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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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ほぼ一カ月遅れで…

エネルギー政策についてだとか放射線についてだとか書きかけではあるのだが、こっちは季節のものだから早く処理しなければってことで。いや、もう時期が外れちゃったから載せるのをやめたほうがよいのかもしれないけれども、まぁせっかくだから…。


ということで今年の花見の記録をまとめて。都内七ヶ所桜めぐりはしたのだが、実は花見本番は別のところを計画していたのだ。




高遠

高遠城 桜雲橋 高遠城址公園 勝間薬師堂のしだれ桜

ここは実は私の予定には全く入っていなかった。たまたま連れていかれた場所がこの高遠だったと。
でもまぁ、桜の名所でちょうど満開の時期。桜雲橋の下から仰ぎ見る桜はなかなか良かった。どうでもいいけどなんでこんなリアルさに欠けるスリムすぎる模擬天守閣を作っちゃったんだろう。きちんとした復元をしないのなら作らないほうがましではなかろうか。
高遠城址公園から少し離れたところにある勝間薬師堂のしだれ桜はまだまだという感じ。写真では結構咲いているように映っているが、この方向から見ると結構咲いているものの反対側から見るとまだつぼみのほうが多いといった感じだった。



福島

花見山 滝桜


また別の日。この時は福島県への観光ツアーに参加。昨年から福島県には何度も足を運んでいるが、ボランティアとしてではなく観光として行くことも必要だろうということで桜の季節に訪れた。観光で土産物を買うのも地域経済の復興に必要なことだからね。昨年の桜の時期はまだ交通がきちんと復旧していない部分もあったし、そもそも観光客を受け入れる余裕などなかっただろうし。

まずは福島市の花見山。
花見山という名だけあって桜ももちろん咲いているのだが、桃、白木蓮、椿、木瓜など様々な花が咲き乱れる様はなかなかよろしい。
今年4月14日に、やはり福島市の弁天山の除染を雨の中やってきたのだが、その時はまだほとんど開花していなかった。それから週間天気予報などから開花状況を推測してツアーに申し込んだのだが、予想通りちょうどいい感じ。
結構観光客はいたようだけれどもそれでもやはり例年より客が少なかったりするのだろうか。もったいないなぁ。この日は大体1.2μSv/hくらい。首都圏では大騒ぎになって立ち入り禁止にされてしまうレベルであろうが、この程度の線量では健康に影響を与えない。ありもしない危険におびえて観光を控えるというのはいかがなものか。

花見山を後にして向かったのが三春町の滝桜。今年の花見のメインである。
樹齢千年超のしだれ桜。言葉に表せない。桜の巨木はほかにもあるけれど、ここほど枝ぶりの良い桜はほかにあるまい。生涯に一度は見ておきたい名木だと思う。

ちょっと余談になるが、東京都が尖閣諸島を購入しようとしていることについて「そんな金があるなら東北復興に使え」とかほざいている輩がいるが、東京都はそういう面でも結構金を出している。たとえば今回利用したツアーも復興応援ツアーということで東京都民、東京に通勤通学しているものには補助金が出ている。他の県でこんなことをしているところはほとんどないだろう。少なくとも神奈川ではやってないから私はほかの参加者より高い料金で参加することになっている。神奈川県知事は東京都が尖閣諸島を購入することに異議を唱えている割にはこういう復興応援という分野に金を出そうとしないどケチである。非難されるべきは都知事と神奈川県知事と、どちらであろうか。

