毎日ボートマッチ(えらぼーと)で遊んでみた ~2013年参議院選挙
さて、参議院選挙がいよいよ明日に迫っている。
ということで恒例の、毎日新聞ボートマッチ(えらぼーと)で遊んでみた。例によって突込みどころはあっても参考にはならんな。まぁ、だからこそ毎回のように『遊び』でやっているわけだが。
まず政党での一致度
幸福実現党の75%一致が目立つばかりで、2位の維新の会が39.4%、3位の新党大地が36.1%、4位自民党が35.5%といった具合に、ほとんど私の考えと一致する政党がないという結果に。いくらなんでも極端すぎないか?この結果。
おおざっぱにみると幸福は憲法観、外交・歴史観、震災・原発観で一致度が高く、維新は外交・歴史観がやや高めの一致度のほかはまんべんなくといった感じ、自民は憲法観と行政観が一致度が高いといったところか。大地については眼中にない。
気を取り直して候補者で見ると、一致度の高い人はそれなりにいる。
まず神奈川選挙区でいえば、維新政党新風の溝口敏盛氏が80%の一致度。2位の幸福実現等は飛ばして3位みんなの党の松沢成文前神奈川県知事が73%の一致度である。
ちなみによその選挙区で言うと京都の自民党現職西田昌司氏が95%一致で最も一致度が高く二位が東京新風代表鈴木信行氏が92%一致。神奈川選挙区の溝口氏が3位である。新風との一致度は予想どおり高いなぁ。千葉選挙区の新風の人との一致度はそれほどでもない印象だけど。比例選にも候補出していたら間違いなく政党一致度一位になっていただろう。
まぁ一致度が高くても「維新政党」を名乗っているところを保守だとは認めないし、以前と比べればだいぶ改善されたとはいえ、勝つための努力がまだまだ全然足りてないような新風候補者に投票はできないけどね。党名から維新の文字を外したうえでもっと頑張ろうよ。新風。。「『維新政党・新風』は、君民一体の国家理念を議会制によつて顕現することを党是とし、日本を真の日本たらしめる政治に与らんとする政党です。」なんていいこと言ってるんだからさぁ。本当に期待『は』しているんだよ。
さて比例区のほうで見ると、維新の石井義哲氏の93%、自民の大江康弘氏の89%、維新の中山恭子氏の82%がトップ3である。
こうしてみてくると自民や維新は政党別一致度でもっと高得点をとってもよさそうなのだが、こういう高得点の人達がいる一方、著しく一致度の低い人もいるということなのだろう。
ただ一致度の低い人たちの中には、無回答や非該当もかなりあるようである。無回答が多い候補者というのはそもそも政治家に向いていないから無視してよいとして、非該当が多いというのは考えものである。かくいう私も選択肢とは異なる回答をしたかったものもあるし、質問の意味がどうとでも取れるため、暫定的な回答をしたところも多い。つまり一言でいえば「質問が悪い」。質問の文章を文意がはっきりするように直すべきだし、選択肢ももう少し考えた選択肢を設定すべきだろう。
まぁ、新聞記者なんて文意のはっきりしない文章によって事実をあいまいにし、自分たちに都合のよいように世論を誘導する文章を書くのが仕事なのだから、こういうわけのわからない文章になってしまうのも仕方のないことかもしれない。そもそもこのえらぼーと自体がアンケートという形をとった世論誘導が目的なのだろうし。
さて、ではそろそろ内容について目立ったところにコメントを付けて行ってみよう。
問2.憲法9条の改正について
今までこの手の質問では改正に賛成か反対かの二者択一であった。それが、国防軍保持のための改正、自衛隊として行動を縛るための改正、反対の三択になっている。この選択肢はなかなかよいと思う。9条改正に賛成をして保守派の票をとり込んでいたが実は国防の邪魔をしていたという、実は改正反対はよりたちの悪い連中が浮き彫りになったといえよう。個々の候補者すべては確認していないものの、政党としては維新やみんながこの偽装組に該当しているようである。
問3.憲法96条の改正について
やはりこれについてはいわゆる保守系候補は認識が甘すぎ、革新候補は馬鹿すぎるだろう。目先のことしか見えてない。96条改正で要件緩和すれば一時保守系候補の望む形の憲法改正ができたとしても選挙の結果次第であっさり覆されることを意味する。つまり保守系候補は要件緩和など断じて認めてはならないし、革新候補はこれをチャンスとして積極的に緩和を求めるというのが当たり前の反応であろう。ところが実際には全く逆。まぁ、革新政党が護憲を唱えるような変な国日本特有の変な逆転現象なのだろう。
問4.集団的自衛権について
これは不適当な設問の例だろう。問2において国防軍保持を訴える候補者なら、解釈変更での自衛隊派遣ではなく国防軍の正当な任務としての派遣を求めるのが筋だろう。自衛隊という中途半端な立場ゆえに解釈が定まらないのであって、国防軍化すれば変な解釈の入り込む余地はなくなるのではないか。
言ってみれば解釈変更賛成というのは今の自衛隊のままでいることを求めるものであり、国防軍化とは相いれないはずである。なのに国防軍化を求めながら解釈変更も求める候補者の多いこと…。
