした自治体の動きを見ると、国のやるべきことが見えてくるように思う。国が主体となって除染をするというのはあまりお勧めできないように感じる。もちろん本当に危険な場所については国が責任を持って除染すべきだろうが、そうでないところは国は支援に回った方が小回りが利くだろう。

実際の放射線量の計測結果は出ているのだから、計画的避難区域内でも線量が比較的低めのところは緊急時避難準備区域に格下げするなどして、市民やボランティアがどんどん入れるようにして、どんどん独自の除染を行えるような環境を整備することが国が最優先で行うべきことであろう。

また自治体が除染作業を行った際に出る汚染土。これも現状では各自治体で仮置きすることになっているが、これについても国がやるべきことがある。現在汚染土を収容する貯蔵施設を作ろうとしているらしいが、回収した汚染土をそのまま詰め込んだらどれだけの量になるかわかった上でそんなバカげたことを言っているのだろうか?
まずは土壌からセシウムを分離し、汚染土の容積を大幅に小さくすることが急務であろう。
酸によって抽出する方法や、セシウムは土壌内でも粘土質に吸着されやすいことから土壌内の粘土質の部分だけを回収する方法など、さまざまな方法が提唱されている。そうした技術を確立し、早急に汚染土の容積を小さくする作業がおこなえるように手配することが国のなすべきことであろう。貯蔵施設さえ作ればよいというものではないのだ。

つまりまとめて言えば、国は、小回りのきく除染が行えるよう、規制緩和・法整備・費用負担・技術の確立をしてくれればよい。下手に国が主体となって除染しようとして円滑な除染の足を引っ張るなといったところであろうか。





ちなみに福島市の除染ボランティア募集情報
http://ameblo.jp/fukushimashakyo-vc/entry-11015633864.html

その他除染ボランティアの募集情報
http://www.fukushima.coop/info/important/detail.php?d=07b876a3c465509b7b52db984411decd982597c3
http://ameblo.jp/utsukushima-mission/entry-10895992423.html

一応まだ日程については調整中ではあるが、除染ボランティアにも参加しに行くつもりである。

ただ、何のための除染か、放射能に対するスタンスがどのようなものかが気になるところではある。
私は『除染は必要ないがやるべきである』という立場である。えっ。何を言ってるかわからない?
その辺のことも含めて放射能について後日書こうと思う。
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ボランティアについて考える(2)

前回はボランティアの受け入れ側について考えた。
今回は参加する側について考えてみたい。



まずボランティアとは何かということが分かっていないものの話をよく聞く。
例えば学校の先生の引率でボランティアに来た高校生たちが、あまりにも態度が悪くて被災住民から苦情が寄せられたということがあったらしい。
これについてはあくまでも聞いた話でしかないので実際がどうだったのかはわからないのではあるが、おそらくやる気があったのは先生だけで、生徒のほうは行きたくもないボランティアにつれてこられたという不満があったのではなかろうか?

以前ボランティアを必修科目にしようという話を聞いたこともあるし、何らかの問題行動に対するペナルティーとしてのボランティアという話も聞いたことがある。どちらにしても生徒たちの自主的な意思によるものではない。
これはボランティアを『無償奉仕』と訳してきたことの弊害であろう。奉仕といった場合それは「利害を超えて国家・社会のために尽くすこと」であって奉仕者の意思という観点は弱い。
しかし本来ボランティアというのは志願兵のこと。『自発的意思』によって国家に尽くす存在、この自発性こそがボランティアの要諦なのだ。

もちろん最初はいやいや来ていたものの作業を進めるうちにのめり込んでいくものもいないとは言わない。災害ボランティアとは異なるが富士山清掃などでは、奥さんに連れられて嫌々参加していた旦那さんがみんなと一緒に大きなゴミを掘り起こしているうちにだんだんノリノリで作業を進めるようになったなんて話も聞く。
しかし災害ボランティアというのは危険を伴う場合もある。嫌々ながらの注意力を欠いた状態でのその一瞬が事故を引き起こしかねないのだ。やってるうちに何とかなるという考えで自発的意思のないものを連れていくのは危険なことだと言わざるを得ない。