ちなみに復興応援という意味での観光はこの桜見物に限らず今後も続ける予定。夏にはあぶくま洞とその近くの入水鍾乳洞へ、秋には霊山にトレッキングに行く予定。



昇仙峡

昇仙峡


ゴールデンウィーク後半、今年最後の花見に訪れたのは昇仙峡。昇仙峡といえば紅葉の季節というイメージがあるが、新緑のこの時期も観光客は多い。奇岩を眺めながら歩くのだが目的地はこの昇仙峡の奥にある金桜神社。
昇仙峡から直接神社に向かうのではなく、まずはロープウェーで山に登る。べつに仙娥姉妹グッズを買おうというのではなく、この山頂から金桜神社まで、旧参道があるらしいので、そこから歩こうというのである。いや、山頂に至るまでも歩いて登るべきと言われればその通りだが、山頂へのコースは昇仙峡の途中にのぼり口があるらしい。そっちを登っちゃうと昇仙峡自体が楽しめなくなってしまうが、それはもったいない。昇仙峡を最後まで楽しんだのちロープウェー近くにのぼり口があるという話は聞かないけれどもどうなんだろう?
で、山頂から金桜神社に向かう途中に「山麓仙娥滝駅下山口」という標識のある道があった。歩いて下ることができるのなら登るところも近くにあったのだろう。惜しいことをした。
まぁそれはともかく金桜神社を目指して林道を歩き続ける。


金桜神社ウコンザクラ 金桜神社御神木

金桜神社はウコンザクラで有名である。ウコンザクラというのは淡黄色の花が咲く桜である。このウコンザクラや普通の八重桜がちょうど満開であった。写真ではウコンザクラがただの白い桜に見えてしまうが実際にはもうちょっと黄というか緑というかが強い。
この神社の御神木であるウコンザクラを拝観し、水晶守りを受けると生涯金運で困らないという。当然水晶守りをいただいてきた。さて金運は上がったのかな?


ということで今年の花見の記録は終了。
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今後のエネルギー源について(1)

さて、また相当な時間が経ってしまっての更新である。原発、およびエネルギー政策について書いてほしいという要望があったので、まずはそれについて取り上げよう。

まず私の原発に対する立場であるが、他者から見ると推進ということになるのだろうか?私自身は思われているほど推進しているつもりはないんだけれども。
将来的には核分裂型の原子力発電の割合を減らしていくというのには全く異存がない。
ただ、いわゆる脱原発派が即時の原発停止を求める、あるいは「今すぐ原発すべてを廃止できるとは思っていない。将来にかけて徐々に減らしていくべきなのだ」というようなことをいう場合であってもその将来というのはせいぜい5年とか10年さきのことでしかないと思われるが、そのような短期間で原発を廃止できるとは思っていない。おそらく50年くらいはかかるだろう。もちろん資金とマンパワーを集中投入して、30年で廃止できるよう研究開発を進めるということは可能かもしれないが、たとえ30年であったとしても、今ある古い原発を運転し続けるというのは現実的ではない。その30年間(あるいは50年間)のエネルギーを安定的に供給するためには新規原発の建設が必要である。今ある原発が耐用年数を迎えたところで止めるのではなく、今ある原発を更新しその新規建設した原発の耐用年数が来たところで原発をやめていくというくらいがちょうどよいだろう。
この、現時点においては新規原発の建設が必要というあたりが、推進ということになるのだろうか。



原発全機停止についてどう考えるかという短期的な視点、今後のエネルギー政策をどうすべきかという長期的な視点があるが、まずは短期的視点のほうから取り上げる。ここではまず脱原発派の誤りから指摘しておかねばなるまい。それは「今ある原発を止めても電力は足りる」という神話である。

今ある原発を除いた総発電量に電力会社以外の発電設備の発電量を加えれば日本の電力需要を上回っているということがいわれている。まぁ数字上はそうだと思う。しかし、発電設備容量と給電可能量は異なることを(おそらく意図的に)見落としている。確かにすべての発電所が止まることなく全力運転できれば原発廃止分を賄うことはできる計算にはなろう。しかし現実には定期点検などで止めなければならないこともあるし、故障で止まることもある。無理な運転をすればそれだけ故障の可能性は高まる。震災以降現役復帰した旧型発電機などはなおさらである。
このことと関連して、「原発事故後頻繁に火力発電所が故障で停止したというニュースを目にするようになった。原発の必要性を世論に植え付けるために止める必要のない程度の異常を故障ということにして、わざと止めているのではないか?」というような誤解(曲解)をしている人もいるらしい。火力発電所であろうが水力発電所であろうが他の発電方式であろうが、故障というのは別段珍しいことではない。むしろ故障停止が珍しくないからニュース価値が生まれず報道されてこなかっただけである。その本来ニュース価値がなかったことまでニュース価値が生まれる状況というのは、たった一基の発電所が停止しただけでも大規模停電につながりかねないくらい電力供給が綱渡りの危機的な状況にある、つまり電力が足りていないということである。