ただ、国防軍化が成るまでの期間の暫定的措置としてなら解釈変更で対応することも仕方のないこととはいえる。
つまり前提条件の示されていない不完全な質問に対して選択肢も何の補完もしていないことによる混乱があったということであろう。もう少し質問の仕方を修行してほしいものである。
問9.靖国神社の扱い
これは選択肢に不満あり。「参拝しても問題ない」と「参拝すべきではない」の二択ではなく、参拝は義務であるを含めた三択にすべきだろう。消極的賛成と積極的賛成は区別したほうが有権者にとって判断の指標となるだろう。
問10.問11.村山談話、公の談話の見直しについて
これらの談話は、日本が譲歩すれば相手も譲歩してくれるだろうという根拠のない願望に基づき事実を捻じ曲げて作ったわけだが、相手をつけあがらせるだけの結果に終わった代物である。そもそも事実を捻じ曲げて相手に媚びようという発想自体が唾棄すべきものであるのだが、その上相手の譲歩を引き出すという当初の目的すら果たせていないのであれば何のために後生大事に取っておく必要があるのだろうか。
未来志向で言うならばまずは間違いを正しておく必要もあるだろう。
問15.アベノミクスについて
本来アベノミクスとは、安倍首相によるデフレ脱却のための経済政策のことを指している。デフレ脱却すれば雇用も増え所得も上昇傾向に転じるのは当然である。だからアベノミクスによって雇用・所得が増加すると思うと答えたい。
しかしながら、本来のアベノミクスには含まれていない部分の経済関係政策まで含めるとなると話は別である。
たとえば、問13とも関係するが消費税増税のタイミングが早ければ国民の消費意欲に冷や水を浴びせることになる。消費が伸び悩めばそれはすなわちデフレ状態が長引くことになる。
また問16と関係することだがTPPというのは日本のデフレを促進する施策になりかねない。
つまりアベノミクス自体は正しいのだが、総合的にみるとデフレ脱却という目的とは逆行する政策も数多く存在しているため、どうなるか見定めるのが非常に難しいのだ。
だからこの質問については私も答えを選ぶのに相当悩んだ。候補者もこの「アベノミクス」という言葉を狭義で解釈している人と広義で解釈している人、解釈そっちのけでとにかくケチをつけたい人にわかれたといったところか。
こういう定義の仕方によって回答が変わりうる質問の仕方というのはやめてほしいものである。
問17.年金について
これも選択肢が悪いなぁ。「国民の負担が増しても」というのがわからない。保険料を値上げしてもという意味であるならば、給付水準を下げるのもやむなしと思う。しかし質問に付属している背景解説をみると、『税の投入など国民の負担をさらに上げなければならない』というようなことが書かれている。税の投入を国民負担の上昇と表現するのはいささか違和感を覚えるが、税投入を指してのことであるならば給付水準を下げないようにするのは当然の責務だと思う。
それはともかくこの質問は年金制度を維持することが前提となっているのだろうが、私は前回までのえらぼーとにおいて、年金は全額税負担方式への転換を求めていた。言ってみれば年金制度を解体して再構築する必要のあることだ。それを何の前提説明もなく年金制度維持を前提とした選択肢のみを並べるのは公平なものとはいえないと思う。
問20.体罰について
教師も指導のつもりでやっており、第三者から見ても指導の一環にしか見えないものであっても、生徒が「体罰を受けた」と感じればそれは体罰ということになってしまう。そういう状況下で逆に教師を脅迫する、たちの悪い餓鬼も増えてきている。このような体罰と市道の厳密な定義わけすらできない状況で、どんな場合でも体罰を認めないというのでは教育が成り立たない。
そもそもが子供を人間と考えるのは間違いである。
子供は人間への発達可能態に過ぎず、教育によって人間に「なっていく」のである。人間でないものに何かを教えようとする場合、飴だけを与えて効果があるだろうか。必要なのは飴と鞭のバランスであろう。理不尽な体罰が認められないのは当然であるが、体罰寄りの指導は当然認められるべきである。
問21.被災者支援について
これも意味のつかみにくい質問である。補償を増やすというのは、一世帯当たりの支援額を増やすということなのか対象世帯を増やすということなのか。どっちとも取れる文章というのは判断に困るのである。候補者もこの解釈には迷ったことだろう。こういうどうとでも取れる文章を使ったアンケートで一致してる、してないと言っても全く意味がないだろう。問題作成者にしてもチェックをしているであろう部署にしても、こういう不完全な文章が気にならないのであろうか。だとしたら言論人失格の言語感覚しかないことになるのだが…。
問23.原発輸出について
考えてほしい。日本が輸出をやめたとしても原発を必要とする国がなくなるわけではない。そんな国が粗悪な原発を導入したらどうなる?
