放射線について考える(0) 本論に入る前に
さて、書くと宣言してからだいぶ経ってしまったが、放射線についての話題である。
東日本大震災に伴う福島第一原発事故以降、各地で放射線についての講演会が開かれている。
しかしその講師を見てみると、放射性廃棄物の処分場について研究している工学部の教授に放射線の人体への影響という生物学的な話をさせているなんて例もあった。一般の人から見ればこの講師も『専門家』ということになるのだろう。
まぁ、放射線とまったく関係ない分野ではないのだから、普通の人よりは詳しく説明はできるだろが、あくまでも工学の専門家であって生物学・医学の専門家ではあるまい。
私などは「専門外の話をさせられてご苦労なことです」と同情的な目を向けてしまうのであるが、各地で開かれている講演会の、いわゆる専門家なんてこんなものだろう。下手をすると、文系大学を出た後ずっと文系の仕事をしてきたけれどもずっと反原発運動をしてきたってだけの者が専門家面して講演しているなんてこともあるかもしれない。そんな似非専門家が偉そうに講演できるのであれば、私でも個人のブログで解説するくらいのことは許されるだろう。
さて、放射線について書き始める前に、理解しておくべき基礎的な事柄についても触れておくべきだろう。
まずは癌のメカニズムである。よく放射線を浴びると癌になると言われているが、そもそも癌というのがどういうものかがわからなければ仕方があるまい。
人体というのは約60兆個の細胞によって構成されている。この60兆個の細胞は、その人が生まれてから死ぬまでずっと同じというわけではなく、細胞分裂によって新しい細胞が生み出され、古い細胞は垢や便として排出されている。
さて、細胞分裂というのは、もとの細胞から新しい細胞に遺伝情報をコピーするということである。しかし体内各所で膨大な数のコピーが行われているわけだから、コピーミスも一定の確率で生じてしまう。このコピーミスは大体1日に数万回程度起きるとされている。
しかし生命というのはうまくできているもので、このコピーミスに対する自動修復機能というのがあるのだ。コピーミスを検知すると、その破損データを修復して正しい遺伝情報を新しい細胞に送れるようになっているのだ。
しかし、遺伝情報の中でもその自動修復に関する部分のデータが破損してしまうこともあるし、検知漏れや修正漏れも一定の確率で起こり得る。その結果、1日に数百個程度異常な細胞ができているとされている。これが癌細胞である。
ところがここでもうまくできていて、そうしてできた癌細胞を専門的に攻撃する免疫機構が備わっている。また免疫機構の攻撃をすり抜けられたとしても、新しい細胞を作り出す機能が失われていて、そのまま寿命で死ぬ細胞もある。その結果、ほとんどの癌細胞は死滅する。
しかしまれに免疫機構の攻撃をすり抜け、かつ増殖してしまう癌細胞が出てくる。この増殖してしまったものが『癌』である。
このように人体には癌を防ぐメカニズムが組み込まれている。それでも癌になるにはそれなりの原因がなければならないのである。
例えば年をとったり病気になったりした時は免疫力が落ちてくるから癌細胞を駆逐しそこなう可能性は高まるだろうし、遺伝情報のコピーミスが『著しく』多くなれば処理能力オーバーで癌になる可能性も高まるだろう。
放射線というのは、この遺伝情報のコピーミスを増加させる一つの要因ということである。あくまでもいくつもある要因のうちの一つ。煙草もアルコールも肉や魚の焦げも遺伝情報コピーミスを増加させる。
次に化学の問題。
よく大量の放射性物質がまき散らされたという表現が使われる。もちろんそれ自体は間違ってはいない。確かに大量の放射性物質がまき散らされてはいる。しかしその表現によって一般の人が受ける印象と現実は大きく乖離しているように思う。
まず、ベクレルという単位。これは一秒間に放射線を出した原子の数ということである。10万ベクレルといった場合は1秒間に10万個の原子が放射線を出して別の原子に変化したということである。
しかし化学の世界では原子の個数をそのまま数えるなんてことは普通はしない。普通はモルという単位で考える。
このモルというのはその物質の原子量(あるいは分子量)の数字にグラムをつけた重さの中に含まれる原子(あるいは分子)の数の単位である。
例えばセシウム137が137グラムあった時のセシウム137原子の数である。あるいは水(H2O)18グラムがあった時の水分子の数である。
1モルの中の原子(分子)の数はどんな物質でも同じ(そうでなければ単位として役に立たない)で、その数は約6.02×10の23乗である。10の23乗なんて言ってもピンとこない方もいるだろうから言いかえると一兆の一千億倍ということである。