そういえば、昨年当時の菅首相が、電力会社以外の自家発電の余剰分をかき集めれば何とかなると思い込んでいて、どのくらいの量を確保できるか調査させてみたが、思っていたよりはるかに少ない量しか確保できないことが分かって「そんなわけない、もっとよく探せ!」とブチギレていたっけ。
しかし、自家発電の余剰分があまりないなんてことは考えてみるまでもなく分りきったことではないか。自家発電とは読んで字のごとく、自社で使うために発電しているのであって、作った電気はすでに自分の会社で消費している。売ることを目的としているわけではないのだから大量な余剰が出るような無駄な投資をしているとは考えにくい。

結局のところ原発がなくても電力が足りると主張している人達というのは、数字だけ見て現実を分かったつもりになり、証拠もないのに『大丈夫だろう』と言っているのに過ぎない。ただ、日本経済に与える影響を考えるならば、そのような楽観的な推測は避けるべきではなかろうか。
車の免許を取る時「子供は飛び出してこない『だろう』」ではなく「子供が飛び出してくる『かもしれない』」と考えるよう指導された人は多かろう。同様にリスクという観点から「電力が足りる『だろう』」ではなく「電力が足りない『かもしれない』」という姿勢で対処に当たるべきである。実際に表れている証拠も考え合わせればなおさらである。


「たとえ電力が少しばかり足りなくてもみんなが少しずつ我慢すれば何とかなる。現に昨年の夏は乗り切れたではないか」ということをいう人もいる。
少しずつってどのくらいを少しというのであろうか。
なるほど昨年の夏は電力不足による危機的な状況にまではいかなかった。しかしそのために一日の就業時間を短くする企業や夏休み期間を延長する企業が多数あった。現在の日本で増えている非正規従業員の多くは時給制であり、就業時間が短くなることはそのまま収入の大幅な減少につながる。ただでさえ少ない収入がさらに大幅に削減されるのは少しの我慢であろうか?
また、昨年の就業時間削減などはあくまでも一年限りの緊急避難措置と考えられていたからこそのもの。これがこの先も続くということになれば、就業時間の削減にとどまらず人員削減にまで進んでいくことになりかねない。
安定した電力供給が見込めないということで海外に流出する企業も増えるだろうし、その際にも多くの日本人従業員が職を失うことになる。今は正社員であっても平気でクビになる時代。正社員だからといって安心はできない。
さらに本当に電力の安定供給が必要な業種だけでなく、電力不安定を口実に人員削減を進めようとする便乗事業者すら出てくるだろう。
電力不足の余波で失業してなお「少しばかりの我慢」だと言い続けることができる人がどれだけいるであろうか。
「少しばかりの我慢」派はそこまでのことは考えていまい。自分たちの収入は減らず、夏の暑いときに冷房の設定温度を少し高く設定すればそれで済む。我慢すればその分電気代も浮く。その程度の気分で軽く考えているにすぎない。電力不足によって起こりうることを真剣に考えれば「みんなが少しずつ我慢すれば」なんてことを軽々しく口にできるわけがない。



結局のところ羹に懲りてなますを吹くの愚を犯し、止める必要のない原発をとめたことは、日本に深刻なダメージを与えかねない。今求められるのは『経世済民』、つまり国民の生活を守るために一刻も早く原発を再稼働することである。それこそ福島第一原発で被害を免れた5・6号機の再稼働も考えるべきであろう。


しかし「安全性が確認されていないものを運転するのは…」という声もあるかと思う。しかしながら私は今回の原発事故はむしろ安全性の証明となったと思っている。千年に一度レベルの巨大地震と大津波に襲われ、さらに運転にミスが重なったにもかかわらず、放出された放射性物質の量は4機合わせても、1機だけの事故であるチェルノブイリの数分の一である。おそらくほかの国の原発で同じような状況になれば被害は何倍にもなっただろう。