では自発的な参加であればそれだけで良いのかといえばそんなことはない。たとえ自発的な活動であっても、そしてそれが無償の活動であっても、無責任な行動は許されない。
しかしながら実際のボランティアを見ると、この面で問題ある行動がみられることがある。

例えばある団体。ボランティアバス参加者の応募受け付け業務などもボランティアが行っていたようなのであるが、私がこの団体の企画するボランティアバスへの参加応募した時、詳細は後ほどメールでお知らせするという内容の自動返信メールが来た後全く音沙汰がない。それでどうなっているのか問い合わせてみたところ、その問い合わせに対する回答をせず、黙って次の便のボランティアバスの案内メールを送りつけてきたのだ。
応募者多数につき抽選をして外れたというのならばそれはそれで仕方がない。しかし外れたのならば外れたでそのことを応募者に通知するべきではなかろうか?(詳細メールが届いた人のみ参加可能なんて事前情報はなかったのだから)
そして、問い合わせに対してきちんと回答する、不手際があったのであれば謝罪するということもできていない。
まさかボランティアは無償でやっているのだから、そして善意でやっているのだから多少の不手際には目をつぶってほしいなんて考えているのではあるまいな。そんな甘い考えで活動してもらっては困る。
確かにボランティアは専門家と同等の能力を求められているわけではない。しかし活動に取り組む姿勢はボランティアであろうが給料をもらって行う仕事であろうが変わってはならない。応募受付に際してきちんと通知をすることや問い合わせに回答することというのは能力の問題ではなく、その活動に対する姿勢の問題である。もし仕事としてやっていて上記のような対応しかできないような者ならクビになる可能性もあるのではないか?会社だったら首になりかねないことがボランティアだったら許されるというのは間違いである。

また被災地で目に付くのは時間にルーズなボランティアである。「昼休みは○○分まで。○○分には活動場所に戻るため移動を開始するのでそれまでには必ず集合していてください」と何度も念を押されているのに、集合時間より5分以上たってもまだ全員が集まっておらず、スタッフが駆けまわて声をかけて何とか集合なんてこともあった。バスの出発時刻に平気で遅れてくる者もいた。そしてそういう輩に限って、時間に遅れたことの言い訳はしても、最後まで「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」という言葉は出てこなかったりする。
悪いことにスタッフの方も「せっかく善意で来てくれているのだから厳しいことを言っては申し訳ない」なんて変な遠慮をしているのか、ボランティアたちの問題行動に対して毅然とした態度を示せていない場合が多い。
たとえ短い時間であってもほかのボランティア参加者に迷惑をかけているわけだし、時間にルーズなダラケ切った態度での活動は事故のもとである。

応募受け付け業務にしても時間厳守にしても、別に私は難しいことを要求しているわけではない。社会生活をおくる上で当たり前に行っていることを、ボランティアの場でも当たり前に行うことを要求しているにすぎない。それともボランティアというのは、まともな社会生活すら送れないような社会不適応者の受け皿だとでもいうのであろうか?



東日本大震災の被災者に限らず、豪雨・土砂災害などでもボランティアの活躍が期待される場面は多々あるし、震災関連に限定しても今後放射能除染ボランティアなどが求められるようになっていくだろう。そんなときまともな活動のできる人材をそろえるためにも、自発性より奉仕に着目したりボランティアを普通の仕事より下に見る、現在の日本の風潮を改善し、本来の意味でのボランティアの精神を普及していく必要があるのではなかろうか?