つまり放出された放射性物質がすべてセシウム137であったとした場合、六千億テラベクレルあって(テラは一兆倍の意)やっと137グラムのセシウム137が放射線を放出して別の原子に変わったことになる。
ちなみに今回の事故で空気中に放出された放射性物質は57万テラベクレルとされている。
もちろんこれは1秒間に放射線を出した原子の数であって、実際には放射線をまだ出していない原子も多数残っている。
例えば土壌1kgに10万ベクレル含まれているとしよう。1キロ当たり10万ベクレルと言ったらかなり濃度の高い汚染土である。
セシウム137の半減期は30年。30年後には何もしなくても5万ベクレルになっているはずである。この減少の度合いの関数を積分すれば30年間に放射線を出した原子の数がわかるし、その数を2倍にすれば減少する前のセシウム137の原子の数がわかる。
まぁ積分なんて言うとわかりにくいので、思いっきり簡略化して考えよう。
縦軸にベクレル、横軸に経過時間のグラフを考える。このグラフの曲線と経過時間0秒から30年の範囲で囲まれた部分の面積を求めようというのが積分だと思っていただきたい。
グラフでは減少の度合いは曲線になっているが、面倒くさいので直線として考える。そうすると長辺10万短辺5万の台形の面積を求めればよいことになる。台形の面積の求め方は(上辺+底辺)×高さ÷2である。
この高さに経過時間を代入する。面倒ではあるがベクレルが1秒あたりの数なので経過時間も秒で計算する。30年=60×60×24×365×30=9億4608万秒。
台形の面積の求め方では2で割らなければならないが、総数を求める際に2倍にするのだから15万×9億4608万だけ計算すればよい。
答えは約142兆個ということになる。約42億分の1モルである。重さで言うと約32ナノグラム。ナノとは10億分の1のことである。別のもので例えると杉花粉2.5個分の重さである。
かなりの濃度の汚染土であっても、1kgの土に含まれているセシウム137の重さはたったこれだけなのである。計算間違いしてないよな?
なお、ベクレルからグラムへの換算式というのは、上記のような大雑把でいい加減な計算ではなく、きちんとあるので、興味のある人は調べてみるとよい。ここではあくまでも理系ではなくても理解できるようわかりやすさを重視した説明にした。
ベクレルでの数値と重さでの数値では全く受ける印象が異なるだろう。もちろん重さによって過小評価して良いわけではない。しかし国民の無知に付け込んで過大な印象を植え付け、不安をあおることは許されるべきではない。
ついでだからもうすこし。
毎年春になると中国から黄砂が飛んでくる。
この黄砂というのが曲者で、過去に行われた中国の核実験の残滓が黄砂にまとわりついて一緒に飛んでくるのだ。だから春になるとわずかながら空間線量が増えるのだ。これは過去のデータから明らかである。
この増加について「福島原発がまた放射能を放出したのに政府や東京電力が隠しているんだ」などということを言い出す輩が必ずいると思う。こういうことを言い出すのは日本を貶めることに生きがいを感じている連中か、そのデマに騙されるような無知な人間だと思う。
こういうことを言うと、「中国という遠距離から放射性物質が飛ばされてくるのなら、福島で新たな事故が起きなくてもすでに堆積している放射性物質が飛散することもあるのではないか」という反論をする人も出てくるだろう。
それは絶対ないとはいえないものの、無視してもかまわないレベルの少量の飛散しかないと言える。
まずセシウム137は一度土壌に吸着されてしまうとその土と一緒にしか移動しない。原発から放出されたばかりのときのようにセシウムの蒸気として拡散するのとはわけが違う。では土壌に吸着されたセシウム137はどの程度土ぼこりとともに移動するか。
黄砂というのは中国の砂漠から飛んでくるもの。つまり乾燥して砂ぼこりが舞い上がりやすい環境の広い土地があればこそ、日本に届くほどの上空まで巻き上げられるわけである。
しかし日本ではそうではない。舗装されている部分から舞い上がる土ぼこりはたかが知れているし、舗装されていない部分も多雨多湿の日本においては土が湿っていて土ぼこりは上がりにくい。雨の少ない季節であったとしても農作物や雑草などに邪魔されてやはり土ぼこりの飛散は抑えられる。中国の砂漠のような土ぼこりが大量に巻き上げられるような環境が広範囲に広がっているわけではないのだ。
したがって春に空間線量が上がったとしても、それは福島由来とは考えにくいのだ。