で、そのものすごい被害を出したとされるチェルノブイリ。確かに甲状腺がんの発症率が何倍にも跳ね上がったとされている(今まで検査してこなかった人たちを検査対象に含めたために見かけ上患者が増えただけなのか本当にがんが増えたのか疑わしいとは思っているが…。それどころか本当にがんが増えたのだとしても原因が放射線以外の可能性があると思っているのだが…)。その何倍にもなった甲状腺がん患者の25年後の死亡率はわずか0.5%であるという。日本においては今回の福島原発が直接的な原因であるがんはほとんど起きないだろうし、死亡するものも出ない。確かにあってはならない事故ではあるもののその危険度は石油コンビナートの爆発事故と大差ないといってもよいと思う。

つまり『羹に懲りて』どころか羹ですらなかったのが今回の福島の事故であろう。福島第一原発よりも新しい原発であればさらに安全対策が施された設計で、危険はより少ないといえる。さらにストレステストの結果を利用してさらに安全性を高める補強も行える。(ただ現在の民主党政権は、弱点を洗い出しそれに沿って補強を行うためのストレステストを、安全のためにクリアしなければならない基準と勘違いしているからストレステストが終わった時点で安心してしまってやったほうがよりよい補強をしないまま放置するだろうけど。まぁそれでも危険といううのは言いすぎのレベルではあるが)

ということで安心して原発を再稼働していただきたいものである。


今後のエネルギー政策をどうすべきかという長期的な視点については後日改めてということで。

決別

さて、2月下旬に書こうと思っていながら、度重なるパソコンの不調や体調不良によって書けなかったことを書いておこうと思う。


その前に関連項目。
復興宝くじの結果発表。

2月14日 西銀座チャンスセンター 連番十枚 サクラ大戦2歌謡全集を聞きながら購入
       あづま稲荷大明神(サクラ大戦の大帝国劇場すぐ裏の位置の神社)参拝  300円当選

2月26日 渋谷ハチ公前売り場 連番十枚 青年日本の歌を聞きながら購入
       二・二六事件慰霊像参拝                             300円当選

3月10日陸軍記念日 新橋烏森口ラッキーセンター 連番十枚 陸軍記念日を祝う歌など陸軍系の曲を聞きながら購入
       乃木神社参拝                                 10300円当選

ということでプラス収支ではあるものの百万円には全く届かず。
ちなみに陸軍記念日には、宝くじ購入前に靖國神社にも参拝している。当選金の使い道的考えると2月26日購入分が本命だったんだけどね。

ということで、屋形船でのオフ会にはつながらなかったのであるが、もし仮に百万円以上当選していたとしても屋形船オフは無期限延期にするつもりだった。今後の宝くじでの当選でも同様である。
その理由は、企画しても告知する場所がないからである。

今までであればSakuraWars.netのBBSを利用させてもらうところであるのだが、SakuraWars.netが信用に足る場所ではなくなったため、ここでの募集を行う意思がなくなった。かといって読者のものすごく少ないこのブログだけで告知したところで人数が集まらない。もちろん15人分の料金さえ払えばもっと少ない人数で船を出してもらうことは可能かもしれないが、片手で数えられる程度の人数にしかならないのに船の貸し切りというのもどうかと思う。

また、私は公開の場でオフ会の告知をし、建前としてはだれでも参加できるという形をとっていたものの、参加者が普段どんな発言をしているかのチェックもしていた。オフ会の場で問題を起こしそうな人がいる場合には参加を断る場合もあったし、場を収める協力を親しい人に依頼したりもした。
また、旧仮名遣い正漢字で書き込むという個性の強さを示していたので、そもそもそれを読んで参加しようなんて人は限られてもいた。それでも最大20名くらいは集まったけれども。
そういう風にしてオフ会での秩序維持をしてきたので、私が直接確認できない場所で告知代行をしてくださるという申し出も受ける気はない。具体的にいえばmixiをはじめとするSNS。これらは会員以外には閲覧できないが、私はSNSは生理的に合わないので会員になるつもりはない。よって直接確認できない以上これらでの告知はあり得ない。