たとえば韓国原発では性能確認試験の結果を偽造した部品が使用されていたことが明らかになった。もちろん日本でもデータ偽装はあったが、性能水増しと、不良品を良品と偽るのでは全く質が違うだろう。そんな品質管理の行き届いてない韓国原発を導入した国があって、それが事故を起こしたらどうなるだろう。
日本の原発は千年に一度という規模の大地震と大津波に襲われ、人為ミスや変な横槍まで重なったにもかかわらずあの程度の被害で済んでいる。自民の高市政調会長が「原発事故で死んだ人はいない」と発言したことでたたかれているが、間違ったことは言っていない。避難する必要がないのに無理やり避難させられたことによる震災関連死があるだけである。これは原発による死ではなく原発危険デマによる死である。
とにかく日本の原発は大災害においても被害を最小限に抑えることに成功し、死者を出していない。それに対し粗悪原発が事故を起こせば間違いなく死者が出る。
安全な日本製原発を輸出するのは人道にかなったことである。
また国内の原発が不当に止められ続けている今、原発輸出により技術の蓄積・技術者の育成をしていかなければ、それこそ日本に将来はない。
よって原発は大いに輸出すべし。
問24.ネット選挙
有権者によるメールでの投票呼び掛けは本当にやめてくれ。迷惑メール以外の何物でもないから。候補者からのメール奈良突込みどころを探してネタにするくらいの余裕はあると思うけれど、有権者が勝手連的に無制限にメールを送りつけるようになったら量的にシャレにならないだろう。
というか、選挙のネット利用自体が無用ではなかろうか。選挙に限らずネット幻想が実態以上に肥大化しているように感じる。
そもそもの発想が間違っていると思う。たとえで言うと、昔、学習漫画というのがあった。子供は漫画が好きだから学習内容を漫画にすれば子供も喜ぶだろうって発想。でもこれが全くの誤解。子供は面白いから漫画を読んでいるのであって漫画だったら何でもよいというものではないのだ。漫画にしてもつまらないものはつまらないし、つまらなければ漫画であっても読みはしないのだ。
ネットについても全く同じ。ネットに面白い情報があるからハマルのであってネットにあるというだけで関心を向けるわけではない。選挙に関心のない人たちはネットで広報したところでそもそもそんな広報を見に行くことなどしない。個々の候補者についても、関心のない人のページをわざわざ見に行く人なんてあまりいない。
実際、例えば滋賀県知事の嘉田由紀子氏は選挙前から自身のサイトを持ち政策など情報発信をしていたというが、そのサイトのアクセス数が増え始めたのは知事就任後だったという。
また近いところでいえば先日の東京都議会議員選挙においても、無名のくせにネット利用に熱心だった候補者は落選しているケースが多かったようである。
結局選挙でのネット利用がプラスに働くのはネット以外の場ですでに注目されている人なのだ。
こういうことを考え合わせると、ネット利用で選挙に関心を持つ人が増えるということは効果が薄いし、無名でも支持者を集めやすいなんてことも起こり得ない。
普通にネットで情報発信したところで注目されることはまずないから、注目を集めるためにわざと炎上させる候補者も出てくるだろう。まぁ注目は集めてもそんな浅はかな輩が当選するかはわからないが。
また先ほども書いたがメールでの選挙運動は受け取る側にとっては迷惑メールに感じる人もいるわけだ。選挙期間中街宣車で名前を連呼しながら走り回る行為について、それを騒音と感じる人が少なからずいるのと同様である。これも数が少なければ我慢する人も多いだろうが、量が増えれば、堪忍袋の緒が切れて選挙嫌いになる人だって出かねない。
そんな危険を冒してまでネットを選挙に積極的に利用する理由があるだろうか。選挙にネットを利用するのは構わない。しかし規制緩和して選挙嫌いを増やす可能性を高めるようなことはすべきではない。
とりあえずはこんなところかな。
質問内容についてはともかく、前回までのシンプルな画面のほうが私には好感が持てた。というか今回のほうがわかりやすいって人はどのくらいいるのだろうか。
画面のエフェクトに凝るよりも質問内容をしっかりさせてくれよって気がしないでもない。
次回はどんなものになるのだろうか。
ということで恒例の、毎日新聞ボートマッチ(えらぼーと)で遊んでみた。例によって突込みどころはあっても参考にはならんな。まぁ、だからこそ毎回のように『遊び』でやっているわけだが。
まず政党での一致度
幸福実現党の75%一致が目立つばかりで、2位の維新の会が39.4%、3位の新党大地が36.1%、4位自民党が35.5%といった具合に、ほとんど私の考えと一致する政党がないという結果に。いくらなんでも極端すぎないか?この結果。