日々の線量変化に注意を払うのは無駄とは言わないが、その放射線の出所を確認することもなく大騒ぎするのは有害以外の何物でもない。
東日本大震災に伴う福島第一原発事故以降、各地で放射線についての講演会が開かれている。
しかしその講師を見てみると、放射性廃棄物の処分場について研究している工学部の教授に放射線の人体への影響という生物学的な話をさせているなんて例もあった。一般の人から見ればこの講師も『専門家』ということになるのだろう。
まぁ、放射線とまったく関係ない分野ではないのだから、普通の人よりは詳しく説明はできるだろが、あくまでも工学の専門家であって生物学・医学の専門家ではあるまい。
私などは「専門外の話をさせられてご苦労なことです」と同情的な目を向けてしまうのであるが、各地で開かれている講演会の、いわゆる専門家なんてこんなものだろう。下手をすると、文系大学を出た後ずっと文系の仕事をしてきたけれどもずっと反原発運動をしてきたってだけの者が専門家面して講演しているなんてこともあるかもしれない。そんな似非専門家が偉そうに講演できるのであれば、私でも個人のブログで解説するくらいのことは許されるだろう。
さて、放射線について書き始める前に、理解しておくべき基礎的な事柄についても触れておくべきだろう。
まずは癌のメカニズムである。よく放射線を浴びると癌になると言われているが、そもそも癌というのがどういうものかがわからなければ仕方があるまい。
人体というのは約60兆個の細胞によって構成されている。この60兆個の細胞は、その人が生まれてから死ぬまでずっと同じというわけではなく、細胞分裂によって新しい細胞が生み出され、古い細胞は垢や便として排出されている。
さて、細胞分裂というのは、もとの細胞から新しい細胞に遺伝情報をコピーするということである。しかし体内各所で膨大な数のコピーが行われているわけだから、コピーミスも一定の確率で生じてしまう。このコピーミスは大体1日に数万回程度起きるとされている。
しかし生命というのはうまくできているもので、このコピーミスに対する自動修復機能というのがあるのだ。コピーミスを検知すると、その破損データを修復して正しい遺伝情報を新しい細胞に送れるようになっているのだ。
しかし、遺伝情報の中でもその自動修復に関する部分のデータが破損してしまうこともあるし、検知漏れや修正漏れも一定の確率で起こり得る。その結果、1日に数百個程度異常な細胞ができているとされている。これが癌細胞である。
ところがここでもうまくできていて、そうしてできた癌細胞を専門的に攻撃する免疫機構が備わっている。また免疫機構の攻撃をすり抜けられたとしても、新しい細胞を作り出す機能が失われていて、そのまま寿命で死ぬ細胞もある。その結果、ほとんどの癌細胞は死滅する。
しかしまれに免疫機構の攻撃をすり抜け、かつ増殖してしまう癌細胞が出てくる。この増殖してしまったものが『癌』である。
このように人体には癌を防ぐメカニズムが組み込まれている。それでも癌になるにはそれなりの原因がなければならないのである。
例えば年をとったり病気になったりした時は免疫力が落ちてくるから癌細胞を駆逐しそこなう可能性は高まるだろうし、遺伝情報のコピーミスが『著しく』多くなれば処理能力オーバーで癌になる可能性も高まるだろう。
放射線というのは、この遺伝情報のコピーミスを増加させる一つの要因ということである。あくまでもいくつもある要因のうちの一つ。煙草もアルコールも肉や魚の焦げも遺伝情報コピーミスを増加させる。
次に化学の問題。
よく大量の放射性物質がまき散らされたという表現が使われる。もちろんそれ自体は間違ってはいない。確かに大量の放射性物質がまき散らされてはいる。しかしその表現によって一般の人が受ける印象と現実は大きく乖離しているように思う。
まず、ベクレルという単位。これは一秒間に放射線を出した原子の数ということである。10万ベクレルといった場合は1秒間に10万個の原子が放射線を出して別の原子に変化したということである。
しかし化学の世界では原子の個数をそのまま数えるなんてことは普通はしない。普通はモルという単位で考える。
このモルというのはその物質の原子量(あるいは分子量)の数字にグラムをつけた重さの中に含まれる原子(あるいは分子)の数の単位である。
例えばセシウム137が137グラムあった時のセシウム137原子の数である。あるいは水(H2O)18グラムがあった時の水分子の数である。
1モルの中の原子(分子)の数はどんな物質でも同じ(そうでなければ単位として役に立たない)で、その数は約6.02×10の23乗である。10の23乗なんて言ってもピンとこない方もいるだろうから言いかえると一兆の一千億倍ということである。
