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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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憲法改正に対する私見

憲法記念日である。改憲論議が盛んになっている昨今でもあることだし、思うところを書いてみよう。

まず私は現在の日本国憲法は変えねばならないと思っている。
つい先ごろ主権回復記念日に政府主催の式典が行われ、それに沖縄が反発を強めたことがあったわけだが、「沖縄を切り捨てての主権回復など本当の主権回復ではない」という主張には一定の同情は感じるものの、そもそも沖縄込みであろうが沖縄抜きであろうが日本の主権は限定的なものであり、それは現在まで続いている。そういう意味において行うべきは主権回復「記念」日ではなく主権回復「祈念」日でなければならなかった。そうした日本の主権の限定性を固定しているのが現在の日本国憲法である。憲法改正が現実味を帯びてきているとはいえいまだ改正されていない現在に主権回復「記念」日の式典を政府主催で行うのは時期尚早であったと思う。

その主権回復のかなめとなる憲法改正なわけであるが、現在盛んに議論されている、96条(改正条項)の先行改正論には違和感がある。いつでも改正できる態勢だけ作って、他の部分についてはもっと時間をかけて議論しようというのは一見、左右双方に公平な意見に見えるが、全くのナンセンスである。次に改正することを見据えての措置なのだろうが、その先を見据えているのだろうか。改正要件の緩和というのは国賊にとって都合のよい改正をも容易にしてしまう諸刃の剣なのである。

憲法と一言で言ってしまうと気付きにくいかもしれないが、憲法にはその国がどういう国なのかを規定する「国体」「国制」に関する部分と、「根本規範」「基本法」としての部分が存在する。
このうちの国体部分は変えてはならない。ここを変えてしまうと全く別の国になってしまう。日本が日本をやめて新しい国を建国するというのならばともかく日本として存続するのであればこの部分の変更不可というのは譲れない。
一方基本法部分は時代に合わせて変更していくのが望ましいだろう。本来憲法改正といったらこの部分の改正を指すものであろう。しかし現在の改正条項は国体部分も基本法部分も変えうるものなのである。このまま改正条件緩和のみを進めると、憲法を使って国家解体というのがまかり通ってしまうのである。
そのような改悪は許すべきではない。まずは国体部分を保護する仕組みの構築から始めなければならない。


実を言うとそういう国体を保護する仕組みが現日本国憲法に内包されていると解することも可能ではある。96条をもう一度見てみよう。


第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

赤で示した後段部分である。改正手続きを経たものは憲法と一体をなす。何を言っているのかわかりにくいかもしれないが、つまりこれは日本人一般が「改正」と聞いて思い浮かべるような古い条文を消去して新しい条文と入れ替えるという形の改正ではないのだ。この条文で想定されているのはアメリカ合衆国憲法のような形、すなわち修正条項は付け加えることができるが、古い条文も新しい条文も両方とも正当な憲法としての地位を維持するというものである。つまり修正条項という仮面はかぶっても中身(国体)は変わらないという体制である。
96条の条文上、日本国憲法は修正条項を付け加えることのみが許され、改正は許されていないというのが実情である。したがって日本国憲法への修正条項の追加である限りは、見た目がどんなに変わっても国体は護持されているという理屈が成り立つのだ。

しかし国の在り方に仮面をかぶせる、いわば偽装を国是とするのは日本国民の受け入れられるものなのであろうか。それが受け入れられないというのであれば、この96条そのものが国体になじまない。国体になじまないものを使って国体を守れるのであろうか。


結局現日本国憲法を改正しようという発想自体が日本の国体を無視したものといえる。だから本来は日本国憲法の無効を宣言し、大日本帝国憲法からの改正という形をとるべきなのだろう。しかし、いわゆる主権回復後数年以内ならともかく、今さら現日本国憲法の無効宣言で済ませてよいものだろうか。生まれた時から現憲法体制下にある者も多数を占めている。そもそも今上陛下も現憲法下で即位なされている。それを無効宣言一つで済ませてしまうのはいささか乱暴であろう。時効という概念を持ち込むのが適切かどうかはわからないが、無効宣言で済む時期は疾うの昔に終わっているように感じる。何か良い方法はないものであろうか。