おおざっぱにみると幸福は憲法観、外交・歴史観、震災・原発観で一致度が高く、維新は外交・歴史観がやや高めの一致度のほかはまんべんなくといった感じ、自民は憲法観と行政観が一致度が高いといったところか。大地については眼中にない。
気を取り直して候補者で見ると、一致度の高い人はそれなりにいる。
まず神奈川選挙区でいえば、維新政党新風の溝口敏盛氏が80%の一致度。2位の幸福実現等は飛ばして3位みんなの党の松沢成文前神奈川県知事が73%の一致度である。
ちなみによその選挙区で言うと京都の自民党現職西田昌司氏が95%一致で最も一致度が高く二位が東京新風代表鈴木信行氏が92%一致。神奈川選挙区の溝口氏が3位である。新風との一致度は予想どおり高いなぁ。千葉選挙区の新風の人との一致度はそれほどでもない印象だけど。比例選にも候補出していたら間違いなく政党一致度一位になっていただろう。
まぁ一致度が高くても「維新政党」を名乗っているところを保守だとは認めないし、以前と比べればだいぶ改善されたとはいえ、勝つための努力がまだまだ全然足りてないような新風候補者に投票はできないけどね。党名から維新の文字を外したうえでもっと頑張ろうよ。新風。。「『維新政党・新風』は、君民一体の国家理念を議会制によつて顕現することを党是とし、日本を真の日本たらしめる政治に与らんとする政党です。」なんていいこと言ってるんだからさぁ。本当に期待『は』しているんだよ。
さて比例区のほうで見ると、維新の石井義哲氏の93%、自民の大江康弘氏の89%、維新の中山恭子氏の82%がトップ3である。
こうしてみてくると自民や維新は政党別一致度でもっと高得点をとってもよさそうなのだが、こういう高得点の人達がいる一方、著しく一致度の低い人もいるということなのだろう。
ただ一致度の低い人たちの中には、無回答や非該当もかなりあるようである。無回答が多い候補者というのはそもそも政治家に向いていないから無視してよいとして、非該当が多いというのは考えものである。かくいう私も選択肢とは異なる回答をしたかったものもあるし、質問の意味がどうとでも取れるため、暫定的な回答をしたところも多い。つまり一言でいえば「質問が悪い」。質問の文章を文意がはっきりするように直すべきだし、選択肢ももう少し考えた選択肢を設定すべきだろう。
まぁ、新聞記者なんて文意のはっきりしない文章によって事実をあいまいにし、自分たちに都合のよいように世論を誘導する文章を書くのが仕事なのだから、こういうわけのわからない文章になってしまうのも仕方のないことかもしれない。そもそもこのえらぼーと自体がアンケートという形をとった世論誘導が目的なのだろうし。
さて、ではそろそろ内容について目立ったところにコメントを付けて行ってみよう。
問2.憲法9条の改正について
今までこの手の質問では改正に賛成か反対かの二者択一であった。それが、国防軍保持のための改正、自衛隊として行動を縛るための改正、反対の三択になっている。この選択肢はなかなかよいと思う。9条改正に賛成をして保守派の票をとり込んでいたが実は国防の邪魔をしていたという、実は改正反対はよりたちの悪い連中が浮き彫りになったといえよう。個々の候補者すべては確認していないものの、政党としては維新やみんながこの偽装組に該当しているようである。
問3.憲法96条の改正について
やはりこれについてはいわゆる保守系候補は認識が甘すぎ、革新候補は馬鹿すぎるだろう。目先のことしか見えてない。96条改正で要件緩和すれば一時保守系候補の望む形の憲法改正ができたとしても選挙の結果次第であっさり覆されることを意味する。つまり保守系候補は要件緩和など断じて認めてはならないし、革新候補はこれをチャンスとして積極的に緩和を求めるというのが当たり前の反応であろう。ところが実際には全く逆。まぁ、革新政党が護憲を唱えるような変な国日本特有の変な逆転現象なのだろう。
問4.集団的自衛権について
これは不適当な設問の例だろう。問2において国防軍保持を訴える候補者なら、解釈変更での自衛隊派遣ではなく国防軍の正当な任務としての派遣を求めるのが筋だろう。自衛隊という中途半端な立場ゆえに解釈が定まらないのであって、国防軍化すれば変な解釈の入り込む余地はなくなるのではないか。
言ってみれば解釈変更賛成というのは今の自衛隊のままでいることを求めるものであり、国防軍化とは相いれないはずである。なのに国防軍化を求めながら解釈変更も求める候補者の多いこと…。
ただ、国防軍化が成るまでの期間の暫定的措置としてなら解釈変更で対応することも仕方のないこととはいえる。
