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日野光治

Author:日野光治
馬鹿と煙は高い所に登る。
しかし高い所に登らなきゃ見えない景色もある。
政治だって『庶民の目線』なんてのがもてはやされてるけど、そういう低い位置からだけしか見ていなければ道を誤る。
ということで、馬鹿は馬鹿なりに今日も好き勝手に政治放談したり山歩きをしてみたりと、気ままに生きてます。

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もう勘弁してほしいなぁ…

8月10日、菅首相が日韓併合100年に合わせた談話を発表。やっぱり事実に基づかない、役に立たないどころか有害ですらあるものだった。それだけでも非難に値するのだが、その同じ日に、菅内閣の閣僚全員が8月15日に靖國参拝を『行わない』ことが明らかにされた。自民党政権下でも首相が参拝しないことはあったが、閣僚の中の誰か一人は参拝しており、全閣僚の不参拝というのは過去30年に例がない。それ以前は記録が残っていないらしいが、全閣僚不参拝というのはやはりなかったのではなかろうか。

そういう過去に例のない不参拝というのもまた非難の声の上がることだろうし、仙谷官房長官の記者会見での「閣僚は公式に参拝するのは自粛しようというのは、日本政府の考え方だと存じ上げている」なんて発言は、政権交代で民主党が下野したとしても、その後の政府を縛り続けるとんでもない発言であろう。

菅談話も全閣僚靖國不参拝もそれぞれが徹底的に非難されるべきことなんだけれども、同じ日に発表されたばかりに非難の対象が分散しているようで、どうも非難が徹底していないような気がする。



さて、靖国問題について考えてみよう。安易に公式参拝という言葉が使われているが、そもそも公式参拝とは何であろうか。

憲法上禁じられているのは、国の機関による宗教行為である。果たして閣僚は『機関』なのであろうか。

法学上『機関』とは、大雑把にいえば、あらかじめ定められた特定の目的について、独立して意思決定・執行できる組織体のことである。この定義に沿っていれば、たとえ一人で構成されていても機関である。

そういう意味において、戦前の大臣は『機関』であったことに疑いはない。戦前の大臣は内閣の一員ではあるものの、内閣の意思に縛られず、それぞれが単独で天皇を輔弼する存在であると、旧憲法で規定されていたからである。

それに対して現憲法下の大臣はどうか。憲法第74条ではこんな規定がある。
『法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。』
ここで言ってるのはすなわち、「各大臣は単独で意思決定・執行をしちゃいけませんよ」ってことだろう。つまり現憲法上、各大臣ってのは機関ではないのである。内閣は機関であるが、閣僚は機関の『構成員』にすぎないのである。
ただややこしいことに各省庁内においては各大臣は機関である。つまり内閣の一員としての大臣は機関ではなく、各省庁の長としては機関だということである。

さて、マスコミや左翼が問題としているのは、閣僚が各省庁の代表とし参拝することではなく内閣の一員として参拝することである。少なくとも私はそれ以外の論調を見たことはない。各大臣にしても各省庁の代表という意識ではなく内閣の一員という意識で参拝・不参拝を決めているはずである。つまり機関でない部分の行動を問題としているのである。

しかし、機関の構成員の行動が、機関による行為とされるためには、その行動が機関の決定によるものでなければならない。すなわち、もしその参拝が、閣議決定を経ての参拝であるならば、機関による宗教行為に当たり違憲である。しかしそうした閣議決定は行われていない。行われるはずもない。そうである以上、閣僚が参拝したとしても、それは機関による宗教行為には当たらず、そもそも問題にすらなりえないのである。『公式参拝』か『私的参拝』かなどという質問は意味がない。機関による行為でない以上、公式であるわけがない。それをさも問題があるかのように言うのは悪質なデマ同然であろう。



さて、閣僚の参拝が機関による行為でないとすれば、そうした個々の人間の参拝を、周りがとやかく言ってやめさせようとするのは人権侵害に当たる。日本国民には思想の自由があり信教の自由がある。特定の立場においてその自由が制限されてもよいなどという規定はない。
特定の宗教を強要することは許されない。そしてその『特定の宗教』の中には『無宗教』も含まれるべきだろう。無宗教を強要することもまた信教の自由に反すると解すべきだろう。宗教を信じない自由はだれにでもあるが、他の人に「宗教を信じちゃいけない」というのは明らかに個人の思想の自由を侵害している。

今回の閣僚全員不参拝について、官房長官の言葉を信じるなら『自粛』であって、個人の判断の結果ということになるだろう。左翼政権である民主党の内閣においてはそういうこともありうるとは思う。
しかし、もしその過程において「自粛してほしい」という圧力があったとしたら、それは許されてはならないことである。というか、自粛というのは読んで字のごとく、自らつつしむことであり、他人からの要求があった時点でそれはすでに自粛ではない。

現閣僚の判断が本当はどうであったかは知る由もないが、「閣僚は公式に参拝するのは自粛しようというのは、日本政府の考え方だと存じ上げている」などと記者会見で発言するのは、のちの政府に対して自粛を強要する(したがって自粛ではなくなる)とんでもない発言であり、違憲であるともいえるのではなかろうか。

もう本当にいい加減にしてほしいものである。

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テーマ : 菅内閣
ジャンル : 政治・経済

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