つまり放出された放射性物質がすべてセシウム137であったとした場合、六千億テラベクレルあって(テラは一兆倍の意)やっと137グラムのセシウム137が放射線を放出して別の原子に変わったことになる。
ちなみに今回の事故で空気中に放出された放射性物質は57万テラベクレルとされている。
もちろんこれは1秒間に放射線を出した原子の数であって、実際には放射線をまだ出していない原子も多数残っている。
例えば土壌1kgに10万ベクレル含まれているとしよう。1キロ当たり10万ベクレルと言ったらかなり濃度の高い汚染土である。
セシウム137の半減期は30年。30年後には何もしなくても5万ベクレルになっているはずである。この減少の度合いの関数を積分すれば30年間に放射線を出した原子の数がわかるし、その数を2倍にすれば減少する前のセシウム137の原子の数がわかる。
まぁ積分なんて言うとわかりにくいので、思いっきり簡略化して考えよう。
縦軸にベクレル、横軸に経過時間のグラフを考える。このグラフの曲線と経過時間0秒から30年の範囲で囲まれた部分の面積を求めようというのが積分だと思っていただきたい。
グラフでは減少の度合いは曲線になっているが、面倒くさいので直線として考える。そうすると長辺10万短辺5万の台形の面積を求めればよいことになる。台形の面積の求め方は(上辺+底辺)×高さ÷2である。
この高さに経過時間を代入する。面倒ではあるがベクレルが1秒あたりの数なので経過時間も秒で計算する。30年=60×60×24×365×30=9億4608万秒。
台形の面積の求め方では2で割らなければならないが、総数を求める際に2倍にするのだから15万×9億4608万だけ計算すればよい。
答えは約142兆個ということになる。約42億分の1モルである。重さで言うと約32ナノグラム。ナノとは10億分の1のことである。別のもので例えると杉花粉2.5個分の重さである。
かなりの濃度の汚染土であっても、1kgの土に含まれているセシウム137の重さはたったこれだけなのである。計算間違いしてないよな?
なお、ベクレルからグラムへの換算式というのは、上記のような大雑把でいい加減な計算ではなく、きちんとあるので、興味のある人は調べてみるとよい。ここではあくまでも理系ではなくても理解できるようわかりやすさを重視した説明にした。
ベクレルでの数値と重さでの数値では全く受ける印象が異なるだろう。もちろん重さによって過小評価して良いわけではない。しかし国民の無知に付け込んで過大な印象を植え付け、不安をあおることは許されるべきではない。
ついでだからもうすこし。
毎年春になると中国から黄砂が飛んでくる。
この黄砂というのが曲者で、過去に行われた中国の核実験の残滓が黄砂にまとわりついて一緒に飛んでくるのだ。だから春になるとわずかながら空間線量が増えるのだ。これは過去のデータから明らかである。
この増加について「福島原発がまた放射能を放出したのに政府や東京電力が隠しているんだ」などということを言い出す輩が必ずいると思う。こういうことを言い出すのは日本を貶めることに生きがいを感じている連中か、そのデマに騙されるような無知な人間だと思う。
こういうことを言うと、「中国という遠距離から放射性物質が飛ばされてくるのなら、福島で新たな事故が起きなくてもすでに堆積している放射性物質が飛散することもあるのではないか」という反論をする人も出てくるだろう。
それは絶対ないとはいえないものの、無視してもかまわないレベルの少量の飛散しかないと言える。
まずセシウム137は一度土壌に吸着されてしまうとその土と一緒にしか移動しない。原発から放出されたばかりのときのようにセシウムの蒸気として拡散するのとはわけが違う。では土壌に吸着されたセシウム137はどの程度土ぼこりとともに移動するか。
黄砂というのは中国の砂漠から飛んでくるもの。つまり乾燥して砂ぼこりが舞い上がりやすい環境の広い土地があればこそ、日本に届くほどの上空まで巻き上げられるわけである。
しかし日本ではそうではない。舗装されている部分から舞い上がる土ぼこりはたかが知れているし、舗装されていない部分も多雨多湿の日本においては土が湿っていて土ぼこりは上がりにくい。雨の少ない季節であったとしても農作物や雑草などに邪魔されてやはり土ぼこりの飛散は抑えられる。中国の砂漠のような土ぼこりが大量に巻き上げられるような環境が広範囲に広がっているわけではないのだ。
したがって春に空間線量が上がったとしても、それは福島由来とは考えにくいのだ。