まぁとにかくどうにかして日本国憲法を無効にして大日本帝国憲法からの改正という形をとれることになったとしよう。その新憲法下ではどういう改正条件がよいか。

私個人としては根本的に変えたい。
もちろん先述の通り国体部分の不可侵を確保した上での話であるが、基本法部分は一定期間ごとに改正することを義務付けたい。改正というのは言いすぎとしても改正に必要がないか見直すところまでは求めたい。
伊勢神宮や出雲大社に見られるように日本には遷宮という制度がある。数十年おきに社殿を新しく建て直す制度である。同様に数十年おきに国家を建て直す制度を作るのは日本の国体にも沿うのではなかろうか。その建て直す国家の礎となるのが憲法である。
もう少し詳しく述べることにしよう。
日本には元号というものがある。かつては中国や朝鮮にも元号はあったが現在元号を使用しているのは日本のみである。従って日本がどのような国であるかを規定する国体部分に、日本の特色である元号に関する規定を盛り込むのは極めて適切なことであろう。その元号をもっと有効に使うことはできないか。
今でこそ元号は天皇一代につき一つと定められているが、かつては天災や大きな政変に際しても改元が行われていた。それならば逆に改元に際して憲法改正し、政治的変化をもたらすという考え方があってもよいのではないか。
何年おきという形ではないものの、時代の流れと憲法の乖離が生じないよう調整するのに元号を使用するのはちょうど良い区切りになるのではなかろうか。
改正することが前提なのだから、その際の手続きを厳しくする理由はない。各議院総議員のそれぞれ過半数の賛成で可決でよいだろう。わざわざ国民投票をする必要もない。国会議員というのは国民の意思を代表しているはずなのだから改めて国民の意思を確認するというのは無駄以外の何物でもない。国民の意思を代表していない国会議員がいるとしたらそんな輩を選出した国民に責任がある。その付けを払うのが国民というのは筋が通っているだろう。まぁ、改正直前に改正案を争点とした総選挙を実施するという風にしておくくらいはしたほうがよいか?


とにかく今の憲法は変えなければならない。しかしただ変えればよいというものではない。日本というものを意識し、日本のあり方を守るものでなければならない。近視眼的楽観論から改正要件を緩和して日本を危機にさらすことは容認できない。日本の日本による日本のための憲法改正を切に願う。
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テーマ : 憲法改正論議
ジャンル : 政治・経済

富士山 世界遺産登録へ一歩前進

世界文化遺産への登録を目指している富士山について、ユネスコの諮問機関が、「登録がふさわしい」とする勧告をまとめた。条件付きとはいえ、「登録がふさわしい」という勧告なのだから、登録はほぼ決まりだろう。富士山の価値が世界的に認められたということは喜ぶべきことであろう。

勧告では三保松原を構成要素から外すことが求められている。この辺りは難しいところである。三保松原から見る富士山というのは浮世絵から銭湯の壁画まで、さまざまなところで用いられる、いわば日本人の心象風景といってもよいもの。文化遺産として登録するのであれば構成要素に含めたいところではある。
一方、勧告で言われているように距離が離れすぎているというのもわからなくはない。距離にかかわりなく構成要件に含めるとすると、例えば、富士山信仰という文化的側面から考えて、日本各地に作られた富士塚をどう評価するかなど、際限なく範囲が広がりかねない。ある一定の距離内のもののみを構成要素とするのは仕方のないことともいえる。
日本人の心象風景たる三保松原殻の風景において人工物が視界に入る点もマイナス要因として挙げられていたが、これには反論の余地もない。



世界遺産に登録されたとして、富士山を世界遺産の名に恥じない姿に保全することも重要なことであるが、地元ではその辺のことをきちんと理解しているのだろうか。世界遺産に登録されて観光客が増えることを喜んでばかりでは困るのである。むしろ信仰の山としての登録である以上、これ以上観光地化・商業地化するのは好ましくない。また、富士山本体だけでなく周辺地域の開発・土地利用にも制限がかかるようにしなければならない。はたしてその負担について計算しているのだろうか。
一方、外国人が富士山周辺の土地を買いあさるのを抑制する効果もあるかもしれない。これはメリットといえよう。
とにかく世界遺産たる富士山をどう生かしていくかということをしっかり検討していってもらいたいものである。

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