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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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2012年二回目富士登山記(3)

須走-スバルライン間の回り道や、須走-御殿場間での心理的負担により疲労感が出始めている。それにひざ痛はまだ出ていないものの股関節に違和感が出始めている。予定より遅れているがゆっくり進むしかない。

そして何とか暗くなりながらも砂走館まで到着。「今夜宿泊できます?」
当然宿泊可能。御殿場口の山小屋は予約なしでもほぼ確実に空きがあるという点で重宝する。
翌日の予定を聞かれ、しばし悩む。暑さに特に弱い私としては深夜出発のほうがよいような気もするが、足の違和感を考えれば朝までゆっくり休ませたほうがよいかもしれない。
結局朝までゆっくり休んで、朝出発することにする。


翌朝、砂走館前で日の出を見る。

20120809御来光


その後出発の準備をする。股関節の違和感はいまだに残っている。でも状況が急変しない限りは何とか登頂できるかな?

実はこの砂走館には過去何度か宿泊はしているのだが、補給で使ったことはなかった。
五合目から長距離補給場所のない御殿場口を登ってくるときには余分に水を持ってきており、深夜出発で登頂を目指す分には新たにここで購入せずとも頂上まで、持ってきた水だけで足りてしまっていたから。
しかし明るくなってからの出発ということは気温も高く汗の量も増えるだろうから、所持しているものだけでは心もとない。
ということで出発前に水を購入。自分のボトルに移しかえて空き容器を返そうとしたら「空き容器は持って降りていただくようご協力をお願いしています」だと。
まぁほかの登山道の山小屋が、その店で買った商品の空き容器は引き取ってくれるからといって、ここでも同じ対応してもらえるとは限らないというのはわかる。しかし何となく釈然としない。
御殿場口の山小屋での水の値段はほかと比べて高いように感じる。もちろん五合目の位置が他より低い高度で、ブルで運ぶ距離が長くなるため値段を上げざるを得ないのはわかる。だから御殿場口七合五勺の水の値段が吉田口頂上での値段と同じであっても仕方がない。しかし吉田口頂上の山小屋は空き容器を引き取ってくれるのだ。御殿場口では空き容器を引き取ると赤字になるほど、吉田口山頂山小屋以上に輸送費がかかるとでもいうのであろうか?
もしそうだとしても、私個人の考えを言えば、宿泊時の名物のお代わり自由カレーをやめてでも空き容器引き取りをするための資金をねん出すべきだと思う(過去の宿泊時にお代わりをしておいてこういうことを言うのもなんだが…)。名物というのは基本的サービスが充実したうえでさらに客を呼び寄せるために行うもの。サービスの改善の余地を放置しておいて名物も何もあったものではないだろう。
山小屋を利用する人の多くは登頂を目指している。そして登頂するには荷物が少なく軽いほうがよい。山小屋で補給するたびに荷物が増えるというのは登山者に余計な負担を強いることになる。そのちょっとした負担増によって、登山の楽しさより大変さが印象に残って登山をやめてしまうような人が多数出れば、結局損するのは山小屋ではないか。
百歩譲って空き容器引き取りを行わないままでいくとして、商品のラインナップをもう少しどうにかできないものであろうか?普通のペットボトルは厚い容器で、その分重いし潰してもあまり小さくならない。薄い材質のペットボトルであれば、その分軽いし小さく潰せる。登山客が持って歩かねばならないのであれば軽くて小さくつぶせるもののほうが負担が小さくて済む。




さて、明るくなってからの登山というのは確かに水の消費量が増える=その分余計に水を持たなくてはならないが、足元に注意しすぎることなく進める分、気分的には楽かもしれない。
時々強い風が吹いてくるが、まだ前回ほど強くないし、吹き続けているわけでもない。頂上に近づくにつれてもう少し強くなっても何とか登頂できるかな?