つまり前提条件の示されていない不完全な質問に対して選択肢も何の補完もしていないことによる混乱があったということであろう。もう少し質問の仕方を修行してほしいものである。
問9.靖国神社の扱い
これは選択肢に不満あり。「参拝しても問題ない」と「参拝すべきではない」の二択ではなく、参拝は義務であるを含めた三択にすべきだろう。消極的賛成と積極的賛成は区別したほうが有権者にとって判断の指標となるだろう。
問10.問11.村山談話、公の談話の見直しについて
これらの談話は、日本が譲歩すれば相手も譲歩してくれるだろうという根拠のない願望に基づき事実を捻じ曲げて作ったわけだが、相手をつけあがらせるだけの結果に終わった代物である。そもそも事実を捻じ曲げて相手に媚びようという発想自体が唾棄すべきものであるのだが、その上相手の譲歩を引き出すという当初の目的すら果たせていないのであれば何のために後生大事に取っておく必要があるのだろうか。
未来志向で言うならばまずは間違いを正しておく必要もあるだろう。
問15.アベノミクスについて
本来アベノミクスとは、安倍首相によるデフレ脱却のための経済政策のことを指している。デフレ脱却すれば雇用も増え所得も上昇傾向に転じるのは当然である。だからアベノミクスによって雇用・所得が増加すると思うと答えたい。
しかしながら、本来のアベノミクスには含まれていない部分の経済関係政策まで含めるとなると話は別である。
たとえば、問13とも関係するが消費税増税のタイミングが早ければ国民の消費意欲に冷や水を浴びせることになる。消費が伸び悩めばそれはすなわちデフレ状態が長引くことになる。
また問16と関係することだがTPPというのは日本のデフレを促進する施策になりかねない。
つまりアベノミクス自体は正しいのだが、総合的にみるとデフレ脱却という目的とは逆行する政策も数多く存在しているため、どうなるか見定めるのが非常に難しいのだ。
だからこの質問については私も答えを選ぶのに相当悩んだ。候補者もこの「アベノミクス」という言葉を狭義で解釈している人と広義で解釈している人、解釈そっちのけでとにかくケチをつけたい人にわかれたといったところか。
こういう定義の仕方によって回答が変わりうる質問の仕方というのはやめてほしいものである。
問17.年金について
これも選択肢が悪いなぁ。「国民の負担が増しても」というのがわからない。保険料を値上げしてもという意味であるならば、給付水準を下げるのもやむなしと思う。しかし質問に付属している背景解説をみると、『税の投入など国民の負担をさらに上げなければならない』というようなことが書かれている。税の投入を国民負担の上昇と表現するのはいささか違和感を覚えるが、税投入を指してのことであるならば給付水準を下げないようにするのは当然の責務だと思う。
それはともかくこの質問は年金制度を維持することが前提となっているのだろうが、私は前回までのえらぼーとにおいて、年金は全額税負担方式への転換を求めていた。言ってみれば年金制度を解体して再構築する必要のあることだ。それを何の前提説明もなく年金制度維持を前提とした選択肢のみを並べるのは公平なものとはいえないと思う。
問20.体罰について
教師も指導のつもりでやっており、第三者から見ても指導の一環にしか見えないものであっても、生徒が「体罰を受けた」と感じればそれは体罰ということになってしまう。そういう状況下で逆に教師を脅迫する、たちの悪い餓鬼も増えてきている。このような体罰と市道の厳密な定義わけすらできない状況で、どんな場合でも体罰を認めないというのでは教育が成り立たない。
そもそもが子供を人間と考えるのは間違いである。
子供は人間への発達可能態に過ぎず、教育によって人間に「なっていく」のである。人間でないものに何かを教えようとする場合、飴だけを与えて効果があるだろうか。必要なのは飴と鞭のバランスであろう。理不尽な体罰が認められないのは当然であるが、体罰寄りの指導は当然認められるべきである。
問21.被災者支援について
これも意味のつかみにくい質問である。補償を増やすというのは、一世帯当たりの支援額を増やすということなのか対象世帯を増やすということなのか。どっちとも取れる文章というのは判断に困るのである。候補者もこの解釈には迷ったことだろう。こういうどうとでも取れる文章を使ったアンケートで一致してる、してないと言っても全く意味がないだろう。問題作成者にしてもチェックをしているであろう部署にしても、こういう不完全な文章が気にならないのであろうか。だとしたら言論人失格の言語感覚しかないことになるのだが…。
問23.原発輸出について
考えてほしい。日本が輸出をやめたとしても原発を必要とする国がなくなるわけではない。そんな国が粗悪な原発を導入したらどうなる?