さて本題はSakuraWars.netが信用に足る場所ではなくなったと判断した経緯である。

ことの発端は、花とゆめで連載されている奏組編の感想ツリーでの書き込みである。
その時の話では過去の描写があり、十字目の人型蒸気が登場していた。それについてツリー主が『兎にも角にも 「目が十字」のアイゼンクライトはⅢ』としたうえで、開発時期などとの整合性から『あの機体が何なのか…気になるところです』と書いていたので、「血潮には欧州大戦当時の欧州星組の機体が出てきたけれどもあれも十字目の機体でしたよね』ということを私は書いたわけである。
ここで注意してほしいのだが、このツリーはあくまでも感想ツリーであって考察ツリーではなかったし、考察しようという流れにもまだなっていなかった。したがって私も考察としてではなく単なる事実の提示として書いている。考察のつもりなら事実の提示でとどめず、もっともらしい説明を付け加えている。



ところがこの私の書き込みにかみついてきた人がいる。
「血潮は信用できないから論拠にすべきではない。考察するのならば事実と作り話は区別して考えるべきである。」ということらしい。
そもそもが考察として書かれたものではないのだから、それに対して「考察するのなら…」という批判は言いがかり以外の何物でもないのであるが、それはともかく、血潮のものは何でも検証なしに否定というのは考察派にあるまじき短絡的な考え方である。そこで、奏組編がどのような作品になるのかわからない現時点においては特定の立場に固執することなく幅広く意見を受け入れてもよいのではないかという意見を表明し、また、血潮由来だからとひとくくりにして排除するのではなくそれぞれの事例について個別に検証すべきであると提案したわけである。
ついでに、最初の発言が考察として書かれたものではなかったことから、もう少し補足的なことも付け加えておいた。

ところが相手は私の意見・提案を受け入れるのか受け入れないのか、受け入れないのであるならば奏組編の方向性が確定している根拠を示すであるとか、個別に検証することなく血潮のものなら排除してもよい根拠を示すであるとかといった、直接的な答えをしないばかりか、私の文章の主旨を曲げて解釈して「がっかりするのが前提となっている」と決めつけ、その誤った解釈に基づき「前提が間違っている」「何がしたいのかわからない」と、あたかもおかしな前提に固執する日野という人物の人格に問題があるかのような話を展開している。


がっかりするのは間違った前提に固執するからであって奏組編が原作と異なる展開になるからではない。

サクラ大戦というゲームを『きちんと』やったことのある人であれば気付いていることと思うが、サクラ大戦というゲームは『サクラ大戦』という劇を上演している帝国歌劇団の物語という構造になっている。これは血潮に限らず原作でも同様である。つまり、ゲームを通して知ることができるのは、現実世界の我々にとってフィクションであるのと同様、太正帝都市民にとってもフィクション(劇)なのだ。「事実」に基づいたフィクションか全くの創作かは別として、血潮であれ原作であれ、太正の「事実」そのものではないのである。
太正時代の人間をロールプレイするとしてもサクラ大戦世界(フィクション)と太正世界(事実)を区別して考えなければおかしなことになってしまうのは当然であろう。ファンとしてできるのはサクラ大戦世界が太正世界の事実に基づくフィクションだという前提に立ち、フィクションを通して事実を推測することのみである。

事実を直接知ることができない以上、原作が史実だなどと断定できるわけがないし、そんな断定を一ファンの立場でするのはロールプレイの範疇を逸脱している。これがわからないというのであればロールプレイしているつもりになっているだけで全くロールプレイができていない、ただのイタイ人ということになるし、わかっていて議論のために言いがかりをつけているのだとしたら人としてどうかと思う。

とにかく太正世界的にも事実でないことを事実であると強弁し、それ以外を認めないという立場に立てば、奏組編を含め、今後出るかもしれない新作もがっかりすることにしかならない。逆に、原作も血潮も奏組編もすべて等しくフィクションでありそれらを通して事実を推測するという正しい考察の立場に立てば奏組編が原作と異なる展開をしたとしても、太正世界をより深く考える材料として歓迎できる。がっかりすることを前提としているのは私だろうか、相手だろうか。