そんなこんなで御殿場口頂上到着。頂上では強い風が吹き続けている。
とりあえず、まずは浅間大社奥宮に参拝。参拝客は少ない。強風のため吉田口頂上からこっちまで回ってくる人が少ないためだろうか。

参拝後、郵便局の前に『皇紀二千六百年 敵國降伏祈願』の石が置かれているのを見つけた。

戦勝祈願

私が初めて富士山に登頂したときに見かけたがその後見かけなくなってしまった石である。もしかしたらここ数年もこの石は出してあったのに、郵便局利用者が置いたリュックに隠れて見えなかっただけなのだろうか?初見時においてあった神社前にリュックを置きっぱなしにする人はいないが、郵便局前だと、かなりの数のリュックが置いてあったような気がするから、あり得ないことではないだろう。今回は人が少なく、置いてあるリュックの数も少ないおかげで見えたのかもしれない。個人的にはこの石は郵便局前ではなく神社の前の一番目立つ場所に飾ってもらいたい。置かれたリュックなどで隠されることのないように。


さて、参拝後どうするか。強い風が吹き続ける中お鉢めぐりをするのは危険を伴う。かといってこのまま下山するというのも…。

コノシロ池と剣ヶ峰

とりあえず剣が峰まで行って様子を見て判断することにする。

強風の中、やっとの思いで剣が峰に到着。この強風の中ここまで来る人は非常に少ないようで、行列待ちをすることなく山頂まで行ける。
剣が峰を後にして先に進むのは…。無理だね。特に風が強いように感じるし、無理して進んでも時間がやたらかかることになろう。
やはりお鉢めぐりはあきらめて富士宮口頂上まで戻る。トイレの受付のおっちゃん曰く「これからもっと風が強くなるかも」。お鉢めぐりを諦めて正解だったかな?もっと風が強くなったら人が飛ぶんじゃなかろうか。


下山は御殿場口を選択。

どんどん下り、宝永山への分岐まで到着。ここより下は通ったことがない。だからこのまま御殿場口下山道を下りるつもりでここまで下りてきた。
しかしここで思いついちゃった。ここから登山道に向かい、少し下れば須走への連絡路の入口である。あの踏み跡をたどった場合須走側ではどこにつながっているのか確認したい。
実行可能か考えてみる。
ここからコース変更した場合、須走の六合目山小屋までにかかる時間は、おそらく御殿場口をこのまま五合目まで下りるのと大差ないはず。その時間補給なしで進めるだろうか?
御殿場口へは下るだけだし、もう少し下れば霧の中に突入するからそんなに暑くはならず、発汗量はそれほどでもなかろう。しかし須走に向かう場合、沢を渡るのに登り下りを繰り返さなければならないし、たまに下から吹き上げられてきた霧に包まれることがあるとはいえ基本的には炎天下を歩くことになりそう。どう考えても発汗量は抑えられず、その分多くの水が必要そうである。
この時点で持っている水は500ミリリットルとちょっと。御殿場口を下り続けるなら足りるはずだが、進路変更した場合心もとない。踏み跡が最後までしっかりしていて、迷うことなくスムーズに通過できればぎりぎりなんとかなるかもしれないが、わかっているのは行程の半分ほどの区間にすぎない。もしもの時のことを考えると、もう500ミリリットルは用意しておきたいところである。わらじ館前を通過するまでの間に思いついていれば予備の水を購入しておいたのだが、ここまで来てしまっては後の祭りである。

考えた末、「無茶はするけど無理はしない」という信条に従い、須走への連絡路の確認は別の機会に回し、当初の予定通りこのまま下ることにする。



大砂走りは快適といえるだろう。須走の砂走りは大きな石がかなり含まれており注意しながら下りた記憶があるが、御殿場の大砂走りは大きな石の含有量は須走より少ないように感じる。

新五号五勺までは比較的快適に下りてこられた。高度的には須走五合目と同じくらい。しかし御殿場口ではさらに500メートルくらいの高度差を下りなければならない。長いなぁ。しかも、ここから下は下山道とブル道の共用。ブルに踏み固められた部分は避け、砂のやわらかそうなところを歩くが、砂走り区間と比べて砂が薄いため足の負担は急増、スピードが大幅にダウンしてしまう。
頂上に登山客が少なかったことや、途中から霧に包まれたことなどから、砂走りが始まってからここまでの間では他の人は見かけなかったのだが、このスピードダウンによって、五号五勺から五合目までの間で何組もの登山客に抜かされていく。だが人は人、自分は自分。バスの時刻までにも余裕があるからそのままゆっくり下り続ける。


大石茶屋まであとわずかというところで、道端に、花をつけたアザミのあることに気付いた。

フジアザミ

あれ?フジアザミの開花時期って秋じゃなかったっけ?もう咲き始めてるのか?