日々の線量変化に注意を払うのは無駄とは言わないが、その放射線の出所を確認することもなく大騒ぎするのは有害以外の何物でもない。
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新年にあたり…
さて、年も明けて数日たってしまったのでそろそろ何か書かねばなるまい。
書かねばならないことは積み残したままではあるが、一年の最初ということで、それっぽい話題を。
今年の初詣でのおみくじ。とりあえず大吉だったのであるが、「これから下り坂ということか」などと考えてしまう今日この頃。
願い事 : 首尾よく叶うしかし油断すれば破れる
とのことであるが、私の願いごとってなんだろう?
初詣で祈願したことということであれば、災害復興だとか北朝鮮の暴発防止だとか中国の海賊退散だとか、さまざまなものを込めての『日本の安泰』を祈願したのであるが、これらが首尾よく叶う?
民主党政権が終わったとしても首尾よくすべてがかなうかなぁ…。でも油断して、民主党政権を続かせてしまうのは勘弁願いたいものである。
そういう国・社会にかかわることではない個人的な願いということであれば、宝くじを当てたいってところであろうか。
今年も放射能除染ボランティアをはじめとした活動で被災地へ行くつもりであるが、その資金の足しにもしたいし、中国人に買いあさられている富士山の別荘地の防衛もしたい。選挙で投票するなんて人任せなことで済ませるのではなく、自ら出馬し日本を救う手助けもしたい。隅田川屋形船オフも忘れてはいけない。
いくらあっても多すぎるということはない。2月に発売される1等前後賞合わせて5億円の復興宝くじ、当たるといいな。
おみくじの裏に『神の教』というのがある。
金を貯めたら慈善をするという人は、ためるお金に限度がないからなかなか慈善が出来がたい。物がなければ力で、力がなければ言葉ででも、人を慰め、人の力になってやれ。情けは人のためならず慈善をすれば心が明るくなって、まず自分が救われる。
だそうな。
「金がたまるまで募金もしないしボランティアにも行かない」なんてことは言わずにいままで活動してきたのだが、やっぱり金がなければ活動できないので、神様、なにとぞ日本のために働くための資金をお授けください。
それはともかく、除染ボランティアに行くつもりではあるのだが、果たしてどの程度ボランティアの募集がされるであろうか?
厚生労働省が除染業者のガイドラインを策定し、専門業者以外の事業者が除染をする場合には、作業場所の平均空間線量率が2.5μSv/h以下の場所に限定するよう規定している。まぁこれ自体、規定している数値の求め方にいささか不満はあるのだが、問題はこの基準をボランティアにも適用させようとしていることである。
確かに追加線量1mSv/年以内に収まるようにすれば2.5μSv/h以上の場所での活動もボランティアとしてできると解釈できる補足がつけられてはいるものの、実際に2.5μSv/h以上の場所での活動のためのボランティアを募集しようとしたら有形無形の圧力がかかって募集中止に追い込まれるのではあるまいか。
しかし私が今まで参加してきた除染ボランティア(つまり除染が急がれている地域)では3.2~3.6μSv/hくらいであった。そういった特に除染が急がれる地域からボランティアを追い出そうというのであれば到底承服できない。
ちなみに福島市内のホテルに宿泊して、そのガイドライン基準値を超えている3.5μSv/hの場所に除染作業をしにいった場合、私の線量計では大体1日に20μSvくらいになった。
追加線量1mSv/年という枠内に収めたとしても年に50日は除染作業をできることになる。しかし年に50日もボランティアに行ける人ってどれだけいるのだろう?少なくとも私はそんなに行くだけの余裕は経済的にも時間的にもない。であるならばもっと高い線量の地域に入っても安全上問題ないではないか。
「そんなに高線量の場所で活動したいのであれば除染専門業者に就職すればよいではないか」という人がいるかもしれないが、それは違う。除染対象地域の多くは業者ではなくボランティアがいくことにこそ意味があるのである。
となんとなく積み残している話題にも軽く触れて本日分は終了。
書かねばならないことは積み残したままではあるが、一年の最初ということで、それっぽい話題を。
今年の初詣でのおみくじ。とりあえず大吉だったのであるが、「これから下り坂ということか」などと考えてしまう今日この頃。
願い事 : 首尾よく叶うしかし油断すれば破れる
とのことであるが、私の願いごとってなんだろう?