ボランティアについて考える(1)

東日本大震災から半年。しかしまだまだボランティアが必要とされる場はあるようである。
つい最近8月末にも宮城県石巻市に行ってきたのだが、石巻駅のすぐ近くという場所での側溝の泥出し作業をした。
石巻市といえば大小合わせて200団体くらいのボランティアが活動していたと聞いたことがある。それだけたくさんのボランティアが約半年活動してきたのに、まだ石巻駅周辺という中心街でもやることがあるというのだから被害がどれほどのものであったかがわかるだろう。

ただこの石巻市をはじめとして、多くの被災地で、県外からの個人のボランティアの受け入れを終了している。
こうしたミスマッチに見えることも含めてボランティアについて思うところを書き連ねてみたい。




阪神大震災でボランティア活動が注目され、それにともない「ボランティアの作法」的なものも策定されてきた。それ自体は別に否定するようなことではないのだが、この作法というかマニュアルに固執したり、変な風に拡大解釈をしたりするものが増えてしまうのはマイナスであるように感じる。円滑なボランティア活動をするために作られたマニュアルがかえってボランティア活動の足かせになってしまってはいないだろうか?

例えば、『ボランティアはあくまでもやらせていただく立場なのだから押しつけにならないように』というようなことを言われる。これ自体は確かに間違ってはいない。しかしだからと言って依頼が来るまででボーッと待ってるだけってのはどうなんだろう?

待ってるだけというわけではないものの、午前中だけで作業が済んでしまって解散ということはあった。また聞いた話では放射能除去のためのヒマワリの種まきをボランティアでやった時は一時間もかからず解散になったそうな。果たしてほかにボランティアとしてできることはなかったのであろうか?
例えば翌日以降の作業を約束しているお宅に連絡を取って日程を早めてもらえるか確認したうえで作業を前倒しにしても良かったのではないか? 困っているから依頼をしてくるわけだから、都合さえ付くのであれば作業を前倒しにした方が被災者のためになろう。これは押しつけにはあたらないと思うがどうであろう?

あるいは被災者宅を一軒一軒回らせて要望を集めさせても良かったのではないか。何を頼んでよいかわからない、どこまで頼んでよいかわからないという被災者は少なくない。
実際津波でで土台しか残っていないお宅の片づけをしているときに、たまたまそのお宅の隣のお宅の人が通りかかり、作業の様子を見て「うちも土台しか残っていないのだけれども片づけを手伝ってもらえるだろうか」と質問してきたこともあった。「もちろんです。そのためのボランティアですから!」というボラセンスタッフの言葉はそのまま参加しているボランティアたちの思いでもあったわけだが、もしこの方が作業の様子を見かけることがなかったら、あるいは見かけても質問することさえ遠慮してしまうような方だったら、依頼のないままボランティアの必要なしと処理されていただろう。
そうした需要を掘り起こすために、ただ待っているだけではなく手の空いているボランティアで御用聞きをするというのは果たして押しつけなのだろうか?
もちろんすぐに対応できるもの、時間がかかるもの、ボランティアでは行うことのできないもの、様々な要望があるだろう。そうした情報を収集して次回のボランティアの募集に生かしたり、必要なら行政に連絡して対応してもらったり。小回りの利かない行政と情報が行き届いていない被災地住民との橋渡しをすることもボランティアの仕事ではなかろうか?
それなのにボランティアが、小回りの利かない行政と同じ申請主義で、依頼がないから待ってるだけorほとんど作業しないまま解散というのでは、十分な支援活動は行えないのではないか?


まだまだボランティアが活動できる場面があるのにボランティアセンターが閉鎖されたりボランティアの受け入れが縮小されたりというのは、結局この依頼があるまで待っているだけ、依頼がないから需要がないということにしてしまうお役所仕事の弊害だろう。いや、それ以前に、震災直後の最もボランティアが必要とされている時期に市内、あるいは県内のボランティア『しか』受け入れないなんてことが通用したのもこのお役所仕事によるものだろう。しかし市内・県内のボランティアというのは、自身も被災者である可能性が高く、被災者に過度の負担を強いることになっていたのではあるまいか?