そんなこんなで何とか無事五合目まで到着。バスで御殿場駅まで戻った後、新橋浅間神社に下山のあいさつをしに行って今回の全行程を終了。



今回は麓から登るというのはいったん休みにしたが、それ以上の無茶もやった。決して他人に勧められるようなことではないが、面白い経験になったとは思う。今回の経験が今後の計画にどのような影響を与えるのか、乞うご期待。



今回の行程図

20120808GPSログ
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2012年二回目富士登山記(2) warning

            ===  warning  ===

 今回の記事には、真似すると大変危険な部分があります。絶対真似しないようお願いします。




さて、御中道とコノスジ中途道を通って須走-スバルライン間を行き来したわけであるが、今回の最大のイベントは須走-御殿場間の踏破である。六合目と七合目の間に入口があるらしい。また御中道一周した人のGPSログを見ると2750~2800メートル付近から御殿場口に向かっている。
ということで、瀬戸館を出発後、その高度まで登っていく。
そのあたりの高度には小屋跡がある。

須走本六合小屋跡

高度があっているうえ、かつて御中道の通っていたあたりに山小屋を作ったのではないかという推測も成り立つだろう。そんなわけで小屋跡周辺でそれらしきものが見当たらないか探してみる。
いや、探すまでもなくガイドロープの向こうに、黄色いペンキでマーキングされた石がみえている。一つだけでなくちょっと先まで続いているように見える。やはりここなのか?

ということで登山者が途切れる瞬間を見計らってガイドロープを超えて踏み出した。

・・・登山道から見える数メートルの範囲ではマーキングがあるのに、畝で登山道から見えなかった沢の部分まで来たらマーキングがなくなった…。踏み跡と呼べるような明瞭な跡も当然ない。今なら数メートル戻るだけで済む。にもかかわらずまるで何かに導かれるように先へ先へと足が進んでしまったのだ。
♪若さ若さってなんだ 振り向かないことさ! <この歌を知っている時点で、そんなに若くないかも(笑)
まぁ下山道は見えているのだから最悪でもそこまではいける。とはいえ正規の登山ルートではないのだから、道が分からなくなったのに進み続けるなんてことは絶対真似しちゃいけない。

踏み跡もマーキングもないとはいえ、入り口と思しき場所がある以上、かつてだれかがここを通ったのであろう。そのかつて通った人も、わざわざ歩きにくいところを選んで進んだりはしないだろう。歩きやすいところを選んで進んだとしたら…。そんな具合に踏み跡を目視できない分、心の目で見て進む。


とりあえず下山道には無事到着。ここまでの行程でマーキングも踏み跡も見失ったまま進んできたわけだから、この先のコースを見つけられないことは覚悟していた。その場合一度下って正しいルートを探しながらまた登りなおすことになるのか…。
しかしなんということか!下山道にたどり着いてそのまま下山道を横切ったところに黄色ペンキのマーキングされた石が落ちていた。石だけならばもっと上から流されてきたとも考えられるのであるが、黄色ペンキの塗られた悔いも打ちつけられている。その先にマーキングは見当たらないものの、砂の斜面に、人の歩幅程度の間隔でくぼみが続いているのは確認できる。これって図らずも正しいルートを歩いてたってこと?
そこでまた下山者が途切れる瞬間をねらって踏み出す。

・・・やっぱり数メートル進んだところで砂のくぼみも消えてしまう。でもやっぱり引き返さない <引き返せよ!!
心の目で見て進み続ける。でも最悪でも、まだブル道というエスケープルートは残っている。

そのやめる最後のチャンスであるブル道も通り過ぎてさらに進む。このころになると辺りは霧に包まれるようになる。道のない山中で霧に包まれるって、はたから見れば完全に遭難者だろうなぁ。
まぁ随時GPSで位置だけは確認しながら歩いているので、あまり心配はしていない。もっとも、何か事故に巻き込まれて動きが取れなくなったとして、現在位置が分かったところで携帯電話を所持してない私には救援要請などできないんだけどね!
アマチュア無線の免許も従事者免許は期限がないからよいとして、局免許のほうはもう長いこと更新してないから取りなおさないと使えない、というか無線機も新たに購入しなけりゃならないか…。
まぁ、なんにしてもこういう無茶なことをしようというのならば何らかの通信手段は持って行ったほうがよいかもしれない。道なき道を突き進むことも真似しちゃいけないが、通信手段を全く持たずに行くのも真似しないほうがよいと思う。


