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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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脱平和教育のススメ

最近、松江市やら鳥取市やらで、漫画『はだしのゲン』の閉架措置にするだのしないだの言うことが話題になっていた。

これを閲覧制限だなどとマスコミが報じたものだから大騒ぎになったのだが、実はこれが全くのウソ。
確かに市民運動家からの撤去要求に端を発するものであるが、閉架措置というのは閲覧制限などではない。

閉架というのは、一般の図書館などでは開架図書より閉架図書のほうが多い場合もあるくらい一般的なものである。
高校時代ずっと図書委員をした経験から言うと、学校の図書室となると、確かに開架図書が大部分を占めている。しかし、新刊本を購入した際、その分の棚を開けるために、利用実績の少ない図書を引っ込めるということは日常茶飯事だし、いたんだ図書の補修などで引っ込めているものもある。そうした表の本棚から外して奥に引っ込めているものが、事実上閉架図書と同様のものといえる。
で、そうした閉架図書であるが、別に利用できないとか、利用には資格審査が必要だとかいうわけではない。利用したいという人がいれば奥から出してくるだけである。もちろん大学などの希少本などの場合なら閲覧資格などが必要な場合もあろうが、今回問題になっているのは小中学校の図書室での漫画の話なので、そんな堅苦しいことなどあるはずがない。
読みたいと言えば出してきてくれ、自由に読めるるものを『閲覧制限』だというのは明らかに言いがかりである。

誰が何を読んでいるかがわかってしまうのはプライバシーの侵害だとでも言いたいのかもしれないが、そもそも貸し出しの際にはだれが何を借りているかデータが残っているわけだから、そんな理屈は通らないだろう。
そもそも人に知られずに読みたいなんて代物であるならば、それこそ学校の図書室にふさわしくないものであることの証拠ではないか

撤去要請に対して閉架措置にとどめたというのであれば、褒められこそすれ責められるべき要素など何もない。要するに言論弾圧だと騒ぎたいだけの連中がいるわけだ。全く迷惑な話である。



さて、閉架かどうかはともかく、撤去すべきだという意見についてはどう考えるべきか。
その前に『はだしのゲン』についておさらいしておくことにしよう。

多くの学校において、学校内で漫画を読むことは禁止されているはずである。にもかかわらず、漫画である『はだしのゲン』だけが特別扱いされるのは(後半の一部が日教組系の雑誌で連載されていたからという大人の事情はさておき)、作者の実体験に基づく原爆の記録だからであろう。しかしこの時点ですでに誤解が含まれているのである。

確かに作者は原爆で被害を受けている。しかしその当時の年齢は6歳である。その年齢だと、原爆という大惨禍の記憶は確かに強烈に残っているだろう。しかしその当時の大人たちが何を考え、言っていたかを本当に理解したうえで記憶できたであろうか。
皆さんが6歳だった時のことを思い出してほしい。どのくらいのことを思い出せただろうか?かなりあいまいな記憶しか残っていないだろう。それが普通だと思う。
つまり作者が標準的な6歳を大幅に超える理解力と記憶力を持っていたというのでない限りは、原爆による被害の描写以外の部分は、伝聞と創作によるもので、作者自身の体験を描いたものではないということになる。

さらに、記憶というのは他の要因によって容易に改ざんされてしまうものである。後年の思い込みによって記憶がねじ曲がってしまうのだ。元の記憶がはっきりしていてそれとは違うことを言うのは嘘だが、記憶がねじ曲がってしまうと、その人にとってはそれが真実になってしまう。嘘(事実と異なること)だと自覚できないところが厄介である。
まぁこれはかなり善意に解釈しているわけで、実際は嘘と自覚して書き始めた部分もあるかもしれない。
少年ジャンプでの連載が打ち切られた後、第二部として共産党系の雑誌や日教組系の雑誌などを転々と移動しながら連載が続けられているが、そういう左翼雑誌の読者に受けのいいストーリーにしなければ商売にならない面もあっただろう。
撤去要請派が問題視しているのもほとんどがこの第二部であろう。この第二部は戦後編ということで、原爆の記録という主旨から距離ができている。一般人が誤解しているようだが、過激な描写と言っているのは原爆の被害の描写のことではないのだ。原爆とは無関係の部分に過激な描写が含まれているのだ。多くのマスコミはその辺をあえてあいまいにすることにより世論を誤導しようとしているようだ。おかげで原爆の惨禍を伝えるためには過激な表現になるのは当たり前ではないかなどという見当はずれな意見が出てきてしまうのだ。