また、霊子甲冑の目が十字なのはドイツだからではないなどと、私の言ってもいないことを非難し、目が十字である理由から始めろと要求していながら、その点について自ら考察することは、少なくとも私に対してはしようとしていない。他の人が伸ばした枝にて触れてはいるものの、投稿している時間から見て、もし他の方の発言がなかったとしたらこの件について触れることなく終わっていた可能性もあるのではなかろうか。私は返事をせかしていたわけではないのだから、私に考察を返す気があったのなら私への返信に考察を盛り込む時間は十分にあったわけである。人に考察しろと要求しておきながら自らは考察を避けるというのは、それこそ何をしたいのかわからない。

そもそも、既知の事柄を含めて様々な意見をぶつけ合う過程において新規性のある事やあらたに繋がった事が生まれてくるのが考察というもの。それを「新規性のある事や、あらたに繋がった事はない」などと非難し、最初から新規性などを求めていたらほとんどの人は発言すらできない。事実上考察のための議論を封じているようなものであり、とても他者に対して考察を求めている者の行動とは思えない。



とにかく、言いがかりをつけ、私の書き込みを曲解し、私が言ってもいないことをさも言ったかのように非難し、私に対して要求したことを自らはしようとしないという行動は、私を貶め、挑発し、問題を大きくしようとしているものであり、荒らし行為に該当すると私は認識している。そのため、私自身がBBS上で反論し荒らし行為を助長するのは避けようと考え、BBS管理人に対処を要請した。ちなみにこの時、荒らし行為の助長を避けるため、その後も私自身がBBS上で反論する意思がないことを管理人に伝えている。

しかしながら管理人は問題の本質に気付かなかったのかそれとも本質から目をそらそうとしたのか、荒らしの問題ではなく、血潮を認めるか認めないかの問題に矮小化し、個人の支持する内容の違いによる言い合いとして処理しようとしたのだ。
当然私はこの裁定に不服を感じたわけであるが、管理人とのこのやり取りの最中に、BBSのほうでは、また相手が追記と銘打ってでたらめなことを言って印象操作をしようとしてきた。

曰く『"サークル"と同じ「オレが一番古いファン」の感覚で書いたりしちゃダメですよ。』だそうな。
公式を名乗るサークルにおいては事あるごとに「私の意見はサクラ大戦ファンの中では少数派、場合によっては異端ですらある」と言い続け、何の検証もせずに私の意見に同調しようとした者に対して「私の意見を信じすぎず、自分で調べ、考えたほうがよいですよ」と私自身が忠告することすらあったのであるが、その私が「オレが一番古いファン」の感覚で書いていた=私の言うことが正しいのだから従えと言っていたというのか?ずいぶんと大胆な解釈だな。まともな人間ではそんな解釈はできないだろう。
おそらく過去の事例を出してのアドバイスを、「自分が古いから特別だ」という押付けだということにしたいのだろう。サークルがなくなって長い月日がたち、証拠を掘り出すことができないからといって、よくもまぁ、こんなでたらめをためらいもなく書けるものである。怒りを通り越してあきれるばかりである。
というか、BBSにおいて何を議題に乗せてよいかを管理人やほかの利用者に諮ることなく決めようとしたり、きちんとルールとマナーに従って議論する代わりに人格攻撃をしても平然としていたりと、自分を特別扱いしているのは私と相手とどちらであろうか。
自分の正しさを立証するのではなく、捏造した事実に基づき相手を貶めることによって優位に立とうとは…。荒らしを始めると人間性まで低劣なものに堕ちていくのだろうか。


とにかく私が反論をやめても中傷が止まらないことから、再度管理人に対処を要請した。「これは個人の支持する内容の違いによる言い合いなどではなく中傷の問題である」と。そして規約にかかわる問題なのだから「熟慮すること」も求めた。
しかしながら管理人からの回答は、「相手が荒らしをするつもりだとは思えない。反論しあうのも交流のうちだから自分で反論してもらって構わない。」というものであった。