ブル道を通り過ぎて少し行ったところで、黄色ペンキのマーキングの石が落ちている。

須走-御殿場マーキング1

もとからここにあったものなのか上方から流れてきたものなのかは判別できない。ただここを通っている人は間違いなくいると思う。このペイント石に至るまでの間でも、通り過ぎた後の区間でも、所々で砂地に人の歩幅程度の間隔でくぼみが続いている場所があったし、その中には靴底のブロックパターン跡と思しき模様の残っているくぼみもあった。つまり、件のくぼみは間違いなく足跡であり、しかもその人が通ってからそれほど時間がたっていないことがわかる。その断続的に残っている足跡を結ぶ線上にこのペイント石があるのだ。昔の正規のルートはどうかはわからんが、現在はこのペイント石が一つの目印になっているのかもしれない。
しかし、足跡がずっと続いてるわけでもない場所を、行程の大部分を心の目を頼りに進んでいた割には何度も足跡に遭遇したわけだから、以前にここを通った人と私は似たような心の目(感覚)の持ち主だったのだろう。


いくつもの沢を超え進む。幻の滝の上流にあたる不浄流しも何とか超え、さらに進む。目の前にあるのは成就が沢。かなり大きな沢であるが霧はますます濃くなっているように感じる。いくら心の目で見て進み続けるとはいえ、対岸の様子も分からないまま進むというのはいささか無謀。さてどうするか。
しばし立ち止まって考えているうちに短時間だが霧が薄くなって対岸が見渡せる。その短時間であたりを見渡すと、下流のほうの岩に大きく白ペンキでマーキングしてあるのが見えた。

須走-御殿場マーキング2

さらによく見るとその岩周辺には踏み跡らしきものは見当たらないが、さらに下流にかなりはっきりした踏み跡も見える。
40メートルばかり下ってその踏み跡まで行くと、踏み跡のみならず数メートル間隔でペイントもしてある。どうやら、本来の御中道はともかく、現在の須走-御殿場間の連絡ルートは、だいぶ下のほうを通っていたらしい。
このルート、須走り側ではどこにつながっているんだろう?
すべての区間でこれほどはっきりした道なのかは分からないが、ここまではっきりしているのなら(少なくとも須走-スバルライン間の御中道のスバルライン側区間よりはるかにはっきりした道筋)登山地図に記載してくれていればよいのに。私だってここまでしっかりした道があると分かっていればわざわざ今回のような無茶はしなかった。
安全が確認できていないから登山地図に記載していないという理屈は分からないわけではないが、登山地図に記載されてなくても須走-御殿場間を通ろうとする者は(私も含めて)後を絶たないだろう。そういった者たちが好き勝手なところを歩くのと、一つのルートに収束するのとどっちが危険であろうか。仮に事故が起きた時、ルート上を捜索するのとどこにいるかもわからない遭難者を広範囲にわたって捜索するのとどっちがよいだろうか。
このルートを登山地図に載せたほうがメリットが多いような気がするんだけれどもなぁ。


とにかくはっきりした道にたどり着いたのだからそこを歩く。霧は相変わらず濃いもののここまではっきりした踏み跡+マーキングがあれば迷うこともあるまい。心の目を頼りに歩いていた時よりはるかに楽になる。しばらく進むと石を積み上げた構造物が見える。

中継施設

何かの中継施設の跡らしい。ここまで来れば御殿場口登山道までもう少しである。さらに進むと「→スバシリ」と書かれた岩もあった。

須走-御殿場マーキング3




そうこうしているうちにブル道・登山道に到着。高度的には宝永山からの連絡ルート(プリンスルート)の合流点よりも100メートルばかり下。
時間的には予定より30分ほど遅れている。まぁ、よく30分遅れ程度でここまでこられたものである。でも明るいうちに山小屋に到着できるであろうか?

                          (つづく)

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2012年二回目富士登山記(1) 登ったり回り道したり下ったりまた登ったり

7月14・15日で富士山に行ってきたものの、強風のため登頂を断念。そのままというのも悔しいので、改めて8・9日で登ってきた。とはいっても前回と全く同じコースというのでは面白くない。前回実施できなかった部分を中心に回ってきた。



今回も登り始めは須走口。まずは路線バスで須走浅間神社へ。参拝後、道の駅すばしりの奥にある仮設駐車場から出るシャトルバスで五合目へ。
9時40分より登山を開始。
登山道では前回よりも花が咲いているように感じる。

オンタデ・ホタルブクロ シロバナヘビイチゴ?