つまりこの作品は純然たる体験記とはいえないのである。つまり他の漫画が禁止されるなかこの作品だけを特別扱いする前提が崩れているのである。であるならば他の漫画同様、学校内で読むことを禁じるというのは極めて筋が通っている。



たとえ創作部分が大半を占めていても、原爆の悲惨さを伝える部分は事実に基づいているのだから十分価値があるという意見もあろう。しかし今どきの子供が、指導もなしにこれを読んで原爆の悲惨さを学びとれるだろうか?
おそらく「うわぁ、何これ!キモチワリー」で終わってしまうのではなかろうか。言ってみれば変種のホラー漫画としか受け取れないのではなかろうか。
その気持ち悪さ、嫌悪感を反戦につなげるのが、左翼の求める教育ではなかったのか?
自由にホラー漫画として読ませるくらいなら、閉架措置などという生ぬるいことをせず、本当の意味での閲覧制限をし、しっかりと反戦教育のできる教員の指導のもとでしか読ませないほうが教育効果が上がるのではなかろうか。
その指導を怠って単なるホラー漫画として読ませることに意味があるのだろうか。ホラー漫画=娯楽として読むのであれば、やはり他の漫画同様、学校から排除するのが筋ではないか。



つまり、首切りの場面や性暴力の場面等の過激な描写が生徒・児童に不適切云々の以前に、そもそも学校の図書室に置く資格に疑問符がつくような作品なのである。



さて、撤去要請をしている者たちの主張に『偏向した思想に基づいているから』という理由づけもあったようだ。実際、天皇陛下を侮辱する描写等、良識ある日本人には受け入れがたい部分も多々見受けられる。しかしそれをもって閲覧禁止というのはどうだろう。
私個人としては、偏向した思想に基づいていることが問題なのではなく(いや、十分大きな問題ではあるのだけれど…)、体験記という体裁をとっているがために偏向した思想に基づく創作が事実と誤認されることが問題なのだと思う。
昔から嘘の中にほんの少し真実を混ぜることにより全体を真実に見せかけたり、逆に真実にほんの少し嘘を混ぜることで全体を嘘に見せかけたりといった偽装は数多くなされてきた。はだしのゲンもそうした偽装書のひとつであるから問題なのだ。
もしかりに正直に創作であることを明示しているのであれば、危険度は今ほど高くはなかっただろう。まぁ嘘を信じ込ませたい連中にとっては、この作品が創作であることを明示するなんて気は全くないだろうけど。要するにはだしのゲンが問題なのではなく(いや十分大きな問題なのだが…)それを利用しようとしている勢力が問題なのである。
はだしのゲンを本当に閲覧制限をしようが、それ以上の焚書にしようが、この連中がいる限りは害悪が巻き散られるし、逆にはだしのゲンが創作であることを認識させながらの指導が行える教師のもとでは立派な教材になりうるだろう(ただし教材になりうるのは第一部のみ)。



さて、はだしのゲン問題に関連して、平和教育の在り方についても考えてみたい。

現在行われている平和教育というのは、戦争の悲惨さを強調することに終始している。

これを風邪予防をたとえに使って表現してみると、

『風邪をひくと熱が出たり悪寒がしたり鼻が詰まったり咳が出たりくしゃみが出たり、とにかく苦しいんだよ。風邪なんかひきたくないよね』

と言っているようなものである。

しかし風邪予防において必要なのは風邪の苦しさを伝えることではなく、風邪のメカニズムを解明し、そのメカニズムに基づいた対処法を教えることではないか。風邪の苦しさを知っているだけで風邪が予防できるなんて本気で信じられる人っているだろうか?教えられた対処法を実行する動機づけとしては風邪の苦しさを知ること『も』必要であるというだけのことである。どちらが主でどちらが従であるかは明白である。

平和についても同様である。戦争を避けたいのであれば、戦争の悲惨さを教えるだけにとどまっていたのでは全く意味がない。戦争が起こるメカニズムを解明し、それに基づいた対処法を教えて初めて戦争を防ぐことができるようになるのだ。つまり学問の分野で言うならば平和学ではなく戦争学こそが必要なのだ。
ところがいまの日本では、その戦争を防ぐのに最も必要な戦争学を、戦争を引き起こす危険なものという、事実とは全く逆のレッテルをはりつけて排除しようとする勢力が跋扈しているのである。こうした奸賊を排除しない限りは日本に本当の意味での平和が訪れる事はないだろう。