たとえば韓国原発では性能確認試験の結果を偽造した部品が使用されていたことが明らかになった。もちろん日本でもデータ偽装はあったが、性能水増しと、不良品を良品と偽るのでは全く質が違うだろう。そんな品質管理の行き届いてない韓国原発を導入した国があって、それが事故を起こしたらどうなるだろう。
日本の原発は千年に一度という規模の大地震と大津波に襲われ、人為ミスや変な横槍まで重なったにもかかわらずあの程度の被害で済んでいる。自民の高市政調会長が「原発事故で死んだ人はいない」と発言したことでたたかれているが、間違ったことは言っていない。避難する必要がないのに無理やり避難させられたことによる震災関連死があるだけである。これは原発による死ではなく原発危険デマによる死である。
とにかく日本の原発は大災害においても被害を最小限に抑えることに成功し、死者を出していない。それに対し粗悪原発が事故を起こせば間違いなく死者が出る。
安全な日本製原発を輸出するのは人道にかなったことである。
また国内の原発が不当に止められ続けている今、原発輸出により技術の蓄積・技術者の育成をしていかなければ、それこそ日本に将来はない。
よって原発は大いに輸出すべし。
問24.ネット選挙
有権者によるメールでの投票呼び掛けは本当にやめてくれ。迷惑メール以外の何物でもないから。候補者からのメール奈良突込みどころを探してネタにするくらいの余裕はあると思うけれど、有権者が勝手連的に無制限にメールを送りつけるようになったら量的にシャレにならないだろう。
というか、選挙のネット利用自体が無用ではなかろうか。選挙に限らずネット幻想が実態以上に肥大化しているように感じる。
そもそもの発想が間違っていると思う。たとえで言うと、昔、学習漫画というのがあった。子供は漫画が好きだから学習内容を漫画にすれば子供も喜ぶだろうって発想。でもこれが全くの誤解。子供は面白いから漫画を読んでいるのであって漫画だったら何でもよいというものではないのだ。漫画にしてもつまらないものはつまらないし、つまらなければ漫画であっても読みはしないのだ。
ネットについても全く同じ。ネットに面白い情報があるからハマルのであってネットにあるというだけで関心を向けるわけではない。選挙に関心のない人たちはネットで広報したところでそもそもそんな広報を見に行くことなどしない。個々の候補者についても、関心のない人のページをわざわざ見に行く人なんてあまりいない。
実際、例えば滋賀県知事の嘉田由紀子氏は選挙前から自身のサイトを持ち政策など情報発信をしていたというが、そのサイトのアクセス数が増え始めたのは知事就任後だったという。
また近いところでいえば先日の東京都議会議員選挙においても、無名のくせにネット利用に熱心だった候補者は落選しているケースが多かったようである。
結局選挙でのネット利用がプラスに働くのはネット以外の場ですでに注目されている人なのだ。
こういうことを考え合わせると、ネット利用で選挙に関心を持つ人が増えるということは効果が薄いし、無名でも支持者を集めやすいなんてことも起こり得ない。
普通にネットで情報発信したところで注目されることはまずないから、注目を集めるためにわざと炎上させる候補者も出てくるだろう。まぁ注目は集めてもそんな浅はかな輩が当選するかはわからないが。
また先ほども書いたがメールでの選挙運動は受け取る側にとっては迷惑メールに感じる人もいるわけだ。選挙期間中街宣車で名前を連呼しながら走り回る行為について、それを騒音と感じる人が少なからずいるのと同様である。これも数が少なければ我慢する人も多いだろうが、量が増えれば、堪忍袋の緒が切れて選挙嫌いになる人だって出かねない。
そんな危険を冒してまでネットを選挙に積極的に利用する理由があるだろうか。選挙にネットを利用するのは構わない。しかし規制緩和して選挙嫌いを増やす可能性を高めるようなことはすべきではない。
とりあえずはこんなところかな。
質問内容についてはともかく、前回までのシンプルな画面のほうが私には好感が持てた。というか今回のほうがわかりやすいって人はどのくらいいるのだろうか。
画面のエフェクトに凝るよりも質問内容をしっかりさせてくれよって気がしないでもない。
次回はどんなものになるのだろうか。
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七夕など
今年の湘南ひらつか七夕祭りも無事終幕した。
例によって今年も浴衣ウォッチングをしたし、また強烈な人も見かけた。どう見ても50歳を超えているように見えるオバチャンがミニ浴衣着てた!年齢考えろよ!!