オンタデの間からホタルブクロの花がのぞいているし、この白い花はシロバナヘビイチゴであろうか?
花を愛でながら登る。



今回は長田山荘を通り過ぎ、瀬戸館まで登る。11時40分に到着。しばしの休憩。
おそらく瀬戸館わきを奥に進んだところが御中道なのであろうが、標識があるわけでもないしロープも張ってある。とりあえず店のおっちゃんに声をかけていくことにする。
「胎内神社『のほう』へ行ってみたいんですけど」
胎内神社からさらに御中道を進むつもりではあるものの、嘘は言ってないよ。胎内神社『に』行きたいとは言ってない。

「胎内神社は崩落しちゃってるんですよ。場所は教えますけど、絶対中には入らないでくださいね。ロープはまたいでっていいですよ」
との返事を受けて11時45分に出発。すぐに胎内神社に着く。

胎内神社鳥居 胎内神社

鳥居は倒れたまま朽ちている。ここに限らず鳥居や祠が朽ちたまま放置されているのは見るに忍びない。寄付を集めて再建するとかできないのだろうか。
で、胎内神社であるが、これは洞穴自体が神社であって社殿はない。崩落している云々を抜きにしてもこの小さな穴に私のような体形の者が入れる?


胎内神社を後にして御中道を進む。さすがにコノスジ中途道と比べて通る人が少ないせいか草が道に覆いかぶさっていたりするところもあるものの、比較的道ははっきりしているように感じる。当然所々にはペイントもある。

須走-吉田御中道マーキング1 


しばらくすると樹林帯を抜け、スバルライン口の下山道が正面に見えてくる。

御中道から吉田口下山道を見る

高度的には七合目トイレより少し下というくらいだろうか。下山道との合流点までは下っていく感じらしい。
樹林帯を抜けて間もないころはまだペイントもしっかりしている。

須走-吉田御中道マーキング2

しかし進むにつれその数も減ってくる。かすかな踏み跡と消えかかったペイントを頼りに進む。まぁ、すでに下山道が見えている位置なのだから今更迷うことはないのだが…。

ということで12時15分に下山道に到着。後半部分はあまりはっきりしない道なうえ、砂礫の沢を3回くらい超す。歩きやすい道とは言えない。やはり須走・スバルライン間の連絡路としてはコノスジ中途道を使ったほうが楽かもしれない。

ちなみにこの部分のGPSログだけを拡大してみるとこんな感じ。

御中道・コノスジ中途道のGPSログ

赤線が地図上のコース、青線がGPSログである。登下山道では両方はほぼ重なっているが、御中道やコノスジ中途道では結構ズレがある。前回もしGPSを頼りに地図上のルートをたどろうとしていたら、かえって迷ったかもしれない。まぁ、同じGPSといっても山用とカーナビとでは使い方が違うということを理解してないとだめだということの一例だろう。
さて、不明瞭な道を引き返すのも難儀そうなので六合目まで下り、コノスジ中途道で須走の登山道に復帰することにする。前回スバルライン側から須走側に抜けるのは、コノスジ中途道でも大変なのではないかと心配したのだが、実際通ってみるとそんなに大変でもなかった。

前回まだ咲いていなかったシャクナゲも咲いている。

コノスジ中途道のシャクナゲ



長田山荘まで戻ってきたところでまた瀬戸館まで登り返す。14時45分、瀬戸館到着。
水とキュウリの浅漬けを購入。
休憩していると店のおっちゃんが近付いてきて話しかけてきた。

「さっき胎内神社に行った人だよね?」

ばれてる…(苦笑)
嘘をついても仕方がないので肯定すると

「ずいぶん時間がかかったけどどこか寄ってきたの?」
「吉田口のほうまで抜けてから戻ってきたんですよ」
「うまく抜けられた?一の沢二の沢三の沢ってあって大変だったでしょう」
「結構大変でしたね」
「須走から吉田に行く一番の近道なんだよ。目印をつけて回ってるんだけどわかった?」
「はい、何とかたどれました」
「それで薬草を摘んできたりした?」
「いえいえ、薬草のことはわからないですし」

そんな会話をした。特に怒られているわけではないようだ。
しかしおっちゃんは知らない。私がこの後さらなる無茶をやらかそうとしていることを。

                                    (続く)

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