しかし戦争学がいくら重要でも、今の日本に体系だった戦争学を学べる場というのはほとんどないのではないか。当然小中学校の教師で戦争学に基づいた教育を行える者などいないだろう。いかにして戦争学を普及させていくかが今後の課題となるだろう。
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テーマ : 平和授業 戦争
ジャンル : 政治・経済

終戦記念日

昨日は終戦記念日であった。
安倍首相の靖国参拝は成らなかったが三人の閣僚が参拝した。まぁこんなものであろうか。
首相が参拝を強行することによって他の政策すべてが足を引っ張られ、結果として国が倒れてしまっては本末転倒であろう。

しかしそうではあっても、参拝してほしかったという気持ちを抑えることはできない。
そもそも8月15日を外したところで、参拝すれば中韓は言いがかりをつけてくる。いつ行っても言いがかりをつけられるのであれば、意味のある日に参拝したほうがまだましではなかろうか。

以前にも書いたことがあったかと思うが、8月15日というのは、単なる戦没者追悼日ではない。
自称保守は「靖国神社にとって8月15日は特別な日ではないのだから例大祭に参拝するほうがよいのだ」などといって正当化しようとしているが、とんでもない思い違いである。靖国神社において特別な日でなくとも、終戦の詔書の主旨を思い起こし、誇りある日本を維持する決意を新たにする日という意味において、日本国民にとって特別な日である。そしてそれは戦没者の御霊に誓うという形で決意表明すべきものであろう。
そしてそうした決意表明をするのに最もふさわしいのはその決意のもとである終戦の詔書が流された8月15日以外あるまい。8月15日は特別な日ではないなどという輩は先帝陛下の大御心を何と心得るか。

なるほど、武道館で開かれている戦没者追悼式典にも「戦没者の霊」と書かれた標柱が設置されてはいる。しかし何をもってその標柱に戦没者の御霊がいらっしゃるといえるのだろうか。
靖国神社から分祀(特定の御霊を抜き出すという意味で使われる最近の所謂分祀ではなく本来の意味での分祀)しているというのであれば、確かに御霊に誓う場は靖国神社でなくてもかまわないということになろうが、そうした正規の手続きが行われているとは聞いたことがない。であるならば、御霊がいらっしゃるのはあくまでも靖国神社であり、武道館は御霊とは関係ないただの式典の場に過ぎないことになる。

今年の追悼式典における首相式辞は近年まれにみる立派なものであった。左がかった連中は「反省も不戦の誓いもなかった」などと酷評しているが、反省というのは戦没者の御霊に対するものではない。
反省とは「自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること」である。自らを正しいと信じて行動されてきた戦没者の御霊に対し、当事者でもない者が「反省」を口にするのは全くの筋違いであり、御霊に対する侮辱であり、慰霊・追悼の対極に位置する行動である。

そして、日本がどんなに平和と非戦を望んでいても、わが国の領土を不法占拠し続け、貴重な文化財を盗み出す国、我が国の領土をかすめ取ろうと虎視眈々と狙っている国、わが国の国民を拉致していく国など、侵略国家に囲まれている状況では不戦の誓いなどむしろ我が国の国民の生命・財産や国土を守るのに手足を縛るものにしかならない。国民の生命・財産をきちんと守れてこそ誇りある日本を維持できるというものだろう。不戦の誓いなどで国民の生命・財産を危険にさらしますなどと御霊にどうして申し上げることなどできようか。

つまり今年の首相式辞は、特定の外国が主役だった今までの間違った慰霊・追悼から、御霊が主役の正しい慰霊・追悼に戻した、画期的なものだったのである。そしてそうであるがゆえに、なお一層、それが御霊の前で捧げられたものでないことが悔やまれるのである。


さらに言えば、今年の8月15日に首相が参拝しなかったことは、もともとの予定であったとのことだそうだが、中韓に対して、『保守に支持の厚い安倍首相ですらゴリ押しすれば折れる』という間違った印象を与えることにはなりはしないだろうか。結果として8月15日の参拝のみならず、在任中のあらゆる参拝がつぶされるような結果にならないか心配である。そして参拝ができない状況により保守層に安倍離れが進んでくれれば中韓にとっては格好の安倍つぶしにもなる。安倍首相が失脚し、アベノミクスが失敗ということにして元のデフレ化政策に戻ることが中韓に与える経済的メリットは計り知れないだろう。首相の不参拝が中韓にとって政治的と経済的の一石二鳥ということにつながらないよう願うばかりである。

テーマ : 靖国参拝
ジャンル : 政治・経済

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