でも正面から写真を撮る勇気などないし、仮に撮影できたとしても顔出ししなければ意味のない写真というのはこのブログ内で使用するつもりはない。
ということで今年は浴衣ウォッチングの写真はなし。
次に七夕飾りであるが、例年以上に宣伝色が強くなったように感じたのは気のせいだろうか。
もちろん例年の飾りにもその飾りを掲出している店の名前が表示されているものは多数あった。もともと店の宣伝のために飾りを出しているのだから当然である。しかしそれでも飾りそのものがメインで店名はサブという位置づけの飾りが多かったように感じていた。
ところが今年は飾りそのものより店名を前面に押し出しているものがとくに目に付いたように感じる。
中には、凝った仕掛けどころ絵すらなく店名を大書きしているだけなんてものもあった。七夕飾りの質もだいぶ落ちたものである。平塚の七夕に訪れる観光客の目当ては七夕飾りであろうに、この体たらくでいいのだろうか。
まぁ七夕の日数はどんどん短くなるし、昔と違って七夕をやってもそれほど平塚の経済に好影響はもたらさない、というか下手すると七夕飾りによって得られる集客効果では七夕飾りの製作費用分すら回収できないし、そんな割に合わないことをやる気にならないのもよくわかる。七夕飾りコンクールで特選を何年もずっと取り続けていた店々も相次いで掲出を取りやめているくらいだし。そろそろ七夕祭り自体をやめる潮時かもしれない。
さらに言えば様々な理由をつけて縮小してきた露店エリア。これも悪い方向に向かっているように感じる。災害が起きた場合などの避難経路確保のため露店エリアから外された場所もあるが、露店エリアが縮小された分、混雑度が増した部分もある。以前なら露店の出ている車道側は混雑していても裏手になる歩道部分は比較的すいていて、混雑を避けて通り抜けることができた。七夕会場付近に住んでいる人にとって、七夕のためではなく生活のために通る人などはこの歩道が比較的すいているのを重宝していたと思うのだが、今年は歩道部分で座り込んで飲み食いする人、混雑を避けようとした見物客で歩道のほうも通り抜けが困難になっていた。近隣住民の生活に不都合が起きるのを放置するのはどうかと思うし、そもそもこんな混雑では、いざ災害が起きた時まともの避難などできないだろう。避難路を確保するための方策が別の場所の避難路をつぶす形になったのでは何のための改革かわからない。
さて、今年の七夕で、私にも多少かかわりのあるニュース。
私は「ひらつか災害ボランティアネットワーク」という団体に所属しているのだが、この団体も七夕飾りを掲出している。で、七夕飾りコンクールの『市民飾りの部』で一等をとった。まぁ、市民飾りの部の一等なんて、七夕飾りコンクールのメインである特選どころか入選よりも格の低い、大したことのない賞だと思うのだけれど、それでも一等は一等。一応喜んでおくか。
ちなみにこんな飾りだった。

要するに耐震補強も家具固定もしていないと家は傾ぎ、タンスは倒れて飛び出し、人は放り出される。耐震補強と家具固定をしとけば安心。そういうことを表した、防災意識を高めるための啓蒙飾りってことらしい。
でも何の予備知識もなくこれを見たら、リフォーム業者の宣伝飾りに見えないか?いや、別にいいけど。
ちなみに私はこの飾りを竹につるしたりおろしたりするときは手伝ったけど、デザイン・制作の段階では時間の都合がつかなくて一切かかわっていない。まぁデザインは数年前(私がこの会に入会するより前)からほとんど変わってないけど。
話が前後するが、ひらつか災害ボランティアネットワークという団体は、災害時には市の社会福祉協議会がボランティアセンターを立ち上げることになっているが、社協職員だけでは人手が足りないので、市民有志がそのボランティアセンター立ち上げの手伝いに馳せ参じようという目的で、学習・訓練している団体である。もちろん実際に被災地にボランティアに行く人もいる。
目的は立派なんだけど、広報体制が整ってないのがねぇ…。ホームページすらないんだ、これが。普段どんな活動をしているかとか、今回のように賞をもらったとかいうことをどんどん情報発信して、関心を持つ人を増やしていかなきゃだめだと思うんだけどなぁ。まぁ今回せっかく賞をもらったのに表彰式を見に行った会員はほとんどいなかったから賞状だか記念品だかを授与されている写真や映像がなく、ホームページ等で情報発信するための素材が足りないけど。(ちなみに私は行こうとはしたんだ。でも表彰式をやっている場所が例年と違う場所だったこと、正しい場所に行こうとしても道が混雑しすぎてなかなか進めなかったことにより、到着したのはちょうど市民飾りの部の表彰が終わったところだったんだ。でも表彰式の様子の撮影を頼まれていたわけではないし、というか広報担当役員ってのは別にキチンといるし、私は悪くないよね?)
会員数は27名ということになっているらしいけど定例会に出席しているのは半分以下、それに実際に災害が起こったら本人や家族が怪我したり死亡したりでボラセンの手伝いどころではないなんて人も出てくることが考えられる。いざという時に必要な人数を確保するためには、できるだけ多くの人に関心を持ってもらい入会してもらって予備人員を多数用意しておくしかないではないか。
だから情報発信力の強化を進言したいところではあるのだが…。下手に提案して「じゃぁ、あんたが担当ね!」なんて押し付けられてもなぁ。私もいつまで平塚にいられるかわからない状況なもので、かんたんに引き受けるわけにはいかんのよ。
例によって今年も浴衣ウォッチングをしたし、また強烈な人も見かけた。どう見ても50歳を超えているように見えるオバチャンがミニ浴衣着てた!年齢考えろよ!!