ボランティアセンター(というかそれを立ち上げる社会福祉協議会)というのは行政の一機関ではなく民間団体という建前である。そんなお役所仕事でどうする!
やる気のあるボランティアの足をボランティアセンターが引っ張り、その根拠がボランティアに関するマニュアルだというのであるならば、マニュアルのほうを改訂すべきではなかろうか?

世も末だねぇ

野田内閣誕生より一週間以上。この件に関する記事はあえて今まで書いていなかった。

野田氏自身については歴史認識の面で私と共通項もあり、それなりに評価できる部分はあると思ってはいた。しかしこの人は、悪い意味での日本人そのもので、対立を防ぐためなら平気で自分の考えを曲げた行動をしてしまう傾向のある非常にブレやすい人であると評価している。したがって閣僚メンバーによっては大化けする可能性もある半面、民主党から閣僚を選ぼうという時点でそんな奇跡は起こりえないことは自明。実際に閣僚の顔ぶれを見ても「あぁ、やっぱり…」という印象しか持たなかったのである。まぁ、一目見ただけで『在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟』所属のものが多いという印象をうけるくらいだから、復興よりも外国人参政権問題を優先させるのではないかという恐れはあるのだが、それすらも民主党政権であることを考えれば改めて驚くほどのものではない。
あえてこのブログで取り上げるまでもない、想定内の事例にしか見えなかったのである。


しかしながらここ数日内で見てもあまりにも低レベルな発言をして問題となっている閣僚が複数いるのだ。考え方が違うとかそんなレベルではないのだ。これは想定外である。





まず経産相である鉢呂氏。この人は社会党出身なのだから無条件で反原発だろう。経済・産業をどう復興し、振興していくかを考えなければならない立場であるにもかかわらず、その前提条件である電力の供給について選択肢を無条件で狭めてしまう人選が正しいとは思えないのだが、ここまでは想定内。

ところがこの人何をとち狂ったのか、被災地視察ののち、取材記者に服をなすりつけるようなしぐさをして「放射能がうつった」等という奇行をしてくれたわけだ。どこの小学生だよ!
というか今どき小学生でもやってるか?エンガチョなんて。幼稚園レベルか?

かつてマッカーサーは日本人を12歳の子供に例えたが、とうとう幼稚園児レベルの人間が大臣になる時代になってしまったのか?




日にちはさかのぼるが防衛相の一川氏もいただけない。曰く「(自分は)素人だが、これが本当のシビリアンコントロール」だそうな。
馬鹿を言ってもらっては困る。
シビリアンコントロールの要諦は、「軍も資金がなければ動けないのだから軍の財布は軍人以外が持つことにしよう」ということである。軍が動く必要ができたとき、どのくらいの資金を渡せばよいかを決めるのが素人で良いのだろうか?
よくわからないからと言って軍からの要求額はすべて却下というのでは国益を守れないし、よくわからないからと言って軍から要求されるままにどんどん支払えば、それはすでにシビリアンコントロールではない。
つまり適正な支払額を決めることが肝要であり、それには専門的な知識が必要なのである。もちろんそこまでの専門知識を持つ人材は限られているだろうから、大臣は官僚を使わねばならないわけであるが、それでも理解しようという意欲がなければシビリアンコントロールなど実現できないのである。
自分を素人と規定し、その素人のままであることを肯定するかのような発言は断じて容認できない。
これも政治思想がどうこうという問題ではない。「アンタ何のために政治家になったの?」というレベルの問題である。




民主党の平野国対委員長が「内閣が不完全な状態」と発言したことがニュースになったが、まさにその通り。というか完全な内閣などはどこが政権を取っても不可能なことである。不完全ながらも何とか機能する程度まで持っていければ御の字である。
問題はここまでの低レベルな状態だと、不完全ながらも何とか機能するレベルにすら達することができないだろうということである。せめて一般国民から見て普通のレベルの人物ってのは民主党にはいないのだろうか。

テーマ : 野田内閣
ジャンル : 政治・経済

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