馬鹿を言ってもらっては困る。『荒らし』という人種がいてその書き込みのことを『荒らし行為』と呼んでいるわけではない。『荒らし行為』をしている者のことを『荒らし』と呼ぶのである。
管理人と相手は旧知の仲である故、「あの人が荒らしなんかするはずない」と信じたい気持ちは分からないでもない。私自身相手とは面識があり、多少独善的な面はあるものの間違ったことは言っていない人という印象は持っていた。
しかし、「誰それだから荒らしではない(あるいは誰それだから荒らしである)」という考え方は原因と結果を取り違えている。誰であっても荒らし行為をすれば荒らしである。そして誰であっても荒らし行為をする可能性はあると思う。たとえば私だって荒らし行為を絶対しないなどとは断言できない。まぁ、私は荒らしなどやるほど勤勉な人間じゃないけどね。
今回の件について、事実と異なる批判が一か所だけとかであるならば、確かに相手を荒らしと認定することはできないだろう。しかし事実と異なる批判がいくつも連なっている場合、偶然事実誤認が重なったと考えるより、意図的に事実と異なることを書き連ねて中傷していると解釈してもおかしくはないだろう。仮に本人にその意思がなかったとしても、そういう解釈をされるほどのことをしているのであれば、すでにそれは『認識のない荒らし』である。

相手が意図的な荒らしなのか認識のない荒らしなのかはともかく、荒らしである以上、規約に則って対処する義務が管理人にはあるわけであるが、荒らしを荒らしと認めることを怠ったために、対処の仕方も間違っている。
相手が荒らしでないのであれば、ヒートアップしすぎな議論であっても交流の一環といえるだろうが、荒らし相手の場合は同様に考えるのは間違いであろう。私は荒らしと交流する気はないし、そもそも規約というのは荒らしと交流することのないように定められたものであろう。
さらに私は管理人に対して、BBS上での反論は行わないと宣言しているのだ。管理人が許可すれば反論してもよいなどという単純な考え方は受け入れられない。たとえ管理人が許可しようと一度決めて口に出したことを簡単に翻すような軽い人間に見られたくはない。
つまり規約に則った荒らし対策からも私のプライドからも、BBS上で自分で反論するという裁定は到底受け入れられるものではなかった。

つまり管理人にできることは規約に則って裁定を下すことのみだったにもかかわらず、規約に抵触していないかのような無理な解釈をし、なすべき責任を当事者に丸投げしたということになる。管理人本人は中立を保つために仕方がない判断だと思っているようだがそれは全くの認識違いである。管理人の行動は荒らしを利するものであり、そもそも規約に反する行為を行った者とその被害にあった者に対して中立という考え方自体が正しくはないだろう。

SakuraWars.netのBBS利用規約は管理人が適当に作ったものだから管理人の恣意的な判断で運用できるというものではない。利用者が意見を交わしながら作り上げた規約である。そうである以上管理人もその運用に勝手な裁量を加えることは許されない。
私は管理人に熟慮を求めた。熟慮した結果、規約を有名無実化し、荒らしを利することを選択したというのであれば袂を分かつしかあるまい。


私は公式を名乗るサークルにおいて、またこのブログにおいてSakuraWars.netの参加者が増えるように宣伝めいた書き込みをしてきた。『管理人自身が規約を読んでいるかすら怪しいどこぞの場所とは違って、利用者が意見を出し合って規約を作り上げた場所です」といった具合に、きちんとした管理が行われるであろうことを安心材料として宣伝したこともあったように記憶している。
しかしその実態は、少なくとも現時点においては虚構であることが分かった。私の宣伝を信じてSakuraWars.netを利用するようになった方がいらっしゃれば、結果として間違った情報を流してしまったことについて、この場にてお詫び申し上げる。
今後SakuraWars.netを利用しようという方は自己責任でお願いしたい。今後については「日野が安全だと宣伝したから信じて利用を始めたのに話が違うではないか」というような苦情は一切受け付けない。

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