でも正面から写真を撮る勇気などないし、仮に撮影できたとしても顔出ししなければ意味のない写真というのはこのブログ内で使用するつもりはない。
ということで今年は浴衣ウォッチングの写真はなし。
次に七夕飾りであるが、例年以上に宣伝色が強くなったように感じたのは気のせいだろうか。
もちろん例年の飾りにもその飾りを掲出している店の名前が表示されているものは多数あった。もともと店の宣伝のために飾りを出しているのだから当然である。しかしそれでも飾りそのものがメインで店名はサブという位置づけの飾りが多かったように感じていた。
ところが今年は飾りそのものより店名を前面に押し出しているものがとくに目に付いたように感じる。
中には、凝った仕掛けどころ絵すらなく店名を大書きしているだけなんてものもあった。七夕飾りの質もだいぶ落ちたものである。平塚の七夕に訪れる観光客の目当ては七夕飾りであろうに、この体たらくでいいのだろうか。
まぁ七夕の日数はどんどん短くなるし、昔と違って七夕をやってもそれほど平塚の経済に好影響はもたらさない、というか下手すると七夕飾りによって得られる集客効果では七夕飾りの製作費用分すら回収できないし、そんな割に合わないことをやる気にならないのもよくわかる。七夕飾りコンクールで特選を何年もずっと取り続けていた店々も相次いで掲出を取りやめているくらいだし。そろそろ七夕祭り自体をやめる潮時かもしれない。
さらに言えば様々な理由をつけて縮小してきた露店エリア。これも悪い方向に向かっているように感じる。災害が起きた場合などの避難経路確保のため露店エリアから外された場所もあるが、露店エリアが縮小された分、混雑度が増した部分もある。以前なら露店の出ている車道側は混雑していても裏手になる歩道部分は比較的すいていて、混雑を避けて通り抜けることができた。七夕会場付近に住んでいる人にとって、七夕のためではなく生活のために通る人などはこの歩道が比較的すいているのを重宝していたと思うのだが、今年は歩道部分で座り込んで飲み食いする人、混雑を避けようとした見物客で歩道のほうも通り抜けが困難になっていた。近隣住民の生活に不都合が起きるのを放置するのはどうかと思うし、そもそもこんな混雑では、いざ災害が起きた時まともの避難などできないだろう。避難路を確保するための方策が別の場所の避難路をつぶす形になったのでは何のための改革かわからない。
さて、今年の七夕で、私にも多少かかわりのあるニュース。
私は「ひらつか災害ボランティアネットワーク」という団体に所属しているのだが、この団体も七夕飾りを掲出している。で、七夕飾りコンクールの『市民飾りの部』で一等をとった。まぁ、市民飾りの部の一等なんて、七夕飾りコンクールのメインである特選どころか入選よりも格の低い、大したことのない賞だと思うのだけれど、それでも一等は一等。一応喜んでおくか。
ちなみにこんな飾りだった。

要するに耐震補強も家具固定もしていないと家は傾ぎ、タンスは倒れて飛び出し、人は放り出される。耐震補強と家具固定をしとけば安心。そういうことを表した、防災意識を高めるための啓蒙飾りってことらしい。
でも何の予備知識もなくこれを見たら、リフォーム業者の宣伝飾りに見えないか?いや、別にいいけど。
ちなみに私はこの飾りを竹につるしたりおろしたりするときは手伝ったけど、デザイン・制作の段階では時間の都合がつかなくて一切かかわっていない。まぁデザインは数年前(私がこの会に入会するより前)からほとんど変わってないけど。
話が前後するが、ひらつか災害ボランティアネットワークという団体は、災害時には市の社会福祉協議会がボランティアセンターを立ち上げることになっているが、社協職員だけでは人手が足りないので、市民有志がそのボランティアセンター立ち上げの手伝いに馳せ参じようという目的で、学習・訓練している団体である。もちろん実際に被災地にボランティアに行く人もいる。
目的は立派なんだけど、広報体制が整ってないのがねぇ…。ホームページすらないんだ、これが。普段どんな活動をしているかとか、今回のように賞をもらったとかいうことをどんどん情報発信して、関心を持つ人を増やしていかなきゃだめだと思うんだけどなぁ。まぁ今回せっかく賞をもらったのに表彰式を見に行った会員はほとんどいなかったから賞状だか記念品だかを授与されている写真や映像がなく、ホームページ等で情報発信するための素材が足りないけど。(ちなみに私は行こうとはしたんだ。でも表彰式をやっている場所が例年と違う場所だったこと、正しい場所に行こうとしても道が混雑しすぎてなかなか進めなかったことにより、到着したのはちょうど市民飾りの部の表彰が終わったところだったんだ。でも表彰式の様子の撮影を頼まれていたわけではないし、というか広報担当役員ってのは別にキチンといるし、私は悪くないよね?)
会員数は27名ということになっているらしいけど定例会に出席しているのは半分以下、それに実際に災害が起こったら本人や家族が怪我したり死亡したりでボラセンの手伝いどころではないなんて人も出てくることが考えられる。いざという時に必要な人数を確保するためには、できるだけ多くの人に関心を持ってもらい入会してもらって予備人員を多数用意しておくしかないではないか。
だから情報発信力の強化を進言したいところではあるのだが…。下手に提案して「じゃぁ、あんたが担当ね!」なんて押し付けられてもなぁ。私もいつまで平塚にいられるかわからない状況なもので、かんたんに引き受けるわけにはいかんのよ。