初詣で祈願したことということであれば、災害復興だとか北朝鮮の暴発防止だとか中国の海賊退散だとか、さまざまなものを込めての『日本の安泰』を祈願したのであるが、これらが首尾よく叶う?
民主党政権が終わったとしても首尾よくすべてがかなうかなぁ…。でも油断して、民主党政権を続かせてしまうのは勘弁願いたいものである。
そういう国・社会にかかわることではない個人的な願いということであれば、宝くじを当てたいってところであろうか。
今年も放射能除染ボランティアをはじめとした活動で被災地へ行くつもりであるが、その資金の足しにもしたいし、中国人に買いあさられている富士山の別荘地の防衛もしたい。選挙で投票するなんて人任せなことで済ませるのではなく、自ら出馬し日本を救う手助けもしたい。隅田川屋形船オフも忘れてはいけない。
いくらあっても多すぎるということはない。2月に発売される1等前後賞合わせて5億円の復興宝くじ、当たるといいな。
おみくじの裏に『神の教』というのがある。
金を貯めたら慈善をするという人は、ためるお金に限度がないからなかなか慈善が出来がたい。物がなければ力で、力がなければ言葉ででも、人を慰め、人の力になってやれ。情けは人のためならず慈善をすれば心が明るくなって、まず自分が救われる。
だそうな。
「金がたまるまで募金もしないしボランティアにも行かない」なんてことは言わずにいままで活動してきたのだが、やっぱり金がなければ活動できないので、神様、なにとぞ日本のために働くための資金をお授けください。
それはともかく、除染ボランティアに行くつもりではあるのだが、果たしてどの程度ボランティアの募集がされるであろうか?
厚生労働省が除染業者のガイドラインを策定し、専門業者以外の事業者が除染をする場合には、作業場所の平均空間線量率が2.5μSv/h以下の場所に限定するよう規定している。まぁこれ自体、規定している数値の求め方にいささか不満はあるのだが、問題はこの基準をボランティアにも適用させようとしていることである。
確かに追加線量1mSv/年以内に収まるようにすれば2.5μSv/h以上の場所での活動もボランティアとしてできると解釈できる補足がつけられてはいるものの、実際に2.5μSv/h以上の場所での活動のためのボランティアを募集しようとしたら有形無形の圧力がかかって募集中止に追い込まれるのではあるまいか。
しかし私が今まで参加してきた除染ボランティア(つまり除染が急がれている地域)では3.2~3.6μSv/hくらいであった。そういった特に除染が急がれる地域からボランティアを追い出そうというのであれば到底承服できない。
ちなみに福島市内のホテルに宿泊して、そのガイドライン基準値を超えている3.5μSv/hの場所に除染作業をしにいった場合、私の線量計では大体1日に20μSvくらいになった。
追加線量1mSv/年という枠内に収めたとしても年に50日は除染作業をできることになる。しかし年に50日もボランティアに行ける人ってどれだけいるのだろう?少なくとも私はそんなに行くだけの余裕は経済的にも時間的にもない。であるならばもっと高い線量の地域に入っても安全上問題ないではないか。
「そんなに高線量の場所で活動したいのであれば除染専門業者に就職すればよいではないか」という人がいるかもしれないが、それは違う。除染対象地域の多くは業者ではなくボランティアがいくことにこそ意味があるのである。
となんとなく積み残している話題にも軽く触れて本日分は終了。